第6話 オウセンガニ

 一皿目を食べ終えるとすぐに次の料理が運ばれてくる。

 スープの入った大皿と、そのすぐ横にからかれたかにの足が3本。そしてもう一つ。おそらくスープに使われた蟹と同様のものだろう。調理が施されていないそのままの状態の蟹が堂々とテーブルに乗せられた。

 何やら見たことのない蟹が乗っているが……。


「オウセンガニをスープ仕立てにしました。身と一緒にお召し上がりください」


 その名を聞いた瞬間、セルゲイに戦慄が走る。


「オウセンガニ……だと⁈」

 

 聞いたことは、あった。だがそれはうわさ程度のもので、しかしそれも、実際に食しているのは上流階級のさらに上という話、まさに王族レベルのもにしか許されていない食材。選ばれた王にのみ姿を見せる蟹、故に「オウセンガニ」。

 それが実際に存在していたのみならず、今まさに自分の目の前にある。

 セルゲイはグルメとしての矜持をかなぐり捨て、そのスープに飛びついた。


「スープが輝いているようだ……」


(いや、これは実際に……)


 スープは輝いていた。天窓から指す日の僅かな光が当たることで、神々しいりを見せている。

 セルゲイは、恐る恐る、それでいて大胆にスープをさじですくうと、一気に口の中に流し込む。


「うまい!!!!」


 間髪入れずに反射的にそう叫んでしまう。

 蟹の旨味をこれでもかという程溶け込ませ、一般的に臭みと捉えられている海鮮独特の香りすら味方につけることで、濃厚なホワイトソースをベースにしたスープの完成度を底上げしている。冗談抜きでこれまでに食してきたスープの中で一番であると言える。

 そして、スープの旨味を際立たせているのは何と言ってもこの一面を覆っている油分だろう。スープに使うとは考えられない量の油が贅沢に使われている。

 しかしこれだけの油を使っているならば当然、口当たりが悪くなりそうなものだが、全く口重さやくどさを感じず、むしろこの油無しではスープ自体が成り立たないのではないかとすら思わせる。

 セルゲイではこの原理を説明することができない。そこで童心に帰ったかのように、好奇心溢れるこの疑問を、素直に口にする。

 

「この油はどういったものなのだ?」


「それはオウセンガニの油です」


 スープを食い入るように見ているセルゲイにクロが横から説明する。


「オウセンガニはその身に目が行きがちになる食材。味付けを必要としない上質な身と良質な出汁がとれる殻を目の前にすればそれも仕方ありません。ですが、我々はこのカニの身と殻の間に多量に含まれていた余分な油に注目しました」


 いやいや、目が行きがちと言うか目にしたのも初なのだが、とボヤきたかったセルゲイだったが、今はそれよりも話の続きの方が気になるため、ぐっとこらえることにする。

 クロは別皿に置かれたオウセンガニを持ち上げ、そのまま皿の上で甲羅を引き剥がしてみせる。すると引き剥がした瞬間に甲羅の隙間から大量の油がしたたり落ちた。普段口にするような蟹から油がでることはまずないだろう。成分を詳しく調べれば全くの無油むゆということはないだろうが、肉眼で確認できたり、舌で感じ取れるほどの油量は含まれていない。

 しかしオウセンガニには通常種の何倍、何十倍もの油が含まれていることが確認できた。それだけオウセンガニが特異特殊な食材でもあるということだ。


「しかし、この油をこのまま使うことはできません。物理的な意味で言えば可能なのですが、料理に使うとなると粘度ねんどが高すぎる上にコールニル酸という物質が多過ぎて人体に悪影響を与えてしまうんです」


 そう言った後、クロは「まあまだ世には公表していない情報ですが」とかすかに笑って付け足した。涼し気にさらっと言っていい情報ではないような気もするが、クロは特に気にしていない様子だ。

 この人達は何かがおかしい。ようやくそう気付いたセルゲイだったが、シルビアからしてみれば遅すぎるくらいである。もはやいくら驚かされるような事象が起きようともシルビアには受け入れる覚悟が出来ている。そう、自己暗示をかけているため何があっても大丈夫なのだ。


「その話からすると……一見この油を使うことにメリットを感じられないが、どうやってこれほどのスープを仕上げるまでに至ったのだ?」

 

「胃液を使ったんですよ」


 そう言ってアカが次の料理を運んできた。


「胃液……だと……?」


 セルゲイが驚くのも無理はない。もはや驚き疲れているほどだが、胃液を料理に使ったと聞いては驚く他あるまい。

 そのセルゲイを前にアカは説明を続ける。


「3皿目。メンドラゴンのグリルです。胃液はこのメンドラゴンのものを使いました」


 そう言ってアカは皿をセルゲイの前に置いた。当たり前のように運ばれてきたメンドラゴンのグリル。市場に出回っているとはいえ、その捕獲難易度と調理難易度の点からメンドラゴンの肉を使った品は現状、高級料理に分類される。通常なら驚く場面であるが今はなにより、胃液の話が気になり過ぎるため、まずはそっちを聞かなければならない。


「たしかに胃液ってのは本来、料理に使うものじゃないです。ただ、このドラゴンって生き物は特別でしてね、普通の動物では考えられないような働きをする部位を持ってたりするんですよ。その一つがメンドラゴンの胃袋、そして胃液というわけです」


「その……メンドラゴンの胃液が、オウセンガニの油を変化させるというわけか?」


「その通りです。メンドラゴンの胃液はこの油との相性がバッチリでして、何を隠そうこのメンドラゴン、主食がオウセンガニを含む甲殻類なんですよ。つまりメンドラゴンは他の生物が食べられないような油を大量に持っているオウセンガニもバリバリ食べちゃってるんですよ。そこに僕らは注目したわけです」


 するとアカは「じゃあ交代」と言って隣にいるクロの肩をポンっと叩き、厨房に引っ込んでいく。

 クロは呆れたように笑うと、意味をくみ取り話を続ける。


「この油の問題は2つ。もたつくような高い粘度、そしてコールニル酸による生物及び人体への有害性です。しかしあちらのアカが先ほど言ったように、メンドラゴンはオウセンガニを油ごと問題なく食しています。そこに疑問を持った我々はメンドラゴンの胃と胃液を徹底的に調べ上げ、メンドラゴンの胃液はこの油と反応してある物質に変化する、という性質を突きとめました。そしてその物質というのが──

 ──【コールシン酸】。1種の旨味成分です。」


「コールシン酸……? うまみ成分……?」


 セルゲイは聞き馴染みのないその名称に首をかしげた。食に関する知識はかなり頭に入れてきているつもりだったセルゲイだが、「コールシン酸」というものも「うまみ成分」というものも一切聞いたことがなかった。というか「コールニル酸」すら聞いたことがないのにそれが反応して「コールシン酸」になると言われても意味が分からない。


「それがどうして…………"うまみ"……?」


 セルゲイはその言葉の意味に気付く。


「うまみ成分とは、つまるところ舌でうまいと感じる元となるもののことか?」


「その通りです。旨味成分はある特定の物質に多く含まれている化合物で、その名の通り、料理の旨味の元になるものです。コールニル酸が多く含まれるオウセンガニの油をそのまま使い、メンドラゴンの胃液で反応させ、旨味成分であるコールシン酸に変化させたこのオウセンガニのスープはまさに旨味の塊です。それを踏まえてもう一度ご賞味ください」


 クロはそう言って頭を下げた。

 そして厨房に下がっていたアカが両手に皿を持ってこちらに戻ってきていた。


「どうぞ」


 そう言ってアカはシルビアの前に、コース料理の1皿目の月見鶏の香草焼きと2皿目のオウセンガニのスープ、そして3皿目のメンドラゴンのグリルを置いた。


「え、これって……」


 店で注文していない料理が勝手に運ばれて来たような感覚。

 シルビアは依頼主であり、依頼は「祖父の願いを叶える、祖父に料理を振舞ってもらうこと」。シルビア自身に料理を出してもらうつもりなんかなかった。


「まあ、一緒に楽しむべきだよね。絶対美味しいよ」


 戸惑うシルビアにアカが笑いかける。

 

 ――絶対に美味しい。


 それはシルビアにも分かっている。

 調理の一端を手伝う過程でも感じていたことだが、いざ目の前にすると、この料理たちの魅力はとてつもなく膨れ上がっていた。


「さあ、召し上がれ」


 そう促されてはもはや抗うことなどできない。


「い、いただきます!」


 シルビアは人目も気にせず1皿目の月見鶏にがぶりついた。


「おいしい……」


 鶏肉の旨味と香り、そして鶏肉にまぶされた香草のかんばしさが口の中で爆発する。

 シルビアはこんな絶品を遠慮していた数分前の自分を殴りに行きたい衝動にかられた。食欲に抗えないことは、アカとクロの2人と行動してきた中で嫌というほど感じていたはず。過去の自分は馬鹿野郎だ。

 そうしてシルビアは月見鶏の香草焼きを一気に平らげたのだった。


 そして2皿目のオウセンガニのスープにもすぐに飛びついた。

 油の旨味がこれでもかと前面に押し出され、カニの持つ元来の風味と油が絶妙に合わされた極上のスープだ。これまで食してきたスープの中で最も美味しいということは言うまでもない。これまで培ってきたスープのランキングを、縦一直線に容易くぶち抜いてくる。


「すごくおいしい……」


 スープの残りをゆっくりと流し込み味わうシルビア。


 それに合わせるようにセルゲイもスープを口に運ぶ。

 本当に美味しい。スープが喉を通ると同時に、心が澄み渡っていくようだ。

 そしてこの素晴らしき料理を、幸せそうに一緒に味わうのはこの世で唯一の愛すべき孫娘。

 

 その光景にセルゲイは人知れずにひっそりと笑みを浮かべた。

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