慶応二年の船出から

第15話 娘軽業と天狗の抜け穴(一)

 あたしの話は、あちこちとっ散らかしがちですが、まあこらえておくんなさい(ト、人形は話しはじめました)。


 あたしは娘綱渡りお佐登さとで通る、軽業芸人でございます。いまのなりでは芸をお見せできず残念至極。

 まあ、それはそのうちのおたのしみ。

 姐さんは、あまり日本国になじみはございませんでしょうが、そう、サムライの治める、東の果ての国ですよ。

 今はそれでよござんす。先だってパリーの万博ではよくお尋ねされたもんで。こうお答えすると、すっと通りますもので、それでよござんす。

 なじみが薄いのも道理で、じつは、あたしのような芸人まで海を越えるお許しが出るようになったのは、このたびのこれがほとんど初めて、ってんですからね。まったく新参者で恐れ入ります。


 慶応二年というのがあたしの国のあの年の呼び方です。一昨年の話になりますね。

 あたしたちの一座は、ふらんす、えげれす、安南、清国、ほうぼうの国ではその名も知られた、というふれこみの〈首なし〉ってえ妙な通り名の男に目をかけられて、話の流れが良かったのでしょうね、お上の許しの書状もいただき、十月に横浜の港を船出いたしました。


 先にも話しましたようにパリーの万博へ出るその前に、こちらで少しは前評判を取ろうという、早めの出立をしたのでございます。

 長い船旅は初めてでした。

 途中で立ち寄る港や宿、会うみなさんも肌の色も違うしお互い珍しくてねえ。

 あまり受けないときもありましたが、それはそれで、知恵を出し合って、パリーへ向けての策を立てるのもなかなかそれまでないことでした。

 ありがたいことに、出会う人情はあまり変わるところはなく、あちこちでご親切を受けて、これは新しい土地で出し物をするのも面白い、と、楽しみにもなりました。船での稽古も面白かったですね。


「……で。

 その万博が、先日無事に終わりましたことは、姐さんもご承知と存じます」

「ええ。新聞にあった程度は」


 パリの万博。

 衆生に文明を知らしめる万博は何年かおきに欧州各地で開かれているが、今年はパリが会場だった。

 鉄の高い塔が建って、ほかにも大きな鉄の建物ができたとか。鉄の話ばかり聞いたような気がする。

 展示される新奇な発明品や、工芸品、中でも話題となったもののうち、たしかに日本から来たゲイシャやサーカスがあった。そのくらいはマーガレットも存じている。


(あのサーカスにいたのが、このオサト嬢)


 絵入り新聞ではもっと大勢の一座だったと思う。

 丸い桶の上での芸当、綱渡り、蝶が舞う手品、独楽回し、梯子や長い棒を用いた曲芸、ゲイシャの踊りなどが紙面には描かれていたはずだ。

 ただし今はたったひとりでこの姿。話はまだ続きがあるのだろう。


「あたしたちも、このたびはだいぶ見聞を広めさせていただきました」

「それより、気になる名前が出たわね」


〈首なし〉。


「え、名をお聞きしたことがある?

 そんなしかめっ面しちゃあ、別嬪さんが台無しですよ、姐さん」

「元からこんな顔さ。

 あいつ、わざわざ東洋まで回っていたのか。

 なんて話を持ち掛けてきたの?」

「清国やらいろいろなところで手妻やら人形の出し物をして巡ってきたが、いよいよ自分の腕で一座を率いてみたい。

 そんな持ちかけ方でしたね」

「なるほど。あなたが話下手なんてとんでもない。だんだん読めてきたね」


 言いながら、伯爵様の方を見ています。

 伯爵様は、知らないふりでよそを見ておられます。


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