第5話 コース料理と月見鶏

「1皿目は月見鶏つきみどりの香草焼きになります。冷めないうちにどうぞ」


 クロが料理を給仕サーブする。

 シルビアの祖父の前に、一皿目が静かに提供された。

 横に座るシルビアは目を輝かせてその皿に、静かに歓喜していた。


「本日は全6品のコースとなっております。ごゆっくりとお楽しみください」


 静かに頭を下げてクロはすぐにその場を離れた。

 2人の時間を邪魔しないためでもあるが、今こうしている間もアカが1人で次の品の準備をしている。通常ならばアカかクロどちらか1人いれば事足りるが、今日は少し特殊な食材を扱っているため、どうしても同時にこなさなければならない工程が多くなってしまうのだ。

 しかし、その事情を客であるシルビアたちに知られる必要はない。だからクロはあくまでも優雅に、紳士然として給仕をすませた。それがプロである彼らのやり方なのだ。



「これは――」

 

 それは思わずこぼれた、静かな心の叫びのような声だった。


 セルゲイ・テルストル、59歳。平均年齢が60歳前後のこの国において、セルゲイはまごうこと無き高齢者だ。数年ほど前に悪くした足は、もうほとんど動かなくなっていた。命が尽きるのも時間の問題。周囲の誰もがそう思い、当然自分もそう思っていた。


 寿命には逆らえない。ならばせめて、残された時間の中でどうにかおじいちゃんに孝行してあげたい。だからこそシルビアは、思い出の料理をもう一度食べさせてあげるべくアカとクロに依頼したのだ。


 そんな2人の前に出された一品目。

 月見鶏を見たセルゲイの頭の中には昔懐かしい光景が浮かんでいた。


 9歳になる頃には鉱物を運搬する仕事をさせられていた。やりたくてやっていたわけではない。そうしなければ生きていけなかった。

 当時と比べると、現在は国も豊かになり、法も整備され、子どもに労働をさせることはほとんどなくなった。だが当時は子どもが働くのも当たり前のことだったのだ。

 セルゲイは二、三ヵ月に一度、父に連れられて大きな町に出かけることがあった。そして、そこで必ず立ち寄る小さな料理屋があった。

 特に安いわけでもなく、特に品揃えが多いわけでもない、普通の料理屋だ。他にもたくさん料理屋があったはずだが、父が行くのは決まってそこだった。父はよくそこの店員たちと話し込んでいた。当時のセルゲイからすれば十分大人に見えたが、父に比べるとずいぶんと若い娘たちだったと今にしてみれば分かる。

 そうやって思い返してみれば、その店に立ち寄っていた目的は、ただ父がその娘たちをナンパするためだったのかもしれない。

 だが当時のセルゲイにはそんなことは関係なかった。普段、贅沢などさせてくれない父が、その時だけは好きなものを注文させてくれた。口止めの意味もあったのかもしれない。

 セルゲイはそのひと時がたまらなく好きだった。

 自分で支度をしなくても注文さえすれば好きな料理が食べられる。家では滅多に使われない食材を使った料理の品々が並ぶ。

 そこでの時間を過ごせるなら、どんな仕事でも苦ではなかった。

 そして、そのときに必ず注文していたのが月見鶏を使った料理だった。



「――では、いただくとしよう」


 セルゲイはあの時の情景と重なる月見鶏にナイフを入れる。

 力を入れていないのにほろりと身がほぐれる。

 同じようでまるで違う。あの時食べた月見鶏とは比べ物にならないほど繊細で丁寧に調理してあるのが分かる。

 柔らかく、それでいて弾むような手応えを感じながら鶏肉をフォークで持ち上げる。

 そして口に運んだ。

 

「うまい!」


 噛む度に、口の中いっぱいに広がる鶏肉の旨味と香り。そして鶏肉にまぶされた香草がその香りを包み込み、ダイレクトに鼻孔を刺激する。

 どれだけ金と手間をかけたとしても、この近辺でこれと同レベルの品を食すことはまず出来ないだろう。グルメとして生きて来たセルゲイでもこれほどの料理にはそうそう出会うことはない。

 

「うまい! うまいぞシルビア! お前は食べなくてもいいのか?」


「うん、いいの。今日はおじいちゃんに楽しんでもらう日だから」


「そう……か。これほどの料理を食べられる機会はもうないかもしれんぞ?」


「ぐっ……」


 そう言われてしまうと、何だかすごくもったいないことをしてしまっているような気がするシルビアだったが、本来の目的を思い出しぐっと我慢する。


「……大丈夫! おじいちゃんは気にせず楽しんで! まだまだ料理は出てくるんだから!」


「そ、そうだった! このレベルの品が後5品もあるというわけか! これは俄然わくわくしてきたぞ!」


 次に出てくる料理に想像を膨らませながら、セルゲイは最後の1切れを、下に敷いてあったキャベツと一緒に口に運んだ。


「これは――」


 そこで感じた小さな違和感。キャベツの食感と塩加減、そしてその切り方には覚えがあった。


「これはうちの畑で採れたキャベツか?」


「うん、そうだよ」


「お前も料理これを手伝ったのか……?」


「……うん。でもやっぱり、料理の邪魔になっちゃったよね……」


「そんなことはない!」


 セルゲイはシルビアの発言をぴしゃりと否定した。

 セルゲイの感じた違和感は決して悪い方向のものではなかった。言うならば意外性によるもの。グルメとして生きてきたセルゲイだからこそ感じる、ごく僅かなものだ。

 通常、鶏肉に付け合わせる野菜には味をつけない。この近郊に限った慣例なのかもしれないが、鶏肉に濃い味をつけている以上、その付け合わせに使われる野菜は採れたものをそのまま使うのがほとんどだった。

 しかし、今回使われていたキャベツは、茹でた上に塩とさらに何かしらの調味料によってしっかりと味付けがなされていた。

 そして、それが意外なことにこの月見鶏の味と絶妙に合っていたのだ。キャベツの塩加減が3口目の味わいに新たな刺激をもたらしていた。

 そして塩味の加減、キャベツの切り方。それはセルゲイがいつも食べているものと同じだったのだ。



―――――――――――――――



 時は少しさかのぼる。


 アカとシルビアがセルゲイの部屋を後にし、調理場に戻ってすぐのことだった。


「シルビア、付け合わせの野菜と肉の切り分けをお願いしてもいいかな?」


 アカが唐突にそう言った。まるで当然であるかのように。


「え……どうして……」


 シルビアが問う。


「だって、結構料理できるでしょ?」


 シルビアはそこで悟った。この人達に隠し事をしていても無駄なのだということを。

 シルビアは、自身が料理ができるという話を一度もしていない。単純に訊かれなかったからというのもあるが、あとはたぶん、今回は特に、自分ができないことを人に頼むという行為に負い目を感じ、小さなプライドが抵抗していたのだ。

 それをアカは見抜いていた。

 だからこそ自然に、当たり前のように口にしたのだ。



「いつからですか?」


 シルビアは言われた通りに準備を進めながら、アカに訊ねた。

 料理ができるということをどうして知ることができたのか、いつから知っているのか。

 答えはすぐに返って来た。


「ん? ああ、気付いたのはシュクルードドラゴンを解体したときかな」


「え……?」


「ドラゴンの肉は普通に出回ってるわけだけど、ドラゴン自体が出回ることってまずないじゃん? だからそこらの人も肉には慣れてても、ドラゴン自体に慣れてるわけじゃないんだよね。だからあの場でドラゴンの腹をかっ開いて解体した時点で、普通の人だったらもうギブアップすることもあると思うんだけど、君は平然と見てたじゃん?」


「あっ」


 そういうことか、とシルビアは納得した。

 料理に携わる者として、牛や豚、鳥などの獣をさばく機会はしばしばある。最近になってからはドラゴンの肉も取り扱えるようになり、そのドラゴンを実際に解体している現場におもむくこともあった。


「あの状況だったらいつもは目隠しになるように配慮するんだけど……なんとなーくシルビアなら大丈夫かなーって思ってね。これも同じ料理人としての勘かな? まあ、その勘が外れて食欲が無くなっちゃってたら笑えなかったけどね」


 笑えないと言いながらもアカは笑っていた。


「あとはこの調理場を見た時だよね。この調理器具の手入れ具合と調味料の品揃えを見れば、かなり料理に入れ込んでるってことはすぐに分かるからね」


 隠していたわけじゃない隠し事だったが、アカはそんなのお構いなしにシルビアの小さなプライドごと笑い飛ばしてくれた。

 そして、天と地ほどの差があるにも関わらず、アカはシルビアのことを同じ「料理人」と言ってくれた。

 それが妙に嬉しかった。


 そしてシルビアは思う。この人達は本当にこういう人達なんだな、と。

 嘘や建前なんかじゃなく、本当にシルビアを一人の料理人として、そして一人の依頼人として扱ってくれる。

 ドラゴンを仕留められるほどの力を持ち、普通の料理人では到底たどり着けないほどの腕前を持っている。それなのにシルビアら一般人に対しても礼を欠かず、同じ人間として接してくれる。たまにこっちの都合にお構いなく急に空を飛んだりするが、それは置いておく。


 一日にも満たない短い時間の付き合いだが、2人の人徳はありありと伝わってきていた。

 こういう人達がこの国を、この世界を導いてくれるなら、それはどんなに素晴らしいことなんだろう。もちろん向き不向きはあるし、いくら強くて凄くても人の上に立つのは簡単なことではないことは分かっている。

 それでも、シルビアはささやかに妄想した。


 いつかアカとクロが世界中で、世界中の人に美味しい料理を振舞いながらみんなを導いてくれたらなと、そう考えるだけで、シルビアには十分だった。

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