第21話 〈首なし〉の部屋(三)
〈首なし〉の様子というのは、姐さんもご存知かとは思います。
身なりが立派で、ご当人も男ぶりがよく、なるほど芸人としても華がありますので、各地で評判を取ってきたという話もうなずかれるというものです。
その時も、お招きした皆さんの案内方にふさわしい、黒の上着に同じ黒のベスト、白の合着です。襟は立っていて、ボウタイを締めております。
下穿きの後ろの裾がすこうし長いのは、博覧会にいらっしゃる殿方によく見かけた形でしたので、あれは、ふらんす好みなのでしょうか。あたしはよくわかりませんが。
「これはこれは」
〈首なし〉は、こう申したのです。
「〈お佐登〉まで。どうした次第で伯爵をお連れすることに?」
「あの、さきほどから広間より人が減りますもので、みなさんどちらへ移られたのかと。あたしも伯爵様も気にかかるたちでございまして、こうしてふらりと」
「せっかく伯爵を驚かそうと思っていたのが、これで半分台無しだ」
「まあまあ」
あたしがちょいと叱られるような風になったので伯爵、助け船をくれました。
「私がついてきたのです。ご令嬢をひとり、船の中で迷わせては申し訳ないですからね」
「さすがは伯爵のお心遣い。〈お佐登〉、どうかね? 当地にもこのように優しいお人柄の方はいらっしゃるのだよ?」
毛唐(海の外を怖がる者はまだまだおりまして、無礼にもこんな呼び方をするんですよ)ばかりの知らない国へ行く、ってえんで、散々国元では騒がしかったのをお互い知っておりますから、なんだかそんなことをあらためて言われ照れてしまいました。
照れているときではなかったのですが。
「しかし人が減るとは、おかしな話だね。ここは船で、外は荒れている。そこで人が減ったとなれば、甲板に出て波にのまれてしまった、そんな考えになるじゃないか」
「まさか、そんな、」
「もちろん、そんなことはないよ」
慌てたあたしが可笑しいらしく、憎たらしい含み笑いをされました。
「みなさん、ちゃあんと船の中へおられますとも。安心するといい。伯爵ご所有の〈三日月の女神〉は、どこよりも安らかで、危険のない素晴らしい船なのだからね」
「そんなにお褒めいただくとは、恐縮ですねえ」
伯爵が鷹揚でいらっしゃるので、少し癪の虫も静まります。
「じゃあみなさん、お部屋へお戻りになったんでしょうか」
すると。
これまであたしは〈首なし〉の奴が、そんな顔をしたのを見たことがありませんでした。
なんという得意顔でしたでしょう。さきの含み笑いもですが、こちらなんぞ手のひらの虫っけらくらいに見ている、そんな顔です。
「そう。みなさん、それぞれ収まるべきところでおくつろぎだよ」
伯爵が、そこで怪訝なお顔をされました。
「〈収まる〉、とは妙な言い回しをされますなあ」
あたしも、えげれすの言葉も、ふらんすの言葉も、行きの船で覚えたきりのからっきしですが、その言い回しはこちらの流儀だったか、はてなと思いました。
その時でした。
「お佐登! お佐登!」
どこかから、親方の声がします。
「逃げろ!」
「親方? どこです?」
それに、逃げろとは、穏やかではありません。
「どこです? なんて、のんびりしたことお言いでないよ!」
宮千代姐さんの声までします。
「あたしたちのこたあ、どうでもいいんだ、早くここからお逃げ!」
何が起こっているのでしょうか。
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