第14話 清々しい朝

 皆さんは、清々しい朝がやってきたと感じたことはありますか。いつもよりちょっと早い時間に目覚め、少しの眠気もなく、今日は良い1日になると心の底から感じることのできる朝。

 私はそんな朝を今日、ついに迎えたのです。


 窓を開けて、部屋に日の光と新鮮な空気を入れ、顔を洗って、外の景色を眺めた。先日のことがありありと脳裏に浮かんでくる。あの2人はもうどこかへ行ってしまった。どこか遠くへ。シルビアには想像もつかない所で、想像もつかないようなことを平然とやってしまう。そんな2人だ。

 2人はシルビアに様々なものを教え、残していってくれた。

 自分の知らない世界がまだまだあるということを、食事を楽しむ心を、そしておじいちゃんの元気な姿をまた見られるようにしてくれた。


 そんなことを考えながら、シルビアはもらった制服にせっせと腕を通した。厨房とホールを両方担当することになっているため、制服はコック服とは少し違うデザインになっている。全体は白が基調となっているが、シャツはうっすらと黒色になっている。

 隣の部屋から奇声が聞こえるのは、おそらくおじいちゃんがスクワット運動をしているからだろう。足の麻痺が治ってからずっとこの調子だ。あまりにも元気が良くなり過ぎていて、少々うざくなっているような、なっていないような。

 でも、これが今日からの私の日常。私の朝。

 踊る気持ちのまま、軽い足取りでシルビアは職場に向かった。


 大衆料理店『Bruto《ブルート》』


 それが、私が今日から働く店。

 真新しい外壁が、日の光に当てられて眩しく輝い──


「は……?」


 シルビアは口をあんぐりと開けて呆然と立ち尽くし、それから「ふっ」と爽やかに、何かを諦めたかのように笑った。

 

 皆さんは、清々しい朝を迎えたその日に、勤める事になっていたお店がボロボロに半壊していたことはありますか。

 私はそんな朝を今日、ついに迎えたのです。



────────────────────


「腕の調子はどうですか?」


「ああ、おかげさまで傷を負わずにやり過ごせたよ。ありがとうな」


「いえ、これも仕事の内ですから」


「一日隠して動かしてないから変な感覚はするがな」


 そのやり取りをぼんやりと眺めてると、入り口の扉が開いた。テーブルは目線だけをそちらに向ける。昨日の戦闘で壊れてしまったようで、入店を知らせるベルはならなかった。


「シルビア!」


 いち早く反応したのはミカエルだ。この店、ブルートの副料理長を勤めている。といってもテーブルとミカエルの2人しかいなかったので料理長、副料理長という役職は自然と割り振られたもので、あってないようなものだが。


「えーっと……」


「びっくりしたよね。昨日オーナーたちが少し暴れちゃったみたいで」


「あ、やっぱり、そうなんですね」


 入店するなりミカエルが駆け寄ってきてくれる。丸メガネが似合う頼れる先輩。

 オーナーたちとはつまりアカとクロの事だ。想定内であったので、シルビアは然程驚かなかった。

 ミカエルが座っていた場所を見ると、見慣れない男性がいたことに気付く。がっちりとした体形をしていて、顎髭が伸びている。目が合うと、「邪魔してるよ」と軽くお辞儀をしてきた。シルビアもつられて軽くお辞儀をした。よく見ると、どこかで見たことがあるような、ないような、とにかく初対面ではない気がした。


「こちら竜門所の所長のランゴルスさん」


 ミカエルがその人物を手のひらで指して言った。


「よお、バンダイ・ランゴルスだ。紹介の通り、そこのドンネル門を管理をしてる。まあ、嬢ちゃんとはこの前一度会ってはいるがな」


 シルビアは思い出した。アカとクロに連れられて『竜界』に行った際に通った竜門所で確かに顔を会わせている。


「その節はお世話になりました」


 わけも分からず連れていかれただけなので本当にお世話になったかは定かではないが、あの時が唐突な訪問だったのは確かだ。アカとクロにある程度迷惑をかけられたというくくりでは、シルビアとランゴルスは仲間でもあるかもしれない。


「ところで、所長はどうしてここに? まさかこの状態で店を開くつもりなんですか?」


 窓辺でゆったりとしていたテーブルにたずねる。


「いんや、今日はさすがに休みだな。今日はっていうか、急ピッチで工事しても10日間は休みになるだろうな。所長は腕を戻しに来ただけだ。昨日なんやかんやあってな」


 何があったのか全く分からないが、それもアカクロ関連であろうことは予測できる。テーブルのぶっきらぼうな説明不足に慣れているのか、代わってミカエルが説明してくれた。


「昨日なんやかんやあったのは事実。ランゴルスさんはオーナーたちに協力してあれこれやってたんだけど、少し流れで拷問を受けて指を折られたの」


「ゆ、指を!?」


「ええ。でも実際に折られたのは私が作った義手だから被害は無いに等しいけど」

 

 と、ミカエルはその義手をシルビアに見せてきた。本物としか思えないほど精巧に出来ていた。こんなものを作れるなんて初耳だ。シルビアはミカエルの顔を覗く。ミカエルはふふん、と笑って見せた。義手は話の通り指が折れている。それも4本。

 急に拷問などと言われて驚きはしたものの、義手であったのなら少し安心だ。何があったのかは多少ぼかされているが、それはシルビアのことを思ってくれているのだろう。これ以上自分たちの世界に巻き込まないためのせめてもの配慮なのだ。


「おかげで怪我しなくて済んだってわけだ。痛がる演技をする方が大変だった」


 ガハハハ、とランゴルスは笑った。ふくよかな体格に見合った豪快な笑い方だ。


「とにかく無事で良かったです。それで、そんな危ない目に合わせちゃった張本人たちはどこにいるんですか?」


 シルビアは厨房の方をちらりと見た。


「もうどっか行っちゃったよ。ねえミっちゃん」


 気だるそうだったテーブルがその話題が出た途端嬉しそうに答えた。その後、「ミっちゃん言うな」とミカエルに義手を投げつけられている。


「なんか『ここからが大事なところだから』って言ってたよ。だから後は自分たちだけでやるって。2人だけなら死なないからって」


 何をしようとしているのかは分からないが、たぶんかなり危険なことをするつもりらしい。


「あの2人には良くしてもらってるからな、何かあったらウチの所員も総出で手伝うつもりだ。嬢ちゃんも何かあったら遠慮なく頼ってくれよ」


 と、ランゴルス。その近くではテーブルが「俺はあまり手伝いたくない」みたいなことをぼそぼそと言っている。


「とにかく私たちは私たちのことをやりましょう。オーナーたちなら何があっても問題ないと思うし、とりあえずこの店を直さないと」


 ミカエルの言っていることに激しく同意し、とりあえず自分のやれることから始めようと、シルビアはほうきを取りに行った。

 あの2人なら絶対に無事に帰ってきてくれる。いや、ここに戻って来るという保証はないが、それでも帰って来た時に少しでもゆっくりしてもらいたい。だからまずはこの店をピカピカにする。何度でも帰って来たいと思えるように。



────────────────


 同時刻。

 海洋都市アルストラ。アルストラ水質研究所、地下5階、第4秘匿研究室。


 室名『第4水温管理室』


 入室したのはおそらく午前8時を少し回ったぐらいだ。


「結果は出たか?」


 扉を確実に閉めてからそう口にした。この場所には認識阻害の結界が張られている。さらにはアルストラに来た時にいつも寄っている料理店に、自身の気配を閉じ込めた輝石を置いてきている。近場にいるなら気付かれてもおかしくはないが、今は物理的に遠い場所にいる。万が一にも探知されることは無い。

 研究室の中にいた男は、椅子をくるりと回してこちらを向くと、手に持っていた書類をこちらに差し出してきた。


「出たよ」


 それだけ言うと、男は顔を両手で覆って上を向いた。手の隙間からため息が漏れ出す音が聞こえてくる。そしてその体勢のまま男は書類の説明を始めた。


「今回用いたのはシボリッチ生物特定法。ほとんどの生物が持っているある構造を分析して、その構造ごとの特徴から分類していく方法だ」


 男は姿勢を正すと同じ書類を机から引っ張ってきて説明を続ける。


「結論から言う。この配列はいままで見たことがない。つまりこいつは、分類上……ヒトじゃない」


「……どの生物とも違ったのか?」


「ああどの生物とも違う。通常のヒトの配列と似た部分はあったが、別の生物だってある程度は似る。それがシボリッチ生物特定法の出し方だからな。強いて言うなら──」


 そこで男は一度言葉を区切った。今から口にすることが馬鹿馬鹿しいものであると自分でも分かっているからだ。だが結果として出てしまっている。言う他ないとすぐに判断した。


「強いて言うなら、ドラゴンに近い。これが本当だとしたら、とんでもないことだぞ」


「そうか……」


「クロ。深く聞くつもりはない、聞くつもりはないが、こいつはなんなんだ? 今までかなりの生物の配列を見てきたが、こんなことは無かった。本当に人間なのか?」


 この結果が絶対というわけではないことは分かっている。これから数回かけて再び鑑定してもらうつもりではいる。だがこの結果が示したものは確実に彼に迫っている。


「分からない」

 

 ぼそりと口にした。


 本当に分からない。

 

 アカ、お前は何者だ。どこから来た。

 本当にお前を信用していいのか。


 お前は、何をするつもりだ。

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