第15話

(……約束の時間きっかりに現れるとは限らないのね)




 昨日からの住まいとなった王城の自室で、用意した茶器と共にすでに小一時間は待っている。


 このタルギス王国にデルヴォーク殿下は一人しかいないので、そのたった一人が来ないとなれば終わりの来ない待ち惚けの時間が続く。




 アリアンナは早朝からこの対面の時間の為に、サーシャとミシェルに整えてもらった姿である。


 いつも通り……よりは大いに可憐な仕上がりになっているので、昨日のようなサーシャの気合がみなぎったご令嬢姿ではないから、キャセラック侯からの注意通り見た目からの好感度はまず問題ないだろう。




 それにしても。




 昨日の事をそろりと思い出してみる。


 いや、ずっと頭の中にはあるがあえて記憶の消去処理を施したい程には衝撃の一日だった。


 未だに「なんで?」「どうして?」が大半を占め、建設的な考えが浮かばない。


 後半のサーシャからの説教も響いて頭痛の思いだ。


 そして、現在殿下からの待ちぼうけを受けている。


 アリアンナの支度も、用意せざるおえなくなったお茶も完璧に用意をしたはいいが当の相手が来ないのである。




 お忙しいのは想像に出来るのだから一言、伝言とかは思いつかれないのかしら……それとも待たせることで試しているとか?




 ただ姿勢を正したまま座っているだけなので、目を瞑っていれば後悔でこの場から逃げたくなる。


 どうにか気持ちを落ち着かせても、昨夜眠れなかったせいでそのまま睡魔もやってくる。


 欠伸をかみ殺す閉じた目から涙が滲む。


 昨夜は、一応今日の対策を考えてもいた。


 けれど良い策は何も浮かばず。


 家からたった一時間程の距離なのに、王城というだけで昨日の出来事は処理しきれるわけではなかった。


 いや、王城だからこそ起こるべくして起こったというか……。


 とにかく。


 考えることを諦めて簡素な事のみに集中しようと思ったので、淑女の基本、口を出さずにただただ笑顔でやり過ごそうと決めた。




 (いっそのこと、このまま来ないで頂けたらと思うわ……)




 思わず出掛かった欠伸を誤魔化すため、口元に手をやる。


 窓の外を眺めれば今日も温かい日差しで絶好の外お茶日和だ。


 そんな長閑のどかに柔らかな秋の日差しをアリアンナがぬくぬく浴びていると




 「遅くなった」




 突然の声に、驚いて目を開けると、バルコニーへと続く窓からデルヴォークが現れた。


 今までの眠気も吹っ飛び、「まっ!」と大きな声を上げてしまったがそのあとの言葉は飲み込み、直ちに立ち上がる。




(……どから現れるなんて?!)




 廊下側の扉の前で控えていたサーシャ達からは小さな悲鳴が上がっている。


 絶句したままその場で立ち竦むアリアンナに構わず、デルヴォークは悠々と部屋に入って来る。


 そして卓を挟んでアリアンナの前まで来ると労いの言葉を言う。




 「待たせた」


 「い…いいえ」




 辛うじて目の前に現れたデルヴォークに返事を返す。


 「……改めまして、アリアンナ・キャセラックと申します。……以後、お見知りおき頂ければと思います」




 ぎこちなく礼をし、棒読みの挨拶を添える。


 そんなアリアンナの自己紹介に短く返事を返すデルヴォークに椅子を勧めれば、侍女達の給仕が始まる。


 アリアンナは、昨日今日と気まずさから真っ直ぐにデルヴォークを見られず、視線を外したままだ。


 いざこうして相対あいたいせば、何を言われるかも想像できないので緊張が増してくる。


 微妙な沈黙の中を茶器を用意する音だけが響き、そう長くない時間で卓上の支度を終えた侍女達が下がってしまう。


 アリアンナからは何も言えず、デルヴォークの出方を伺っている本格的な沈黙が流れる。




 「昨日は何をしていたんだ?」




 お茶に口をつけながら、アリアンナを見る事なく唐突に話を始める。


 デルヴォークは俯くアリアンナの肩が微かに揺れるのを目の端に捉えつつ、敢えて彼女からの返事を待つ。


 アリアンナからすれば、のっけからこの話題かと背中に変な汗が流れるが、謝罪をすることは決めていたし、返事をお待たせするのも申し訳ないし、いっそ好かれる訳ではないのだと意を決して返事を絞り出す。




 「……その…お茶をしようと……申し訳ございません」




 謝罪を述べ、始めてまともにデルヴォークを見る。


 今日も黒を基調とした騎士服だが、外套はせず襟も開けているので多少くだけた分、昨日の謁見の時に見た姿とは違って近寄り難い感じが薄れている。


 そしてミシェル達が言っていた通り、長身に少し長めの黒髪に縁取られた顔は端正な美丈夫で、切れ長の翡翠の瞳も涼やかに見える。




 (……確かに婦女子の皆様がざわつくお顔だわね…)




 思わず今の立場を忘れ、デルヴォークを凝視してしまったアリアンナだ。


 巷では脅威も含め黒獅子などと呼ばれているが、こうして目の前にいるデルヴォークはさすが王子殿下といった風情だ。




 (?今…笑った?)




 正面のデルヴォークは目を伏せているので、はっきりとは分からないが今、微かに口の端が上がったように見えた。


 アリアンナは昨日弟が間に入った時にも笑われたことを思い出し、自然と顔に熱が上がる。


 が、デルヴォークからすればデイヴェックと話したアリアンナの行動の答えが当たっていたので意識せずに笑みが漏れただけだ。


 しかし、アリアンナはそんな些細なことだとは露程も分からないから致し方がない。

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