第22話 〈首なし〉の部屋(四)

「親方? 姐さん? どこからお話ししていなさるんで?」


 逃げろったって、ここは船の上。

 それでも逃げろとおっしゃるのなら、


(それは余程のことに見舞われているということ)


 なにが起こっていますやら、さっぱりです。

 しかもです。


「声だと?」


〈首なし〉までもが慌てはじめるじゃありませんか。先だってまでの様子はどこへやらです。


「全員、あの酒は口にしたはず」


 あたしがちょいとなめたきりの、あのシェリー酒のことでしょうか。


「あれっぽっちの酒が、利くもんかね!」

「そうさね! この宮千代姐さんはザルって呼ばれてたんだよ!」


 それにしても、どこから聞こえて来るのでしょう。


「〈三日月の女神〉号?」


〈首なし〉がそちらを向いたので悟ることができました。伯爵様を感心させた、あのこしらえものの船から、確かに声がするのです。

 あたしは構わず駆け寄りましたとも。


「お佐登!」

「親方!」

「……俺が心意気のつもりで……妙なやつをかしらと見そこなっちまって……」


 こしらえものの〈三日月の女神〉号の甲板には、小さな親方と宮千代姐さんがおりました。

 さきほどから、ずっとここからあたしを呼んでいたのです。


「姐さん?」


 姐さんの声が聞こえなくなりました。

 そこにありましたのは、よくできた姐さんの人形だったのです。三味線を背負って、一張羅の鷹の絵入りの着物を着て。

 この少しの間に、姐さんは人形になってしまったのでした。


「はははは」


 そこで〈首なし〉は、だしぬけに笑い始めたんです。


「ようやく効いたようです」


 そして、あたしの方を見ると、


「お前も、じきにこうなる。素晴らしい日本の人形に。世にも珍しい娘軽業人形にね」

「……逃げ……」


 親方の声も、だんだんか細くなります。


「これが最初からの魂胆だったのかい」

「もちろん」


 はるばる日の本で芸人一座を探していたのも、船で長旅をしたのも、パリーの万博に出たのも、みんなこのためだったのです。あたしたち一座どころか、あたしたちの芸を楽しみにするお歴々を集めたのも、伯爵の〈三日月の女神〉をお借りしたのも、奴の欲のためだったのです。

〈首なし〉が、親方と姐さんを品物のように軽々しく甲板の上に並べるのが憎らしかった。


(親方と姐さんに触るんじゃないよ)


 ほかの一座の仲間たちは、こしらえものの船の、大広間にいるのでしょう。

 あたしたちの一座だけじゃあない。たくさんのお客や、招かれたお大尽方も。みんな。同胞にまでそんなことをするなんて。


「どうしてこんなこと、するのさ」

「もともと私が大陸で、覗きからくりの評判を取っていた話をお忘れかな、お佐登」


 そうでした。大評判を取った人形の出し物というのは、覗きからくりのことだと。

 有名な戦の場面や、ふらんすのお偉い殿様が惨たらしく首をはねられる場面など、人形とは思われぬ見事な見世物だったと聞いていました。


「そんな」


 伯爵が上ずったお声で申されました。


「君の蒐集物は、このようにして手に入れたものだったのか」

「何をおっしゃいます、伯爵」


〈首なし〉はまた、あの憎たらしい笑いかたをします。


「あなたとて、どのような手だてで蒐集と見世物を長い歳月、お楽しみなされているのか。私とは気が合うと考えておりましたがね?」

「私は、君とは違うよ」


 伯爵のお言葉に、〈首なし〉はしばし黙りました。

 伯爵はお続けなさいます。


「そもそも、私をお招き下さったのも、このご自慢の模型を見せるためだけじゃあなさそうに思えてきましたよ」

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