第23話 〈三日月の女神〉からの逃亡(一)
「ふふっ」
すると〈首なし〉、また笑いました。
「とうとうそこまでお気付きになられた」
あたしは身構えました。伯爵もどうやら、なにごとかを狙われているらしい。
「君は〈三日月の女神〉ごと、乗組の者もこの私も、手に入れる算段だね?」
「はい」
ここまでくれば〈首なし〉の奴、長年の仕事を成し遂げようとするこの大一番、小細工はせぬようで、そこは見上げたものです。
「私にシェリー酒は合わないことはご存知だね?」
「勿論」
「では、私のこれからの運命は、どのようなものなのかな?」
伯爵さまも、あまりあの杯を飲み干されなかったようで、それでご無事なのだとその時は気がやすまりました。
ところが。
「ここは船上。杯の力を借りずとも、あなたが逃れるすべはないのです、伯爵」
それは、あたしだって同じ。
妙なことを、と思ったところ、
「あなたが大蝙蝠に変じようと、狼に変じようと、海を越えることはかないますまい」
大蝙蝠。
狼。
なんのお話か。
何よりあたしの前で、大きな秘め事がありそうな、無用心な話ではないでしょうか。
「なるほど。その通りです」
伯爵は、眉ひとつ動きません。
「しかし、ひとつ申し上げねばなりません。
私は、宴のために〈三日月の女神〉をお貸ししましたが、船のこしらえものはともかく、お人形をこしらえるのは、承知してはおりませんよ?
それに私の変身が、その二つだけではないことをお忘れのようだ。
お佐登くん」
あたしはそのお声で心が決まりました。
「しっかと、お掴まりなすって!」
* *
ここは、伯爵の〈驚異の部屋〉。
「そこで、あたしは足下の床に〈天狗の抜け穴〉を開いて、伯爵とご一緒に下の部屋へ落っこちていったんです」
「なるほどね」
長い話を微動だにせず聞いていた、マーガレットがうなずきます。
「これで、ますます見えてきたわ。
やっぱり伯爵、軽はずみでしたね」
〈首なし〉が、もとは悪名高い錬金術師で、たちの悪い魔術に手を出してからというもの、あらゆる〈珍しい人間〉をああして玩弄し続けていたことを、風の噂でも聞いておいででしたろうに。
「まさか、私の船で。そう思いましたよ。そして私自身はともかく、大切な屋敷の者たちまで狙われていたとは」
「さっさと私たちに浄化されたほうがマシでしたね」
「まったく慚愧に耐えません。私の油断のために」
まあまあ、と、お佐登は間に入ります。なだめ役も、慣れてまいりました。
話の続きを聞きましょう。
「あたしは伯爵様といっしょに階下へ降り、〈抜け穴〉はすぐに閉めました。
この〈抜け穴〉、海を越えて出口をどこかの陸地にあけることができたら楽ができたのですが、そこまでの芸当はできず、せいぜい上下両隣。しかしこの場は役に立ちました。
階下は敷き布をしまう部屋で、さらにその床下へ抜けました。そこがちょうど、炊事場でした」
料理人たちの姿が見えません。
いや、一人おりました。
「あんた方、どうしたんだい? あっ、親分、いや、伯爵様」
「おや、ジム君じゃないか」
料理番の小僧、ジムでした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます