第10話 新人冒険者、救援に向かう。

 ――《デラウェア渓谷》最深第10階層。

 ダンジョンは、階層が下になればなるほど、階層自体も狭まっていく傾向がある。

 《デラウェア渓谷》もその例外に漏れず、おおよそ10メートルほどの暗く小さな空間が、階層ボスのオロチの巣窟だった。

 そんななかで、グラン・カルマ率いる冒険者パーティー『獅子の心臓レグルス・ハーツ』は、窮地に追いやられていた。


 前方には8つ頭の大蛇にして、最深第10階層のボス、オロチ。

 神経毒入りの強力な牙を持つオロチの猛攻をいなす熟練冒険者・グランだが、本来後方支援するはずの魔法術師、回復術師ヒーラーは全く別の方向を向いて、突如現れた新敵への対処を余儀なくされていた。


「くっそ、こいつら次から次へと! 水・土混合魔法――土石流デブリス!」


 魔法術師が放った土石流が、新敵を次々と屠っていく。

 だが、際限なく部屋の奥から出てくるそいつらに、魔法術師の顔も大きく引き吊った。


「グラン、ここは一旦退いて態勢立て直すしかねぇんじゃねぇか?」


「……」


 グランは、何も言わなかった。

 ただ一人、ポーション一つ持たずにオロチとの攻防を続けている。

 神経毒が肌に触れないようにしながらも、その体躯に備わる鋭い鱗で身体に次々と傷は増えていく。

 それでも、苦い顔一つ浮かべずに剣をオロチに突き立てていく。


「どー見ても緊急事態だぞ、リーダー。今退いても試験の合否にゃ関係ねぇだろ。ったくよぉ」


 無精髭をぼりぼりと掻き毟りながら、魔法術師は深々とため息をつく。


「――なんでこんなところに亜人共が出てくんだぁ?」


 苦虫を噛むように言う魔法術師の眼前には、数体のゴブリンの姿があった。

 全身を薄緑で覆われた、醜悪な面容のそれは、一体あたりではそれほどの脅威ではない。

 だが、群れるとすこぶる厄介だ。彼らのリーダーであるゴブリンキングがいないまでも、ダンジョンのような閉鎖空間では俊敏なゴブリンは厄介さが倍化する。


「ゲグァヤァギャァァァッ!!」


 軽い身体と、俊敏な身体能力でゴブリンの一体が壁を蹴って、魔法術師との間を詰める。

 魔法術師は、後ろで子羊のように怯える女回復術師ヒーラーの盾になるかのように、大急ぎで魔法の詠唱に取りかかる。


「風属性魔法、鎌鼬カマイタチ


 決して威力が強い魔法ではないが、後方には本命ボスのオロチがいるために、下手に全力を出すことが出来ない。

 かといって、急な新敵にグランまで人員を割いてしまうと、オロチの神経毒がいつやってくるかも分からなくなる。


「グラン、このままじゃジリ貧だぞ。やっぱ一旦退いて応援を呼ぼう。第6階層にはDクラスのゴブリンくらいなら多少闘える『ドレッド・ファイア』も、カルファ様もいるだろ。いざとなりゃ噂のSSSランクにも応援を頼めば……なっ!」


 魔法発動の冷却時間内でも、ゴブリンは絶え間なく襲いかかる。

 魔法発動が間に合わないと悟った魔法術師は、自らの足でゴブリンの脇腹を蹴り上げた。


「試験の邪魔をするなと言っておいて、我々が邪魔をしたとなると一生の笑いものだ」


「んなこと言ってる場合かよ……! なぁ、グラン。死んだら元も子もないんだぜ?」


 必死にリーダーを説得しようとする魔法術師だが、グランは苦虫を噛みつぶしたような表情でオロチの頭の1つを叩き斬る。


「ンヴァアァァァァッ!!」


 頭部1つを失ったオロチの断末魔が閉鎖空間に響き渡る。

 音を通じて大地が揺れ、呼応するかのようにゴブリン達も吠える。

 

「うへぇ……埒があかねぇぞこれ……」


 ゴブリン達が、オロチの巣窟からわらわらと湧き出てくる。

 だが、その出所は分からない。

 こんな小さな空間のどこに、これだけのゴブリン達を収容できる空間があるというのだ。

 グランは、自身の真横に現れたゴブリンを1体斬殺してから、魔法術師に顔を向ける。


「俺はオロチをやる。お前達は、第6階層に応援を頼んでくれ。第1階層の新人は、清掃任務だ。後1時間はかかるだろうからな……」


「了解! リーダー! 応援呼ぶまで、死ぬんじゃねーぞ!」


 魔法術師がようやく笑みを浮かべた。

 だが、先ほど蹴りを入れたゴブリンが視界の外でピクリと跳ねた。

 蹴りの入りが悪かったのか、すぐさま立ち上がって、回復術師ヒーラーとの間を詰める。

 『獅子の心臓レグルス・ハーツ』の回復術師ヒーラーは女性で、さらには戦闘能力をほとんど持っていない。

 ここで回復術師ヒーラーが真っ先に潰されてしまえば、この量のゴブリン達を討伐することはほとんど不可能になってしまう。


「……チィッ!」


 魔法術師は、回復術師ヒーラーを庇うように両手を広げた。

 ゴブリンは手に持っていた短刀をスパッと横に薙いだ。


「――!?」


 その様子を見たグランに戦慄が走った。

 魔法術師の左腕は、ナイフで切られて血がドクドクと流れ出ている。

 魔法術師は苦悶の表情を浮かべながら「こっちも神経毒かよ……ッ!」と吐き捨てながら、魔法を撃った。

 回復術師ヒーラーがすぐさま回復魔法を宛がうが、状況は絶望的だった。

 威力が弱かったのか、ゴブリンにそれは通じなかった。

 少量の煙を発しながらも再び魔法術師、回復術師ヒーラーめがけてナイフを投擲しようとしたところを――。


「ぬぉぉぉぉぉぉッ!!!」


 グランは、力任せに剣を振り抜いてゴブリンの身体を二つに割った。

 その隙を、後方のオロチは見逃さない。

 神経毒のたっぷり詰まった牙が、グランの片腕に突き刺さる。

 身体に激しい電流が走ったかのような痛みが巡ると共に、意識が混濁していた。

 片目が潰れ、ただでさえ狭いグランの視界が、もっと狭くなる。


 魔法術師も、グランも神経毒でやられているなかで回復術師ヒーラーが怯えるように右往左往する。


「……不甲斐ないパーティーリーダーですまない。回復術師ヒーラー、お前だけでも逃げてくれ」


 最後の力を振り絞って、回復術師ヒーラーの逃げ場を作るグラン。

 こく、こくと震えながら頷く回復術師ヒーラーはすぐさま階層階段を登っていく。


「グランさん、らしくねぇじゃないっすか」


 ゴブリンの神経毒にやられて身動きの取れなくなった魔法術師が、苦笑いでグランに言う。

 グランの前にもオロチが今か今かと互いの頭部がコミニュケーションを取っている。


「……年甲斐にもなく、新人に八つ当たりした手前引けなくなった」


「相変わらず、プライドだけは高いおっさんなんですから……。付いてくこっちの身にもなって下さいって」


「……返す言葉もない」


「ま、充分楽しめましたし、満足でしたけどね。欲を言うなら、もーちょいあんたと上の景色見てたかったですよ」


 魔法術師が、死を覚悟した。

 狭い巣窟の中で次々とゴブリンが現れ出した。

 オロチも、意を決したとでも言うように牙からは体量の唾液が流れ出ている。

 ――その時だった。


「土属性魔法、土かまくら」


 階段上層から、一つの声がした。

 一斉に集まっていたゴブリン達が、突如出現した土のかまくらの中に投げ入れられていく。

 間髪容れずにその声は、再び魔法を放つ。


「火属性魔法――大火炎上バースト・フレイム!」


 瞬間、土かまくらの中を大熱波が襲う。

 ゴブリン達は土かまくらのなかで、襲い来る巨大な炎に骨ごと焼かれて消滅していった。


「何とか間に合いましたね、グランさん、無事ですか!」


 その声の主が、回復術師ヒーラーと共に現れた。


「……新人……、何故、ここに……?」


 グランは驚くようにその人物を見た。

 それは、今まさに第1階層で冒険者になるべく試験を受けていたはずの、ローグ・クセルその人だったのだから。

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