第12話 空気伯爵と綱渡り人形(二)
扉があき、廊下を進みます。家令や使用人たちの様子がまず、目に入ってまいりました。
おや。子供たちは、慌ただしかった昨夜には、気づかずにいたことが、今朝はしっかり目にとまります。
すれ違う使用人の誰もが、銀のブローチを身につけているのです。
形が決まっており、その者の職分を示すようでしたが、いずれもどこかに十字架が小さく入ることが決まりのようです。
なかでもどうも〈
家令は、十字架のみのブローチを胸につけておりました。ここは信心深い家風なのかと、そう子供たちはのみこみました。
「旦那様」
家令が扉を叩きます。
「マルグリット様と、小さなお客人のみなさまがお見えです」
入る許しが出ました。
「どうぞ」
さあ。
やんごとのないお殿様のご尊顔です。
(姐さん)
オリバーだけが、マーガレットの様子に気付いていました。
(そしらぬ顔だけれど。
手の中に、なにか忍ばせている)
ただ事ではなさそうです。
しかし、今の自分にはそれに対しどこまで身構えるべきなのか見当がつきません。
一歩。また一歩。
アラベスク模様の敷物の上をお行儀よく並んで前へ進んで。
D伯爵は、部屋の奥にお待ちです。
「これはこれは。懐かしいマルグリット。
それに、噂通りの元気そうな子供たち。
私の砂糖菓子さんたち、ようこそ屋敷へ」
なんと柔和な方でしょう。
子供たちは、ほっとしました。
お年を召した伯爵は、気取らない、けれど上質なウール生地の黒い部屋着をお召しで、見事な白髪は清潔そうに刈られています。
何よりも、優しい笑顔でお出迎えくださいました。
「こちらこそ、ご無沙汰をいたしました。伯爵様」
伯爵にはマルグリット、と、故郷での呼び名で呼ばれたマーガレットは、隙のないお辞儀をします。
それに子供たちも、練習した通りに続きます。
「なにとぞご無礼はご容赦を」
「なんの、なんの、お砂糖菓子さんたち。
長い間私のわがままで手を煩わせていたばかりか、今日このとき、ようやくご挨拶がかないました。無礼と不義理を申し訳なく思っておりました。
このたび、またひとつ相談事を抱えてしまいましてね。
無理な頼みごとを重ねることが忍びなく、せめて屋敷へご逗留いただきお話を申し上げようと、そう考えてのことだったのです。
夜半に呼び出しなど、また、呼び出した者らも礼を欠いた仕儀でお恥ずかしい次第。申し訳ない」
そうしてそれぞれに椅子をすすめてくださる伯爵を見て、子供たちはぽおっとしております。そんな。あんな警官どものことなど、忘れましたよ。
(伯爵様だというのに)
子供たちの知っている貴族たちときたら。
馬車の窓から何度ぴしゃりと閉じられたことでしょう。うっかり汚らしいごみ拾いのちびどもを見てしまった、とばかりに。
(なんてお優しいんだろう)
風変わりなお方だとばかり思っていたのです。
いつも届けるおかしながらくたを、いちいち喜んでご褒美をくださったのですから。
けれどそれは風変わりなためだけではないようなのです。それがわかったように思いました。
(それに比べて、あの親方と兄弟子たちの底意地の悪かったことときたら!)
トムなども、いつもはそんな親切な方など出会おうものなら、たちまち気安い口を叩いてあきれられるというのに、今は違うのでした。昔のことを思い出し怒りなどしながらも、気持ちはとても嬉しく、暖かくなってゆくのです。
(どうしよう。俺、ほんとうに偉くていいお方を初めて目の前で見る)
もちろん、強く優しいマーガレット姐さんを除いてのことです。
子供たちはこの初対面のご様子だけですっかり、D伯爵をお慕いするようになっていたのでした。
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