第11話 雇われシェフの戦い方


 「やろうか」とは言ったものの、店の中で暴れられるのはいささか不本意だった。雇われシェフであるテーブルは借り受けであるこの店を壊されると働き口を失ってしまう。それにもう、ここは自分だけの場所ではなかった。

 だがテーブルの心境は敵には、今ここに攻め入っているスカラーにとっては関係のない話である。

 テーブルの目標は一つ。暴れられる前にスカラーを含めた敵3人を無力化すること。そのための布石も既に打ってある。あとはタイミングを計ればよかった。


「シッ!」


「おお」


 一秒にも満たない速度で大剣がテーブル向けて振り下ろされる。スカラーが振り下ろしたその大剣の軌道はテーブルの頭を正確に狙ったものだったが、だからこそ読みやすい。テーブルは体を左後ろにそらし、難なくその一振りを避けた。

 しかしそこに誤算があった。


「あっ……!」


 咄嗟とっさに避けてしまったことにより、振り下ろされた大剣が先日ワックスをかけたばかりのピカピカの床に向かっている。このままでは確実に穴が開いてしまう。テーブルはこれまた咄嗟にその軌道上に自分の左足を滑り込ませた。


「なんだと!?」


 スカラーは驚愕した。

 目の前の男は振り下ろした大剣をけたのみならず、なんとつま先でその剣撃を受け止めたのである。一瞬何が起きたのか理解できなかった。振り下ろした威力が完全にそこで止まっていたのだ。本来ならば今の一撃で勝負は決まっていたはずだった。情報を引き出さねばならないことも考慮して手加減はしていたが、それでも確実に意識を奪い去るだけの力は込めていた。

 スカラーは思わず数歩後ろに跳んで距離をとる。その勢いで周囲の食事卓が左右に押しのけられる。それを見て男が何やら慌てる素振りを見せたが、それにも警戒する。そして男に問いかけた。


「何をした?」


「何を、って言われてもな……」


 テーブルとしては何か特別なことをしたつもりはない。自分に向けられた刃を避けるのは当たり前だし、床に傷がついてしまう可能性があるならばその刃を受け止めるのも当たり前のことだ。

 しかしスカラーにとっては今起きた全てがおよそ信じることのできない異常事態だった。スカラーがその手に持つ大剣は、スカラーの身長の3分の2ほどのたけを持つ名剣である。その名を『黒龍剣こくりゅうけん』。とある1等ドラゴンの鍵顎かぎあごから創られた、現役の竜師ではスカラーのみが所有する唯一無二の刀剣である。


「とぼけるな! このつるぎはアルザードドラゴンの背鱗はいりんすらも断ち切ることができる。その剣を私の力で振り抜いたのだ。無事で済むはずがないだろう!」


 それをどうやって受け止めた、と。スカラーが言葉を続けるまでもなくテーブルは答えを口にする。


「特別なことは何も。無事なんだからしょうがないだろ。今のこの状況が答えだ。強いて言うなら体術ってところだな」


「体術……だと? バカを言うな。そんなもので私の一撃を!」


「いやいや、本当にそうなんだって……ってそりゃ信じねえよな。まあ興味があるなら後で教えてやるから聞きに来いよ」


「そうか分かった。お前はもう殺そう。これ以上口を開かれるとかんに障る」


 のらりくらりと煙に巻こうとする男に嫌気がさしたスカラーは本気で叩き潰そうと決心する。さっきの一撃を止められた理由はまだ分からないが、今度は全身全霊の力で剣を振るってやる。そうすれば、もはや止める止めないの話ではなくなる。この店自体を吹き飛ばしてしまうことになるだろう。

 スカラーは深く息を吸い、重心を落とした。それを見て部下の2人はさらに距離を取り防御態勢に入った。


「お前ごと、この店を潰す」


「それは困る」


「もう遅い」


 スカラーは万力を込めて剣を振りぬこうとした。だがその瞬間、突如として目眩めまいがスカラーを襲った。


「ぐっ! なんだ、これは……」


 同様に部下の二人も頭を押さえると、ほどなくしてその場に崩れ落ちた。

 スカラーの息もどんどん早まっていく。剣を握るどころか、立っている事さえできなくなっていた。

 消えゆく意識をどうにか保っている状態。

 スカラーを下目に、テーブルはゆっくりと椅子を引き、目の前に座った。


「勝負は最初から決まってたんだよ」


 スカラーはぐぐっと目線だけを男に向けた。それをするのが精一杯だった。


「店の中が煙で満たされてるのを確認した時点でお前らは引くべきだった。それかすぐに店ごと吹き飛ばすか、どっちかだな。良くも悪くもいい子ちゃんなんだよ、お前らは」


 テーブルはポケットから取り出したライターをカチャカチャといじっていた。


「いきなり殴りかかるべきだったな。まあ情報が足りてねえから話をしたくなるのも分かるが。それも込みで俺の想定通りだったわけよ」


 そう言ってテーブルは椅子から立ち上がる。そして煙草たばこに火をつけた。


「ご苦労さん」


 スカラーは薄れゆく意識の中、必死に懺悔する。そして安堵した。


(スピノール様申し訳ありません……スピノール様……。ああ……もう、そこに)


 テーブルはそこで初めて背筋を強張こわばらせた。何かが来る。目の前で転がる連中とは隔絶した力を持つ何かが。


 カランコロン、と入店を知らせるベルがなった。コールマンひげをたくわえ、赤い軍服を身に付けた男が自然な振る舞いで店に入ってくる。その立ち振る舞いには気品すらも感じられた。

 一瞬の間を置いてテーブルは気付く。その男がスカラーと同じ格好をしていることに。スカラー達はローブを身に纏っていたため、ちらりとしか見えていなかったが、確かに赤を基調とした軍服らしきものを着ていた。つまりこの男もスカラーと同じ所属の者であると推察できる。


 テーブルはすかさず煙草を一吸いすると、すぐに臨戦態勢に入った。こいつには本気を出さなければまずい。本能がそう叫んでいた。

 直後だった。軍服の男が視界から消える。対処を一つでも間違えれば、言葉通り命を落とすことになるとテーブルは冷や汗をかく。

 殺気に反応し、テーブルは上半身を後ろにけ反らせると、今度は右から繰り出される蹴りを素早くかがんで避けた。その体勢を利用し、相手の足を払おうとするがそれは避けられる。軍服の男は着地と同時に後ろに下がった。

 この間、僅か2秒である。


「ふむ」


 軍服の男はいつの間にか煙草を口にくわえていた。テーブルはそれを見て自分の煙草がなくなっている事に気付く。


「あっ! おま、それ俺の!」


「ええ、僭越せんえつながら頂きました。どうやらこれを吸っておかなければここの煙は少々体に厄介なようですので」


 そう言って軍服の男はスカラーの方に歩み寄る。そしてスカラーにも煙草をくわえさせた。その様子をテーブルは黙ってうかがっていた。

 軍服の男の脅威をテーブルは正確に読み取ろうとしていた。その脅威の本筋は、気付かぬうちに煙草を奪い盗る速さ──ではない。格闘の技術やセンス──でもない。煙草を奪ったその事実こそ、それを選択した判断力こそが脅威であった。このレベルの人間はそうはいない。


「俺はテーブル、テーブル・レイってもんだ。お前、何者だ? この煙に引っかからなかったのはお前で3人目だ」


「いえいえ、この者らが先に来ていなければ私も危なかったかもしれません。私はアルドレア・センドリクス様が直属部隊、『ソウ』筆頭のスピノールと申します。よろしくお願いいたします」


(アルドレア……⁈)


 軽く頭を下げるスピノールにテーブルは驚愕の目を向ける。

 『アルドレア・センドリクス』。この名を知らぬ者はいない。

 3つの国と8つの地域を治め、十六竜議会において第11の席に座する者。十六竜議会を構成する16名はそれぞれが頂点であり、その能力は人の域を完全に逸脱している。そして何よりも彼らを彼らたらしめているのがその『強さ』なのだ。

 純粋にして単純な戦闘力。

 『最強』

 それこそが十六竜議会に名を連ねる者の代名詞である。


(何でそんな奴の手下がここに来てんだよ! 話と違うじゃねえか!)


 テーブルは心の中で叫んだ。人使いの荒いオーナーの下で働いているとろくなことがない。今回だって「ちょっとストーカーっぽいのに追われてるから追い払ってくれ。その間は店の厨房で少し料理してるから、こっちには被害が出ないように頼む」「ちょっとめんどくさい奴らかもだからしっかりね」と言われただけだ。色々と要点が抜けている。ていうかそもそも何も説明してもらってないに等しいじゃないか。人使いが荒いなんてものじゃない。

 その心中とは裏腹に表情は一切変えず、平然と話を続けた。後々文句は言わなければならないが、今はまず目の前のヤバい奴をどうにかしなければならないからだ。


「ここに来た理由を聞かせてもらおうか」


 ぶっちゃけ冷や汗が止まらない。


「ふむ、聞いていませんでしたか。スカラーにはもっと交渉事の勉強をしてもらわなければないませんね」


「あー、まあ、そうだな」


 頭を押さえながらどうにか起き上がろうとしていたスカラーの方をちらりと見て同意する。確かにあの男は少し喧嘩っ早い。まあそれが悪いことというわけではないが、もっと喧嘩っ早くするか、もっと慎重にするか、どっちかに振り切らせないと使えるようにはならないだろう。


「この煙は貴方のものですか?」


 店内に漂う煙を指してスピノールがたずねる。


「ああ、元々はな。けど最近新しく見つかった成分も入れて強化してある。このレベルのものは今は俺一人じゃ作れねえな」


「そうですか。では、この煙草はいくつ持っているのですか?」


 「それは、ほら」と、テーブルは上着の内ポケットからごそっと煙草の束を取り出す。少なくとも20本はある。


「なるほど、用意も周到だ。それは周囲への被害の可能性も考えてのことですか?」


「まあそうだな」


 一瞬の沈黙を置いて今度はテーブルがたずねる。


「この煙と煙草の仕組みはもう気付いてるみたいだな。いつ分かった?」


「いつ、ですか。この場所に来た時からでしょうか。この煙の充満した部屋と倒れている部下、一人だけ平然と立っている貴方と手に持つ煙草。これだけの条件が揃えば誰でも分かりますよ。お答えしましょうか? この充満している煙が神経毒で、この煙草が解毒剤になってるのではないでしょうか」


 当たり前のことを当たり前に言った。そんな態度でスピノールは肩をすくめた。


「……正解」


 あまりにも正確に当てられたことで、驚きよりも面白くないという感情の方が上回った。



「さて、貴方とお話しているのも楽しくて悪くはないのですが、私にもやらなければならないことがあります。そこを退いてもらえますか」


 打って変わってスピノールの口調は鋭くなった。もはや時間的猶予はない。

 このまま戦って勝てるかどうか。こいつとるには準備が圧倒的に足りていない。


(なぜなら事前に説明されてないからな!)


 テーブルは再び心の中で叫んだ。今戦っても十中八九負ける。それは分かる。漂うオーラがまるで違う。取れる手は一つ。


「ギブアー-ップ!!」


 今度はしっかりと口で叫んだ。急に叫んだためかスピノールも少し驚いている様子だった。気でも狂ったのか、と目を見開いている。


 勝てないものはしょうがない。勝てないなら、勝てる奴に任せるしかない。

 叫んだ直後、“バンッ”と大きな音を立ててテーブルの後ろにあった扉が開いた。


「タイミング的には割とちょうど良いかな。まあ君にはもう少し根性見せて欲しかったところではあるけどね」


 不敵な笑みを浮かべながら赤髪の男が姿を見せた。テーブルは「それはすいませんね」と唇を尖らせている。

 

 何の駆け引きもなしに目的である赤髪の男が現れたことに驚くスピノール。そしてそれ以上に纏っている力の大きさにも驚愕させられる。


「何者なのですか? 貴方方あなたがたは……」


 その問いかけに赤髪の男は笑顔で答える。


「何者もなにも。ただの料理人さ、それも最高のね」

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