第47話
「今回はアリアンナ殿一人を危ない目に合わせてしまい大変申し訳ないことをしたが、貴女が捕らえてくれた者達はこれから西とのことに大いに役立つだろう。心から感謝する」
「…お役に立てたのでしたら」
「ありがとう」
サンディーノ侯爵の更迭や妃選びが中止になったこともデルヴォークから事後の話を聞いてアリアンナも胸を撫で下ろす。
アリアンナは柑橘系の爽やかな香りの紅茶を一口、口に含んだ。
気絶するほど魔術を放出したのは初めてだったが、起きてみれば魔術量は増えているし、捕まえた者達はやはり役に立つとのこと。
少々無理はしたけれど、結果良いこと尽くめではないか。
「時にアリアンナ殿」
「はい」
「……私と婚約してくれないか」
「ぶふぇっ」
アリアンナの今までの人生、決して長いものではない。
長いものではないがついぞ出したことのない音を出してしまった。
あまりのデルヴォークの唐突な申し出に紅茶を吹いただけでなく、ゲホゲホと淑女にあるまじき盛大に咽るのを堪えられない。
口の周りの紅茶を辛うじてナプキンで拭い、デルヴォークを凝視する。
向かいに座る彼は至極真面目な顔でアリアンナを見ている。
「……今…何と?」
「このデルヴォークの婚約者になって頂きたい」
「誰がですか?!」
「アリアンナ殿にだ」
「!!」
デルヴォークは少しもふざけてはいない。
ということは正真正銘の申し込みだろう。
アリアンナは乱れる息も絶え絶えに全力でこの申し込みに至る原因を考える。
「どうしてその様なことを?……まさか父が手を回しましたか?」
「……。やはり貴女はいいな。話が早くて助かる。言ったのは我が叔父上だ」
「……叔父上というと……」
「国王陛下だ」
「でしょうね!」と叫ばなかったのは良かった。
だが心中では無論、叫ぶが。
何がどうしていきなりデルヴォークとの婚約となるのか、全く分からないアリアンナはデルヴォークに対し口調がくだけたものになっているのに気付かず、なおもデルヴォークへ質問を続ける。
デルヴォークもまたくだけた物言いになったので話は進む。
「例え陛下でもそのようなことをなぜ突然?」
「要するに俺の妃決めで貴女が誘拐されたことで妃選びが困難とこちらは判断した」
こちらとは王室、そこは分かるとアリアンナは頷いてデルヴォークに先を促す。
「で、今回の件で貴女に傷がついたことと」
「付いてはおりません」
「確かに頬の傷は魔術で治しはしたが切られた髪はその証だ」
「これは……また伸びます」
「次に俺が貴女に王立魔術学院の制服を贈ったこと」
「……無礼を承知で殿下のお許しがあれば買い取らせて頂きます」
「あとは……これは俺も初耳で驚いたのだが」
「?」
「俺たちは元婚約者だったらしい」
「何ですって?!」
今度は堪えきれず叫んでしまったアリアンナだ。
「どういうことですか?」
「別にどうということはない。我が両親の不幸がなければ決まっていた婚約だったと陛下に言われた」
確かに普通に考えれば王太子と筆頭五家の現宰相の娘との婚姻が決まっていてもおかしくはない。
むしろ婚約が決まっていなかったのがおかしな話だ。
「その様子だとアリアンナ殿も初耳か?」
「……はい」
「因みにだが。その頃に変わったことはなかったか?」
「……」
暫し考え込むアリアンナを静かにデルヴォークが待っている。
「……剣の稽古が始まりました」
「ふむ。さすがジョルト・キャセラックだな」
何がさすがなのかをアリアンナは聞かなかったが、多分国王夫妻が崩御し、なお病で国が荒れるのを見越して父キャセラック卿は今のデルヴォークに合う娘へと育てたのだろう。
我が父親ながら先を読み過ぎていてうすら寒くなる。
「……まさかここまでが陛下と父の策略ですか?」
「それは分からん。だが、俺たちに残された道は婚約しかない」
「私が今からでも父に申します」
「無駄であろう。王直々の命だ」
詰んだ。
否、最初から決まっていたのだ。
まさしく陛下とお父様の王手。
「でだ。聞いておきたいのだが」
「……はい」
「アリアンナ殿に好いた相手はいるか?」
「はい?」
「いや、可笑しな質問であることは承知だ。アリアンナ殿にお相手がもういるのならこちらも陛下を説得しようと思ったのだが、いないか?」
「……おりません」
「ならばもう一つ。タルギスは来年西への開戦を考えている。陛下にも全権を頂き指揮はすべて俺が執ることになった。早くて一年、長引けば三年以上この国には戻らん」
デルヴォークの話を聞き洩らさぬよう聞くのが精一杯で、アリアンナは返事をすることが出来ない。
「貴女と婚約して放っておくことも可能だが、そうしたくはない自分がいるのでな」
「……?」
「婚約早々、貴女を一人にする予定であるし、親たちに謀られた婚姻となってしまったが、貴女さえ良ければ婚約と言わず、我が妻になってはくれないか?」
「……妻…ですか?」
「出来れば貴女がいい」
アリアンナは、今夜のデルヴォークの話で極め付きの衝撃が来たと思った。
我が妻……。
聞き間違いでなければデルヴォークは今、アリアンナを自分の妻にと言ったのか?
彼の言葉を反芻していると顔に熱が上がってくるのがわかる。
アリアンナは急に緊張してきて、余計な口をきいてしまう。
「お受けした場合、で、殿下が不在の間の結婚避けになればいいのですか?」
ははっとデルヴォークが声に出して笑い、普段の彼からは想像できない蕩けるような笑みを向けられる。
「貴女ならどんな結婚話でも回避できるだろうな。まぁ俺としても貴女に余計なものが付かなくて丁度いい」
余計なもの……とその余計なものが何かすぐ思いつかず小さくアリアンナが繰り返す。
「急な話だ。返事はよく考えてからしてくれていい」
「……はい」
「……陛下は婚約式を来月とか言っていたが……返事の翌日でもいいそうだ」
「婚約式が来月?!翌日?!」
赤くなったり青くなったりと忙しいアリアンナを見て、デルヴォークがまた声を立てて笑う。
「まぁそうはならないだろうが、とにかくよく休まれよ。長居をしてすまなかった」
立ち上がるデルヴォークを眺めていると、彼は自分の方に歩いて来る。
見送らなくてはと思うが、デルヴォークから視線を逸らせずに着席したままのアリアンナがいると彼が屈んで顔を寄せてきた。
「…良い返事を聞けるといいが」
「!」
部屋を出て行くデルヴォークの背中が見える。
見舞いに来てもらったとはいえ、殿下を見送りなしで退出させるとは淑女の礼に反する。
しかし、アリアンナに出来たことは両手で額を隠すことだった。
デルヴォークからの衝撃はここまでの話だけではなかった。
アリアンナの耳に小声でのデルヴォークの囁きが残る。同じく、額にデルヴォークが触れるのを感じた。
(今!今!おでこに口づけされていったわよね?!)
体中が熱を帯びたように熱く、アリアンナはおでこに両手を当てた状態で固まるしかなかった。
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