第14話 空気伯爵と綱渡り人形(四)

 伯爵がマーガレットを招いた部屋といいますのは、あやしきところではなく、これまで大切にされてきた宝物を、屋敷を訪ねていらしたお客にお披露目する、〈驚異の部屋ヴンダーカンマー〉と好事家に呼ばれるものでした。

 硝子戸のついた飾り棚や、中を覗ける化粧箱などが天井も壁もおかまいなし、うず高くところ狭しと並んでいるのです。


●七つの海を制した船乗りが用いた海図

●東洋の薬師より買い取った、まるで人間の顔のように見える齢二千年の木の根

●やんごとなき婦人の嫁入り道具だったという、漆器の化粧台


「きりがないから、ご解説いただくのは遠慮いたしますよ」


 マーガレット姐さんがのっけから釘を刺すのに、伯爵、少し寂しそうなお顔をされた。


「そうだねえ」


 そして、さらに部屋の奥へと招かれて。

 硝子の箱に納められた人形が、そこにはありました。

 姐さん、それにどこか見覚えがあります。このキモノ。緑と橙と赤とで見事な牡丹の花模様。


「これは昨日、お砂糖菓子さんたちが屋敷に届けてくださった日本の人形です」


 その〈お砂糖菓子〉という呼び方。


 いえ、マーガレット、今は言わないことにしました。

 それより人形です。

 こうして箱に納められていると、見違えました。


「あれからまた、綺麗になされたんですね」


 昨日はそこまでよく見ておりませんでしたが、蝋人形館で見るような精巧な造りの、生きているような人形です。


「これで蝋製ではないのですから、東洋の細工物はじつに興味深く面白いものです」

「これをわたくしに見せて、どんなお話がおありになるのです?」


 そのときです。硝子の向こうから。


「ごきげんよろしゅう」


 耳を疑います。


「今日はまだ、月が丸いからね。昼間でも話すことだけならできるよ」


 そして聞き覚えのある声。


「夕べは、どうもごめんなすって」


 昨晩、廊下で会った、あの娘。


「今もとんだご挨拶で。不調法はご容赦、ご容赦」


 ただの娘ではないと、気配から考えてはおりましたが。


「こちらこそ、どうも」

「おや。もうお互い知っていたのかね」


 伯爵が安心しきったお声を出すので、なんだか可笑しい。


「いえ。少々顔見知りで」


 そもそも人形を届けたのだから、顔見知りもないですが言葉のあやです。


「彼女の件なのですよ。お呼び立てした訳は」

「まあ。

 でも、荒っぽいご用件だと構えておりましたので、なんだか力が抜けますわ」

「いえ? 荒っぽい用件ですよ?」

「……もう少し、お話を伺いましょうか」


 用意のよろしいことに、この日本の人形の前には椅子が並んでいたのです。


「これを」


 伯爵は、絵入り新聞を差し出しました。

 先日のパリ万博の模様を報せる内容です。


「ここにある、日本のサーカスですよ」


 コマ回し、手品、曲芸、綱渡り。

 物珍しく、おもしろく、大評判をとった、との記事。


「万博は終わりましたね? 伯爵も、お出かけなすったのでは?」

「そう。実に素晴らしいものでした。

 しかし、この一件を残してしまった」


 この一件、とは。


「この記事にある綱渡りが、そちらのご令嬢です。おサト嬢」

「サーカス? からくり人形の小屋では?」

「いいえ。立派な人間の娘であるところの、立派な芸人ですとも」

「……私が呼ばれたのは、彼女の身の上絡みですね?」

「ご名答。

 おサトさん、お話はできそうですか?」


 すると、硝子の向こうから返事があるのです。


「そうだね。あたしが自分で姐さんにお話しするのが筋ってもんだろう。

 ちょいと長くなりますが、ええと、」

「マーガレット」

「マーガレット姐さん。つまらない娘のつまらない話だけれど、ちょいと聞いてやっておくんなさい」

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