第7話 だれに寄り添う

 私は翌日、差し入れにパンを焼いて仕事帰り寄ってみた。今日は息子がクラブの合宿でいないので、一緒にパンでも食べながら、話をしたいと思っていた。

アトリエには伊山君だけだった。

今までに見た事のない、思い詰めた表情で作品を見ている伊山君。

「こんばんは、どう?パン焼いてきたの一緒に食べない?」

一瞬にしていつもの表情に戻った伊山下さいは、笑顔で珈琲をいれてくれた。二人で並んで食べた。「伊山君、ちゃんと寝れてる?」

伊山君は「まあまあだよ、少々寝れなくても、大丈夫さ。」

「何があったの?最近作風が変わったわ。何かに苦しんでいるようにも見えるし。」

「そうだね、今人生で初めての感情に苦しめられてるかなぁ。でも、苦しい反面、ワクワクもしてる。これはチャンスさ!成長する為のチャンス。乗り越えられない試練はないよ。」

伊山君の力強い横顔に、私の心は高鳴った。 


 アトリエからの帰り道、一人で帰られると言う私に、伊山君は送ると言った。

そして「出来れば、一緒にきて欲しい場所があるんだ。遅いし無理かな?」

私は少し悩んで、「息子が合宿で泊まりだから、大丈夫よ。でも、遠くじゃないよね。」

 伊山君は車で高台に向かった。「月並みだけど、夜景なんだ。でも僕の秘密の場所なんだよ、悩んだ時、嬉しい時、何か抱えきれない時、此処に来て自身と向き合うんだ。本当はもう少し早い時間がお勧めなんだけどね。」

 車を路肩に停め、徒歩で少し行くとパッと開けたら場所に出た。ほとんど人はいなかった。

市街見渡せる絶景で、その先に黒い海が闇となって広がった。美しさと恐さを兼ね備えている景色に魅入った。


 しばらく言葉も交わさず、立ちつくしていた。ふと横を見ると伊山君が私を見つめていた。「顔に何か付いてる?」慌てて顔をさわる私を、伊山君は笑っていた。

「何も付いてないよ、なんか見ていたくてさ。いつまでも見ていたくて、綺麗な横顔だ。」

「何言ってんの、おばさんに、からかわないでよ。」私は俯いた。

懐かしそうに「初めて会った時も神崎さんは俯いていたね。どうしたら、こちらを見てくれるのかとあの時も思ったなぁ。」

伊山君が急に真面目な顔で「ところで神崎さんは、今幸せですか?」

私は動揺を隠しつつ「幸せって。まぁそれなりに。」

「ずるくない?それなりに。ってさ。じゃあ質問かえよう。愛している人はいますか?旦那さんを愛していますか?」

私はびっくりして一瞬言葉に詰まった。「愛してるは、家族としてなら。」

「それは、情ってやつ?それでこれからも寂しさと向き合っていけるの?」


私は自分の思いを整理するように、ゆっくりと話した。

「正直、怖いよ。息子が巣だった後、私は一人になる。主人には、愛する人がいるから。側に居ることで私は、さらに孤独と向き合わなければならない。

でも、私からは離婚できない。彼の出世には離婚はダメージになるの。

前も言ったけど、優先順は、息子と主人だから。

息子が巣立ち、主人が地位を確立したとき初めて私から離婚を切り出せるわ。一度は愛した人だから、力になれる事は、力になりたいの。」

「先で旦那さんと離婚したら、どうするの?旦那さんには愛人がいる。神崎さんは一人かもしれない。」

「確かに、私に帰れる場所はないなぁ。でもね、彼には幸せになって欲しいと思ってる。残念ながら、私では彼を幸せにできない。ここ何年も、彼の笑顔なんて見たことないもの。」

込み上げる哀しみを抑え込み、私は笑顔を作って「でも一人って、意外に自由で気軽に生きれるかも。」まっすぐ前を見た。


「あなたはな何故そこまで、自分を大事に出来ないんだ!」 彼の怒りの声に驚いて伊山君を見た。怒りと悲しみに満ちた眼で私を見つめた。

「以前も言ったよね。もっと自分を大切にして下さいって。」「僕はあなたが幸せならこの気持ちを、何をしてでも抑え込む自信があった。でもあなたが幸せでないなら、この気持ちを抑え込むことはできない。」

「何言ってるの?」

「以前言った事覚えてる?僕がが初めて抱えた感情。」

彼は驚く私を真っ直ぐ見て、「それは、嫉妬と執着だよ。」言った。

「誰に執着してるって、神崎さんあなたに。誰に嫉妬してるかって、あなたの旦那さんだ。」

私は驚いて、よろけて、その場に座りこんだ。

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