第13話 凍ったままの肉料理は舌の上で脂がとろける

 まずは、野菜を煮る。

 ニンジンとジャガイモ、それからグルタムの実もすり潰して入れる。そして形が崩れるまで煮込んでいく。グルタムの実はすり潰すことで粘り気が増し、実が持つ特有の苦みも抑えられる。その状態で他の野菜と合わせると野菜それぞれの甘みを引き出し、自身のコクを強調することもできる。そして乾燥させればそのまま香辛料にもできる優れた食材である。


「レジェンキャロットの余り、使っちゃう?」


 鍋をかき混ぜながらアカが後ろを振り返る。


「ただ火を通すだけなら普通のニンジンとしても使えるからな。まあ、今回使う野菜に合うかどうかはやってみないと分からんな」


 答えたのはクロだ。手元の作業に集中しているため、顔は上げなかった。


「じゃあ別の鍋で煮ようか」


 アカはもう一つ鍋を出し、隣で火をかける。そして煮ている鍋から中身を半分ほど移すと、カゴから取り出したレジェンキャロットを適当に手で割り入れていく。


(レジェンキャロットってめちゃくちゃ固かった覚えがあるんだが……)


 と、テーブルは人知れず眉間にしわを寄せて引き気味にその様子を見ていた。


「テーブル。鍋よろしく」


 目線だけをテーブルの方に向け鍋役の交代を促すと、アカはいそいそと冷凍庫の方へ向かった。メイン食材を取り出すためだろう。


「まだ早くないっすか?」


「いや、解凍する前に包丁を入れておきたいんだ」


 アカのその返答にテーブルは頭の上にハテナを浮かべた。今回使う肉はとあるドラゴンの肉なのだが、珍しいことにアカはその肉を冷凍状態で持ち込んでいた。食材を冷凍する技術はだいぶ前から確立していてそれ自体は珍しいことではないし、その技術のおかげで食材の流通が活発になってかなり田舎にいても新鮮な肉や魚を手に入れやすくなった。

 しかしドラゴンとなると話は変わる。特殊な環境に生息していることも影響しているためかそれぞれの部位ごとに特殊な繊維を持っている場合が多く、ただ冷凍しただけでは鮮度を保てないことがよくあった。中には生の状態で数ヶ月放置していても一切鮮度が落ちなかったドラゴン肉もあったりと、そもそも他の動物と単純比較できるようなものではないのだ。

 アカとクロはドラゴンの肉を調理する際、できるだけ生の状態のものを使用する。下手に保存環境をいじると肉の状態を悪化させかねないからだ。


 アカは冷凍庫から取り出した肉の塊をまな板の上に置くと、すぐに包丁を肉の筋に沿って数回入れ、再び冷凍庫に戻した。


「あれ、もういいんっすか?」


「うん、あれでいいんだ。あんまり出しておくとからね」


 そう言い残し、アカは別の作業に取り掛かる。メインディッシュのドラゴン肉に付け合わせるスープを作っているクロ。その隣でアカはアークリヌスをさばき始めた。

 アークリヌスはドンネル町から程近くにあるアーク海に生息している海洋魚だ。銀色に輝く鱗と皮、3つの背びれと2つの腹びれ、それから鋭利な尾ひれを持っている。味はもちろん一級品。入手難易度もそれほど高くなく、アーク海域でアミを投げ入れれば必ず捕獲できるほどだった。ただし価格はかなり高い。入手難易度は高くないとは言ったものの、それは捕獲作業自体に対する評価であり、価格が高くなる理由は別にあった。


 アーク海は『竜界りゅうかい』にある。

 この世界において『竜界』というのは非日常であり、一般市民はほとんど意識すらしない。『人間界』と『竜界』という区別があるということすら知らない者もいる。それだけ『竜界』は危険な場所であり、それだけ人間の生活から切り離されて来たということだ。

 『竜界』で食材を調達する際は竜師に捕獲・護衛を依頼するというのが常である。中でも捕獲を依頼する場合、その依頼料は護衛を依頼する場合よりも相場が高くなる。

 アークリヌスの水揚げのほとんどが竜師への捕獲依頼が占めていた。捕獲自体のコストは低いものの、竜師への依頼の分の人件費が価格に上乗せされるため、自然と高級品に分類されてしまうのだった。


「その魚はどうするんで?」


 テーブルが訊ねる。


「身と内臓を取り除いて、皮と骨だけ出汁だしに使おうと思ってね。贅沢な使い方だから普段はやれないね」


 そう言ってアカは無邪気に笑った。


「身は当然後で食べるとして、内臓はどうしようかな。塩辛にでもしてみようか。旨味は十分あるからいけると思うんだけど」


「そうっすね。でもまあ、塩辛か……塩辛……」


 だがそこでテーブルがいぶかしげに眉をひそめ、一抹いちまつの不安を口にする。


「あれ、火通さずにいけるんでしたっけ? アークリヌスの内臓って、生だと毒があった気が……」


「……そうだっけ?」


 それを聞いてアカも首をかしげる。

 しばらく沈黙したあと、「まあ、それは後々調べるとするか……」という無言の同意を交わし、2人は再びそれぞれの作業に取り掛かった。

 厨房ちゅうぼうに差す日の影が、わずかに傾き始めていた。




──────────────────



「スピノール様、本当によろしいのですか?」


 腰を少し曲げ、耳打ちするようにスカラーがささやいた。

 標的は明らかに警戒を解いている。逃げようと思えば逃げられるし、不意を突いて襲い掛かろうと思えば襲い掛かれる。この場に見張りすら置かず、全員が厨房の方で何やら料理を作っている。スカラーにはなめられているとしか思えなかった。

 だがそんなスカラーの焦りをよそに、スピノールは黙って大人しく座っていた。店内の、普段食事を提供しているであろう場所にポツリと。

 しばらくしてスピノールが口を開く。


「座ってなさい。分かるでしょう。私ではもはや彼らをどうすることもできないのです」


「はっ、かしこまりました」


 スカラーはいさぎよく頭を下げ、後ろに下がり椅子に腰を下ろした。

 直属の上司であるスピノールが言うならばその判断に従う他ない。何より尊敬し、崇拝している。どんな状況であっても命令を遵守する意気込みはあった。ただ気掛かりなのは、スピノールが嘘をついているということ。

 スカラーは知っている。スピノールが本気を出した時の凄まじさを。さっきは本気を出す前に邪魔が入っただけだ。どういう力なのか術なのか、それは分からないが、あの黒髪が乱入してきた瞬間に全員の動きが止められた。それに遮られ力を発動させるタイミングが失われた。だが今はどうだ。この場には味方しかいない。敵は奥に引っ込んでいてこちらに注意を向けている気配すらない。今ならを、邪魔されることなく発動することができるだろう。そうすれば奥にいる3人をまとめて排除してしまえる。

 だがスピノールはそれをしようとしない。命令に逆らうつもりはないのだが、スピノールが言った「どうすることもできない」という部分は絶対に否定しなければならなかった。

 スカラーは部下の2人に出口を確保するように指示を出す。スピノールには戦意が無いとくみ取り、せめてこの場から安全に逃げられるようにサポートしようというわけだ。この行動を止めようとはせず、スピノールは黙って前を向いている。これが、スカラーが今取れる最適な行動であることをスピノールは理解している。スカラーは思う。やはりこの御方は忠誠を尽くすにふさわしいと。



 “ギィ”っと厨房の扉が開く音がした。

 スカラーと部下の2人は瞬時に戦闘体勢を整える。

 だがスピノールが左手を挙げてそれを制し、扉の向こうから現れる3人に訊ねる。


「料理ができたのですか?」


「ああ」


 2つの皿を持っているクロが答える。見れば3人とも両手に1つずつ皿を持っている。1人分にしては多いように思える。


「全員分あるのですか?」


 「もちろん」とアカが自信満々に答える。それを聞いてスピノールは後ろで控えていた部下2人に向かって指をくいくいっと動かし食事卓につくよう促した。持ち場を離れて良いのか、一瞬困惑の表情を見せたが、スピノールとスカラーの両名からの指示が重なった場合は当然スピノールの指示が優先されるため、ほどなくして席についた。スカラーが座っている後ろの食事卓だ。


 それぞれが座っている食事卓に料理が運ばれてくる。皿は2つ。1つはスープらしきもので浅めの皿に盛られている。もう1つはクロッシュと呼ばれる蓋が皿の上に置かれているものだった。まだ中身は分からない。

 料理を全員に配り終わると、アカとクロそしてテーブルの3人は店の奥の方にある食事卓にそれぞれ自分たちの分であろう料理を同じように並べてそこに腰を下ろした。


「メニューはスープと肉料理。状況が状況だからね、簡単なものしか作ってないけど味は保障するよ。肉料理の方は蓋を取ったら早めに食べてね。じゃあ、ごゆっくり」


 ちらりとアカとクロの方を見るが、依然として敵意は消え失せている。スピノールの耳をもってしてもそれを感じ取ることができない。それだけ上手く隠しているということか、それとも本当に全く敵意がないのか。


「毒などは入ってませんか?」


「うん。入ってないよ」


 嘘はついていない。心音にも表情にも変化は見られなかった。本当に毒は入っていないのだろう。そもそも毒殺するくらいなら最初に戦ったときに殺した方が早い。彼らの第二目標であるアルドレアとの面会、それが達するまでは橋渡し役となるスピノールをみすみす殺しはしない。そう思うことで腹を決め、スピノールたちは素直に料理を食べることにした。

 なにより、さきほどから漂っているこの香ばしい匂いに強く惹かれてしまっている。緊張が少し解けたこともあってか、かなり食欲も増してきていた。


 まずはスープから味見をする。蓋を取ったら早めにと言われている肉料理は後回しだ。スピノールが動き出したのを見てスカラー含め部下たちも警戒しつつスープを口に運んだ。


 口に近づけると自然と香りも強く鼻孔に飛び込んでくる。野菜や果物を思わせる清涼感、それでいて濃厚な魚介の香ばしさも兼ね備えていた。


「素晴らしい……」


 思わずこぼしたその言葉はおそらく誰の耳にも届いていない。それでも言葉にしたのは、この料理に対する礼儀だったのかもしれない。

 味わうまでもなく、この料理の完成度は非常に高い。だが実際に口にしなければ本当の評価は下せない。いや、なんとしても今すぐに口にしなければならない。スピノールは身にまとっていた気品などかなぐり捨てるようにスープを豪快にすすった。

 流れ込んでくるのは、スープのていをした味の爆弾だった。

 野菜のうまさ。魚介のうまさ。それらが濃密にからみ合い、舌にからみついてくる。濃密であるが、淡麗で、非常に澄みきっている。これほどのスープは竜廷料理人ですら再現できないのではなかろうか。そう思わせるほどの逸品だった。


 スープの具はシンプルのものだ。

 ニンジンらしき赤みがかった根菜。それが僅かに入っているのみ。

 だがそのたった1つだけ食材が、濃密なスープの中でも埋もれることなく自らの存在を主張し続けている。一口かじる、続けてもう一口。噛むほどにスープとはまた違ったうま味が溢れ出てくる。これまで多種多様な高級食材を食してきたスピノールですら食したことのない食材。おそらくニンジンであるということしか分からない。間違いなくニンジンの一種だろうが、明らかに普通のニンジンとは一線を画している。この食材をもしも計画栽培できるのなら、それだけで何代にも渡って尽きることのない財を築くことができるかもしれない。


 付け合わせ程度に出されたスープでこのレベルである。

 こうなるとメインである肉料理への期待も否が応でも高められてしまう。

 スープを飲み干し、その空き皿をテーブルの奥に置く。そして自分の前に肉料理が盛られているであろう皿を持って来る。クロッシュで蓋がされているため、まだ中は分からない。久しく感じていなかったワクワク感とともに、クロッシュの取手を掴んで、ゆっくりと料理を覗いていく。その光景にスピノールは目を見開いた。

 

 白い冷気とともに現れたのは真っ白に輝く塊肉のステーキだった。おおよそ肉とは思えないほど純白な肉質は、さきほどの戦闘で穴が開いた天井から指す日差しを強く反射している。目を細めながらよく見ると冷気はステーキそのものから発せられていることが分かった。だがその冷気は段々と納まっていき、次第にステーキからは湯気が立ち昇り始めた。これはいったい……。


「そのステーキはガルザードの肉をステーキにした特殊な料理だよ」


 スープをスプーンですすりながらアカがこちらを振り向く。


「ガルザードは知ってると思うけど、めちゃくちゃ寒いところにいるからね。肉は冷凍で運ばなきゃだし、油断すると常温で焼けちゃってすぐに固くなるんだよね。だから料理として提供するときは冷凍のまま調理して冷気と一緒に閉じ込めなきゃいけない。だから蓋を取ったら早めに食べた方が良いってことなんだ」


 説明し終わるとアカも肉料理であるガルザードのステーキの蓋を取り、しめしめといった具合に両手をすり合わせた。「お構いなく」とスピノールの方に手を挙げて合図し、目の前のステーキ肉にガブリついている。


 アカの言った意味は理解している。ガルザードは『竜界』でも特に寒冷なフィルジモ山脈に生息が確認されている冷種ドラゴンである。スピノール自身もその目で見たことはあるが、それは2mほどの子どもの死骸で、肉質は硬く、すぐに腐敗するような、とてもじゃないが食べようなどとは思えないものだった。

 その時のドラゴンが今、調理された状態で目の前にある。第一印象が死骸であったことはかなりマイナスに働いているが、あのスープを食した後ならばこのステーキもそれなりのレベルであると期待が持てた。


 常温ですら焼けてしまうというかなり扱いが難しく特殊な肉。包丁を入れてカットしたのだろうが、その過程もかなり労力がかかるであろうことが予想できる。さらには、それをどうして食べようなどと思ったのか。気になる所だが、それは今食べてしまえば全て分かるだろう。


 フォークでステーキを押さえ、ナイフで一口大に切り分ける。思っていたよりも柔らかく、するりとナイフが肉に食い込んでいく。肉汁は出ない。考えてみればそれも当然。なにせこのステーキは凍っている。常温で焼けるとはいえ、全てに火が通った状態になるまではまだ時間がかかるだろう。レアからミディアム、そしてウェルダンへと変化していくのもこの料理の楽しみ方の一つなのかもしれない。

 スピノールは一口大に切ったガルザードの肉を嬉々として口に運んだ。その瞬間、舌の上で肉が溶け出した。いや、肉の食感はしっかりと残っている。溶け出したのは──


あぶらか……!」

 

 肉が常温で焼けるのならば当然、その脂肪も体温でたちまち溶け出してしまう。つまり口に入れた瞬間に旨味のつまった肉汁が弾け飛ぶというわけだ。冷たさを感じた時間はほんの僅か。一度口に入れてしまえば溢れる脂と肉汁に意識が持っていかれる。

 「冷たい」

 提供される料理にとってこれほど扱いづらく、敬遠されるものは他にないだろう。

 料理は火を通して食べるもの、温かいまま食べるものという固定観念が足元からひっくり返される。それだけのインパクトがこの肉料理にはあった。


 後ろに座っている部下の方を見ると、スピノールと同じくこの料理にかなり驚いているようだった。スカラーにいたってはさっきまでの警戒が嘘だったかのように、周りを気にすることなくガルザードのステーキ肉をむさぼり食っている。

 前方に目をやるとアカ達3人はすでに食事を終えたのか片付けを始めていた。

 仮にも敵が動き出したわけであり、スピノールもうかうかしてられない。ステーキの残りを素早く口に放り、しっかりと味わいながらフォークとナイフを皿の上に置いた。


「大変素晴らしい料理でした」


「そりゃどうも」


「私がこれまで培ってきた食の常識がことごとく打ち砕かれた気分です」


 素直に感想を述べるスピノール。それは料理に対する礼儀であり、料理人に対する礼儀でもある。

 そして保留にしていた、彼らが持ち出した目的についての議論を再開する。といってもスピノールの中ではすでに答えが決まっていた。だから煩わしいやり取りは省きすぐに結論を口にした。


「十六竜議会第11翼、アルドレア・センドリクスとの面会を直属部隊『そう』筆頭スピノールの名の下に約束しましょう」


 スピノールはかしこまって胸に手をあて、アカとクロに向かって一礼をした。

 現状が自分では扱いきれない事態であることに変わりはない。それならばいっそ、アルドレア様に判断を委ねてみることにしたのだ。

 拳を交え、料理を振る舞われたスピノールにとって、アカとクロはもはやただの敵というにはあまりにもおかしな存在となった。

 アカとクロが脅威であることも依然変わりはない。それでもこの2人がアルドレア様に何を求めているのか、その先に何を求めているのか。この2人の思惑が何であるか、何を成そうとしているのか。スピノールはそれを見定めねば、見届けねばならないのだ。

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