あなたが笑顔でいるために

 2日目。とある理由でいつもより登校が遅くなってしまった和喜は、息を切らしながら教室に入る。


「おは、よう……っ、高峰、さん……」

「…………」


 返事はないようだ。やっぱり今日は自転車じゃなくて車で来るべきだったかな、と和喜は考えながら荷物を慎重に置き、美加の元へ駆け寄る。


「どうしたの、高峰さん。具合でも悪かったりする?」

「…………」


 耳を澄ませると、泣いているような、嗚咽の混じった吐息が聞き取れた。


「どう、したの? 僕でよければ、話、聞くよ」

「……うん、お願い」

「じゃあ、顔あげてくれる?」

「それはちょっと……恥ずかしい、かな」

「そっか。じゃあ、これで顔、拭いて? 暗い顔だと、もっと不幸になっちゃうよ?」

「……うーん」


 和喜はポケットからまだ使ってないハンカチを取り出し、美加に渡す。その時に少し上がった顔からは、目の周りが赤くなっており、泣いていたことがよりはっきりとわかる。


「瀬戸君、念のために、聞くんだけど、さ」

「うん」


 顔を伏せたまま、美加は口を開く。


「今日って、弁当の日……だよね?」

「うん、そうだよ――って、まさか」


 その答えに辿り着き、美加をより強く見つめる。


「もしかして、べん――」

「弁当、家に忘れちゃった……」


 ある程度結末は読めていたので、心の中で「だろうな」と思う。

 

 和喜は自分で弁当を作ってきたし、確認もしっかりとしている。だが美加は遅くまで勉強をしているし、弁当も母親が作っているらしい。


 このまま見捨てる、という選択肢も無い訳ではなかった。だが、和喜は少しでも役に立ちたいと思っている。


「弁当か……今から電話して誰かに取ってきてもらう、とか」

「無理だよ、お父さんは仕事で海外にいるし、お母さんも急に仕事入っちゃって……しかも今気づいたから、今日が弁当だって言ってないし」

「えっ……それって」

「しかも、だよ? もし弁当が作ってあっても、だよ? 家、遠いから、今から帰ったら間違いなく遅刻して怒られちゃう……って、あ〜もーどーしよう!?」 


 和喜と美加の家は互いに近くにあるのだが、学校から自転車で片道30分はかかってしまう。

 そんなことをしている時間は無い。


「あー……っと」


 学校の最寄りのコンビニまでは1キロほどだった気がする。そこをうまく使えば、もしかして……この問題を解決できるのではないか。


「コンビニ、あるじゃん? そしたらそこで先生に買ってきてもらう……とか、どうかな。

 あーほら、僕今日自転車で来たから、僕のを使えば」

「あ! いいかも、それ! ……って、お金持ってきてない!」


 返答を受け、和喜の思考が加速していく。

 考えろ、何かいいアイディアは、と。


「瀬戸くん、お金って持ってる?」

「いや、無い。今、20円しか無い」


 何か、あるだろう。


「他の人から、小銭借りてカンパする、とか。これなら、すぐに集まると思う」


 一応他の人から少しずつおかずやお米などをもらう、という方法もあるが、そこはやめて置いた。


「うーん、返すの面倒だけど、借りてみるしかないかな、お金。ありがと」


 泣き顔から作った、ぎこちない笑顔が、和喜に向く。だが和喜は、より深く思考しており、一切見ようとはしなかった。


『借りる、とか……』

『返すの面倒だけど……』


 突然、セリフがフラッシュバックしてくる。まるで、テストが終わった時にちょうど答えが浮かぶかのような、そんな感覚。


「――ぁ」

「? どうしたの?」

「待って、高峰さん。僕に、いい考えがある」

「へ、どうしたの?」


 慌てて教室を出て行こうとしていた美加が振り返る。


「あー、何か腹痛てーな……っっ……」


 その隙を逃さないように、和喜はとっておきのハリボテを仕掛ける。


「――へ、どうしたの」

「やっぱ昨日の刺身がいけなかったか……っ」「え、具合……悪いの?」

「やっぱ無理してまで学校来るべきじゃなかったな」

「どうしたの、さっきまで、元気そうだったじゃん、瀬戸くん」


 普段であれば絶対に無視することなど無い、美加の言葉も、今だけは耳から追い出す。


「あ〜やべーな頭痛。もう倒れそう」

「大丈夫、瀬戸くん……って、うわっ!?」


 自分で自分の足を引っ掛けて、わざとらしく和喜は転ぶ。それを咄嗟の判断で受け止めた、美加。

「ちくしょ〜、弁当食いたかったけど、吐き気がして朝も入んなかったしな……家帰っても、どうせ捨てるだけかも、な」


 手で顔を覆い、表情が見えないように隠す。きっと今の自分の表情は、この場面には決してそぐわないものだろうから。


 苦しそうに喘ぐ様子を精一杯演じつつ、和喜は言う――次がきっと最後の見せ場だから、と信じて、勢いよく――。


「こうなったら、誰か弁当、食べてくんねえかな……?」


 ついに、絞り出せた回答。早く、次の言葉を繋げなくては。


「あ……高峰さん、弁当ないって言ってた……よね?」

「う、うん……そうだけど……?」


 和喜は立ち上がり、美加の方に向き直る。


「僕の弁当、救ってくれないかな」

「どう、やって?」

「僕は今日、具合が悪くて。すぐ家に帰って寝なくちゃいけないんだ。だから――」


 廊下から、クラスメイトと思われる人達の話し声が聞こえる。それが和喜の友人の声であることが分かると、歩きながらすれ違いざまにこう言った。



「僕の弁当、食べて」

「――ッ!!!」


 その時美加は理解した。

 どうして和喜がこんなわざとらしい演技をしたのか、という理由を。

 そのことが分からない美加では無かった。


「……ありがと」

「ん? 何のこと? ああそうだ、まだ渡して無かったね」


 和喜は鞄から弁当の包みを取り出し、押し付けるように渡した。美加が口を開く前に、鞄を背負ってドアを開ける。


「味は保証するよ。

 ……あ、でも不味かったらちゃんと言ってくれると助かる」


 そう言って教室から出て行った。

 少しすると、友達と喋り合っているのが美加から見える。


「…………」


「あ、高峰さん、おはようございます」

「おはざーっす」


 和喜の友達は、ドアの前で立ち尽くしている美加に声をかけた。いつもはそうするほど仲良くないが、今日は和喜からざっくりと説明されたので、なんとなく。


「……ぁ、おはよう」


 そして、わずかに残った涙の跡と――その手に持っている弁当から、残りを補完した。


「な、あれ」

「ほんとだ」


 友人は二人して顔を見合わせ、そして『和喜の友人として』口を出すことにした。


 「高峰さん。

 今は戸惑うかもしれませんが――アイツの優しさを、受け取ってやってください」

「オレらからも、よろしくお願いします。

 和喜は不器用だけど、それでもみんなが幸せになることを願ってやってるんです」


「それは……ありがとう。教えて、くれて」


 感謝の言葉を言えたところで、ある一つの疑問が浮かび上がる。


「ねえ、どうして和喜くんは、ここまで優しくしてくれるの?

 どうして誰かのために、ここまで自分を犠牲にできるの……?」


 二人は思わせぶりな表情をして、美加に言う。


「まあ、それはいつか、アイツから言ってくれるんじゃあないですかね」

「だから、その時を待っててやってください」


「その、時……」


 突然、教室に差し込む陽が強くなった。

 思わず二人は「うおっ」「まぶし」と目を塞ぐ。それを知ってか知らずか、美加は窓の外の景色を眺めた。


「……あはっ」


 少し笑って、美加は弁当箱に視線を移す。

 あまり見ていると、眩しすぎて目が痛くなってしまうから、と言い訳をして。


 そして――明日和喜くんが登校して来た時に、何を話そうかと考えを巡らす。

 その途中でそこまで和喜のことを考えていた自分が何だか酷く恥ずかしいように思えて、頬が染まる。


 和喜が求めていたものは、そこにあった。


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