ロング・フォーチュン

青木一人

ボーイ・ミーツ・ガール(2人は幼馴染)

 早朝、静かな学校。

 瀬戸和喜せとかずきは、自分のクラスのドアの前に立っていた。後は手をかけ、扉を開けて入室するだけ。


「すーっ、はーっ。すーっ…」

たったそれだけ。

 すでに中学3年生の冬を迎え、そしてほぼ何事もなく登校してきた《自称》普通の和喜にとって、それは当然の様に繰り返してきた行為。


「はぁーーっ……」

 それなのに、和喜は深呼吸を何度も繰り返す。

 動揺が見て取れる。酷く緊張している様だ。

 手は手汗によってベトついている。

 吐き出した息が白く染まるのを見て、もう冬なんだなぁと思考が現実逃避に走っていく。


「いや……そんなんじゃダメだっ……。

 これから僕は……っ、僕なりに向き合おうって決めたんだ」

 だから逃げるなと、和喜は自分に言い聞かせる。


 思い出すは、先日の調理実習。

 和喜はこれにより、疎遠になってしまった幼馴染と仲直りできたのだ。自分勝手な理由で遠ざけてしまった幼馴染と。


「……よしっ」

 思い切ってドアを開ける。

 そこには、成績優秀、品行方正、容姿端麗、明朗快活……などのありとあらゆる才能を兼ね備える、高峰美加たかみねみかが教科書とノートを広げて自習していた。


 その整った顔は僅かに歪んではいるものの、学校1の美少女と噂されるだけあって、和喜は可愛いと思う。


 集中しているのか、和喜には一切の視線を寄越さないため、思い切って和喜は声をかけることにした。


「お、おはよう、

 和喜がやっと口に出来た『おはよう』に美加が反応する。

「あ……! おっはよう! 

 この時を待ち侘びていたのかはわからないが、動揺と期待がごちゃ混ぜになった様子が声に出ている。


 2人とも微動だにせず、少し気まずい時間が流れる。和喜はなんとかしようと、美加の机に目を向け、思いついた話題を口にする。

「……えっと、美加さん、いっつも勉強してるよね。どこか目指している学校でもあるの?」


「あははっ。瀬戸君、もうあたし達中3だよ? 目標が無くたって、勉強しなくっちゃ」

 明るく笑う美加の視線が窓を刺す。つられて和喜も見ると、外には雪がチラついていた。

「もう、12月だね。もうあと3ヶ月くらいかな、入試まで」

「うっ……思い出しちゃった。

 ……あれっ、でも、3ヶ月か。意外と長いなぁ。――ところで最近寒くなってきたよな。風邪とか引いてない?」

「話題変わり過ぎでしょ! ……でも、あたしは大丈夫! しっかり対策してるから。受験当日にインフルとかなったら、目も当てられないよ。それにあたしの受ける高校、毎年倍率高いし。ただでさえギリギリなのに、そんなハンデ背負ってらんないよ」


 一瞬美加が窓よりも遠い場所を見たと思うと、すぐに振り帰り、和喜に向き直った。

「――でも、あたし諦めないから」


 そして、美加が突然ぱぁぁっと笑顔になる。和喜は、美加の、この笑顔が大好きだ。


「諦めてばっかりじゃ、何にも掴めないから! そして基本をしっかりと! それが、何かを得るためのスタートラインに立つ資格だよっ! あたしはその高校に、何があったって入る!」


「おお……カッコいい」

「……だって、制服が可愛いから!」

「――いや、そんな理由かい」

 和喜は少し、呆れた様に言った。


「うん、まあね……だからあたし、勉強しなくっちゃ!」

 別の日に和喜が聞いた高校名は、県内でも1番の偏差値と倍率を誇る、《夕日ヶ丘学園》だった。その事を聞いた時、和喜は住む世界が違うな、と思った。


「ところで、さ」

 探り探り、といった感じに美加が言う。

「ん?」

「瀬戸君は……どこ高行くの? その……あんま勉強してるようには、見えないけど」

「んー、……でも、僕は高峰さんみたく、なんでも出来るような人じゃないから、とりあえず近くの普通校探して受験するよ」


「それでいいの? 親は何も言わないの?」

「…………」

 和喜が口を塞ぐと、美加は何も言わなくなった。

 やがて美加がためらいながら口にした「ごめん」の言葉を受けて和喜は口を開く。

 悪いと思っているのか、美加の目線は下がり気味だ。


「こっちこそ、ごめん。でも、ちょっと触れられたくない話題……だから、そこは聞かないで欲しい……かな」

「……そっか」

 その答えに対して怒られているわけではないと感じたのか、美加が安心したような顔を見せると、、また次の話題を振ろうとした――が。


「……な。これだよ」

「え? ヤバくね!?」

「だからマジなんだって!」


「――ッ!」


 2人はすぐに自分たちの席へと戻る。

 聴き慣れたクラスメイトの声に背筋が凍る。


 これが2人の、調理実習後の朝。

 早く登校し少し会話をした後、クラスメイトの声が聞こえたらすぐにやめる。

 

 2人はこの限られた時間以外は滅多に話をしない――いや、できない。学校の中で無自覚に発生する“空気”と才能という見えない壁が、かつては仲の良い幼馴染だった2人の仲を切り裂いた。


 だからこそ和喜は、そして美加は――元通り、とは中々いかないまでも、昔のように会話できるこの時間が、たまらなく愛おしく、学校にくるモチベーションのひとつになっていた。

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