第2話 ランチ

 次の日は出社した。

 部長にはやんわりと叱られたが、きちんと連絡を入れてくれと念押しされた。平謝りで済んだが、今度ご飯奢れよとそれだけで許してくれた。入社時から可愛がってくれて、音楽を作っていることも知っている。姪が絵を描いているのからか、ものを作っている人間が思い込むと塞ぎ込んでしまうのを部長なりに理解を示してくれていた。だから、きつく怒られることは今までなかった。

 しかし、同僚からの視線はあまり芳しくなくて、デスクで隣の人からは露骨なため息が聞こえた。いや、聞かされたに違いなかった。 

 僕は申し訳ないと思いながら、仕事に向かった。別に仕事には嫌悪を抱いているわけではなかった。

 けど、創作よりも1ピース抜けているような感覚。完成しないパズルに近いような感覚だった。

 キーボードを打ったり、メールの処理をしたりとしていると、時間はお昼時になっていた。

 僕は席を立つと食堂へ向かった。

 時間をずらして来たから、人はまばらだった。

 お盆を取り、受付のおばちゃんにいつものメニューを伝えて、お金を払う。ここは生憎、バイキング形式ではない。そんなものがあっても僕は少なくとも関心はしないが。

 お盆を持っていつもの席が空いているのを見つけると、腰を押し付けた。

 水を一口だけ飲むと、お箸を持って手を合わせる。味噌汁を喉に通した。味が舌の上に広がり、僕に最低限の生の実感をさせてくれる。

 窓越しに中庭が見えた。会社は近くの会社と比べて広く建物もでかい。有名な大手ほどではないが、社員が息抜きができるほどには自然があり、ベンチがあり、と休める場所が多い。何やら、社長の趣味らしい。

 そこで声をかけられた。

 「おーい、琢己。手、止まってんぞ」

 振り向けば、勝が立っていた。手には財布を持っていた。

 「あ、ああ」

 「なんだ、またピアノか?」

 「いや、違う」

 「ふーん、そうか。席、前いいか」

 聞いた勝は料理を持っていなかった。僕は軽く笑った。

 「いいけど、珍しいね」

 「お前を誘おうとしてわざと時間ずらしたけど、丁度入れ違いだったみたいだな。」

 「入れ違い?僕のデスク寄ったの?」

 「そうだ。けど、梅澤さんが教えてくれた。」

 「そうなんだ。それより、料理取ってきたら?」

 「そうだな」

 勝はニコニコしながら、手に持っていた財布を脇に挟み直して行った。

 彼はイケメンに入る部類の人間だ。だから、この会社でも部署関係なく彼に片思いしている女性は多数いる。どうやら、イケメンの派閥があったりとかして、彼はその主要一派とかなんとか。

 しかし僕には関係のない話で、デスクの周りでよく女性たちが話の種にしているのを雑音として聞いているくらいに過ぎなかった。

 「また、手止まってんぞ。」

 勝は前に座っていて、箸を動かしていた。同じやつを食べていた。

 「同じの食べてるの、なんで」

 「ん?嫌か」

 「別に」

 仲がいいから良いんだが。特別他意はない。だが、人に避けられてきたから同意を示されるとちょっと嫌悪感が出てしまう。勝はそれを理解してくれていた。なんせ、中学校からの仲だから。そんな自分に良くしてくれて、中学校から今まで同じだった。

 今に至るまで、琢己ほどに仲良くしてくれた人はいなかった。

 「琢己、昨日休んでたらしいじゃん。ピアノ、行き詰まったのか」

 「いや、そうじゃなくて」

 「決心したのか」

 「そう、かな」

 「けど、無理だった。原因は?」

 「…宅配が来た」

 「お母さんからか」

 「うん」

 あ、そう。彼は世間話のようなトーンで言った。特に気に留める様子もなく彼は味噌汁を飲み干した。

 「今日は元気か」

 「うん」

 「そうか、じゃいいや」

 「ていうか、昨日休んだのなんで知っているのさ」

 「ん?ああ。梅澤さんと昨日飯食っててさ。お前の話題が出て来たんだよ」

 「そうなんだ。で、その、梅澤さんって人誰」

 「知らないのかよ。お前と同じ部署の人だよ。覚えてねぇのかよ」

 呆れたように、橋を持った手がひらひらする。

 僕は同僚を琢己以外に興味はなかった。だから、業務上に関わることしか頭に入れてないし、社員のことなんて社内メールのためにしか覚えていない。基本的話さないし、業務のことはメールでやり取りする。そのほうが手っ取り早いし、何より他の人間と関わらずに済む。一晩を同じにした人も何人かいるけど、どっか別の会社に行ってしまったからもう覚えている必要もない。

 「お前、もうちょっと周りに興味持ったら?お前のこと気にしてるやつ、ちょっとはいるぞ」

 彼は良く人と喋るから、そうやって色んな人の小話も耳にする。それに、やたらこの手の話を持ちかけてくる。

 僕は呆れたように言う。  

 「興味ない」

 「ま、お前が興味あるのは、音楽だけか」

 彼は最後の一口を食べると箸をお皿の上に乗せると手を合わした。

 僕も残り少なくなった料理を食べ終えて、手を合わせた。

 「もう、そろそろ仕事に戻らないとな」

 「そうだね」

 一口水を飲むと、またぼうっと窓を見ていた。

 中庭には、複数の男女が入り混じっていた。皆が綺麗にスーツに身を包んでいた。

 僕は、そういうのがあまり好ましい印象がなくて、ジーパンにワイシャツとジャケットといった感じだった。

 女と男がベンチに座っていた。こういう時に流す音楽は一体どんなんだろうか。

 昼頃の高い陽光に当たって、お互いが弁当を持って肩を寄せている。それは友情か、はたまた恋の駆け引きか。お尻の位置が、メロディの浮き沈みを連想させる。これは微妙な距離。叶えばラッキー、破れれば悔やしさ。女が片想いか、それとも男が片想いか。はたまた、その両想いか。

 いずれにしても、ストーリーを考えるには最適だった。

 女と目が合った。女は一瞬だけ、箸を止めた。僕はそれを、物語に出てくる可憐な女王様に思えた。気持ち悪いな、そう自虐して、水を含む。シンバルが鳴った。

 「琢己、もう、俺行くから。体、気をつけろよ」

 「うん。また」

 僕は目を彼の背中に移した。僕よりも一回り大きい背中だった。

 彼とは部署が違うし、お互いずっと一緒という感覚ではなくなっていた。彼は同僚と出かけたり、ゲームしたり。僕は、止めてしまった。

 水をまた口の中に含むと、さっきのベンチには男だけがいることに気がつく。破局か、それとも駆け引きの一環か。この音楽は少々面倒臭そうだと、水のないコップに口をつけて不意に思ってしまった。

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