第7話 思い出の品「メンドラゴンのグリル」

 3皿目に運ばれて来たメンドラゴンのグリルは、とても素朴な品だった。オウセンガニのスープを味わっていたときに運ばれてきたため、そちらまで気を回せていなかったが、ふと見るとその料理にはどうしても見覚えがあった。


「この料理はまさか!?」


 セルゲイは思わず声を張り上げた。

 メンドラゴンの肉をグリル、つまり直火焼きにした料理だが、この料理はまさにセルゲイが追い求めていたものだった。


「この料理を食べさせてあげたくて、2人に依頼したの」


 シルビアが言った。


「おじいちゃんアルストラに行った時に食べたドラゴン料理が忘れられないって、いつも言ってたでしょ?」


 そう、まさにこの品だ。

 シルビアがまだ幼かった頃、海洋都市アルストラで食べたドラゴン料理。

 ドラゴンの肉を使った料理が市場に出始め、話題になり始めた頃いち早く食べに行った。


「……だがあの時、お前はここで留守番をしていただろう。この料理のことなどワシの言葉でしか知らないはず。この料理をもう一度食べようと色々な伝手つてを使って奔走ほんそうしたワシですら辿り着けなかった。それをどやって……」


「私も必死になって探したの。でもどうしても行き詰まちゃって、諦めかけてたところでこの人たちを見つけてさ。そして依頼したの。それでねアカとクロは本当にすごいの! 空を走ったり、海を走ったり、それにドラゴンを1人で倒しちゃうんだから!」


 シルビアがまくし立てるようにそう言った。


 孫が必死になって自分のために動いてくれていたというだけで涙が出てくる。

 途中からよく分からないことばかり言っていたが今は気に留めないことにする。空を走るとか海を走るとか、ドラゴンを倒すとか、そんなのそこいらの竜師にも出来ない芸当だ。そんなことを突然言われてもセルゲイにはよく分からない。よく分からないことにしてそれ以上考えないことにする。

 今は何よりこの目の前の料理が優先されるのだ。


「シルビア、本当にワシのためにありがとう。お前はワシの誇りだ。シルビアと、全ての食材に感謝を込めて、さっそくだがいただくとしよう」


 『この料理を作ってくれた2人にも大いなる感謝を』とセルゲイは付け足した。


 見た目はまさにあの時のドラゴン料理だ。初めてその料理を見た時は鳥肌が立ったものだ。人類を脅かし続けていたあのドラゴンたちを、ついに人類が食すときが来たのか、と。

 そしてこのかぐわしい匂いもあの時と重なる。

 ここまでは全て同じだ。

 常日頃からこの料理を望んでいたセルゲイですら、あの時の断片的な記憶だけを頼りにここまで再現することは出来ない。セルゲイに調理の才があったとしても同じだ。アカとクロ、この2人には感謝と共にどこか恐怖すら抱いてしまいそうだ。


 果たしてあの味まで再現されているのだろうか。


 ナイフで肉をカットし一口大にした後、恐る恐る口に運ぶ。

 一噛み、二嚙み。肉汁は然程多くない。そして食感も幾分か硬かった。

 だが――


「こ、これはまさにあの時の……」


 二切れ目を口に運んでいたときにはすでに涙が出ていた。

 忘れもしない、あの時のあの味だ。

 一介の鉱石掘りから始まったセルゲイの人生。その後、鉱石と農産物の輸出入を行う小さな組織を作り上げた。あくせくと働き、たまの休みには様々な場所へと足を運び食事を楽しんだ。そして、組織が大きくなって運営が軌道に乗ったところでセルゲイは引退した。息子夫婦に全ての業務を引き継いだのだ。その息子夫婦の就任祝いとセルゲイの誕生日も兼ねて訪れたのが海洋都市アルストラだった。

 その時の心情と、初めて食べたドラゴン料理の感動が重なり、セルゲイにとってその旅は忘れられないものとなったのだった。

 しかし、あの時の感動をもう一度味わおうにも肝心のドラゴン料理に辿り着くことができなかった。当時の店が無くなり、料理を作っていた料理人はどこかに消えた。

 しまいには足を悪くし、出掛けることすらままならなくなってしまった。

 

 もはや諦めていた。諦めるしかなかった。


 しかし、あの時のあの料理が食べられなくとも、頭の中ではいつも思い出せた。

 それほどまでに渇望していた料理。それをついに食せている今、もはやセルゲイに残す悔いはなかった。


「良い人生だった……。思い返せば、仕事と食事の記憶がほとんどだが、ワシにとってそれが何よりの生きがいだったからな。改めて礼を言おう。シルビア、アカさん、クロさん、本当にありがとう。死ぬ前にとても素晴らしい思い出を作ることができた」


 しみじみとセルゲイは言った。

 それを黙って聞いていたシルビアは何とも言えない感情に包まれていた。

 半世紀を生き、次第に悪くなる足を抱えていると自らの寿命も見えてくる。セルゲイは覚悟を決めていた。そして最後の心残りも今ようやく果たすことができた。


 シルビアも本当は死んでほしくないと思っている。だが寿命には逆らえないということも分かっていた。セルゲイ本人が覚悟を決めているのに、言ってしまえば他人であるシルビアがうだうだと駄々をこねるわけにもいかないのだ。


 しんみりとした空気が流れる中、1人の男が平然とその空気を横切った。


「4皿目、『レジェンキャロットのグラタン』です」


 両手に皿を持ったアカはセルゲイとシルビア、それぞれの前に給仕サーブする。


 『レジェンキャロット』


 その食材をシルビアは思い出す。さきほど厨房で調理を手伝っていた時にアカとクロが扱っていたものだ。いわく、『レジェンキャロットはただの人参ではない。特殊な成育環境、特殊な採取方法、特殊な調理法によってある効果が発揮される食材』である。

 だがシルビアはそのことには触れなかった。それがアカとの約束だったから。それがレジェンキャロットの効能を100%発揮するための条件だったから。



「はて……レジェンキャロットとな? これまた聞いたことの無い食材だが、名前からすると人参ということかな?」


 セルゲイがそう問う。それにはクロがすぐに答えた。


「はい、レジェンキャロットは人参です。お孫さんから聞いた話によると、どうやら北部文化に造詣ぞうけいがあるそうですね。そこで北部都市セリトールの伝統料理であるグラタンとセリトール最北端にあるコダ山脈から採取したレジェンキャロットを合わせてみました。付け合わせの葉は同じくコダ山脈から採取したクシュルという植物です。北部料理代表のグラタンを特別に仕立てたものになります。どうぞお楽しみください」


「……おお」


 聞いただけで食欲がいてくる。

 セルゲイが北部文化にのめり込んだきっかけはそこに北部料理があったからだ。

 料理がおいしいのはもちろんだが、第一の理由は北部に古くからまことしやかに囁かれているある食材を探していたからだ。

 だがセルゲイはそのことをほぼ忘れかけていた。現地住人に聞いても、行商人に聞いても、確証の持てる情報は持ち合わせおらず、むしろその食材の話さえ知らない者がほとんどだったのだ。


 その食材のことを忘れていたのは一種の諦めから来るものだったのかもしれない。見つからないものを必死に探すよりも、純粋に料理や文化を楽しんだ方が残りの人生を有意義に過ごせるのではないかという合理的な思考による諦めだったのかもしれない。


 だから今この時に出された料理にも特に反応を示せなかった。それもそのはず。

 この時、アカとクロは情報を意図的に隠していたのだ。


「それでは──」


 セルゲイとシルビアは同じようにグラタンにスプーンを入れた。

 ホクホクと立ち昇る湯気からはホワイトソースの濃厚な匂いが感じられる。

 口元へと運び、二、三息を吹きかけるとちょうど良い温度になった。熱過ぎずぬる過ぎない絶妙な温度で調理が完成されている。


 そして一思いにぱくりと頬張った。


「これは、うまいな……」


「うん、すごくおいしい」


 2人は目を合わせ言った。


「濃厚だがすっきりした味わいだ。これを作り上げるには相当の下ごしらえが必要だったろう。いつも食べているグラタンと比べるとその違いは瞭然りょうぜん……。何と言っても、この人参が良い味を出している。甘みと苦みが噛むほどにこのホワイトソースと絡み合う……。こんな品、もう二度と味わえんかもしれんな」


「これを作ろうと思ったらどれだけの費用と時間をかけたらいいのか分からないよ」


 セルゲイとシルビアはそう言って空笑からわらった。

 そんなこんなで和気あいあいと食事を楽しむ2人にアカがしれっと口を挟む。


「いつでも食べれますよ」


「「……?」」


 セルゲイとシルビアはアカの発した言葉の意味が分からなかった。


「これからはいつでも食べれるようになるよ」


「い、いや……だからその意味が……」


 シルビアが首をかしげた。


「この近くに僕たちの店を出すんですよ。ほとんど顔を出せるか分かんないんですけど、僕たちが監修した料理を店で出すんです。もちろん店を任せる料理人もちゃんと実力を認めた方に頼んでますんで」


「と……言うことはその言葉通り……」


「今食べたものをまた食べられるってこと⁈」


「うん、だからそう言って──」


「本当か!」


 アカの言葉の直後、その嬉しさにシルビアは立ち上がりアカに飛びつくところだった、がその時──ガタッと椅子が倒れる大きな音がした。

 それはセルゲイの椅子だった。セルゲイは立ち上がった勢いで座っていた椅子を後ろに蹴っ飛ばしてしまっていたのだ。


 時間が止まったような感覚が部屋を包んだ。

 アカに飛びつこうとしていたシルビアは両足でしっかりと立つセルゲイの姿を見て思わず口元を押さえた。


「お、おじいちゃん……それ……」


「あ、ああ、あああなんだこれは! 歩ける! 歩けるぞ!」


 杖無しでは立つことすらままならなかったセルゲイが突如元気に両足を使って部屋を歩き回った。はたから見たら滑稽に見えるかもしれない。それでも構うものかとズカズカと歩き回るセルゲイを見て、シルビアは泣きじゃくりながら膝から崩れ落ちた。

 その様子を見てアカはすかさずしゃがみ込み、シルビアの肩に黙って手を置いた。

 そしてセルゲイがシルビアに駆け寄って来るのを見て静かにその場所を離れたのだった。


 


─────────────────


「うまくいったな」


 厨房に戻ったアカにクロが声を掛ける。


「ああ、レジェンキャロットの名前、存在をセルゲイが知っていたらこの賭けは失敗だった。ギリギリだよ」


 大きく息をくようにアカは笑った。


「さて、デザートの準備に取り掛かろうか」


 そうして2人はまた手を動かし始めた。

 これにて本日のコース料理もいよいよ終局である。


─────────────────


 レジェンキャロットの主要な効能はポリデノボイドによる四肢神経系の治癒。

 2人、主にクロが調査したところその効能は確かにあった。


 だが問題なのは、食べることはおろかその存在を知る者も極僅ごくわずかということ。つまりレジェンキャロットを見つけ、採取できる人間も限られるというわけだ。

 さらに厄介なのが、その効能を発揮させるに至るまでのプロセスが難解であるということだ。


 まず生息場所。

 レジェンキャロットは暑さに極めて弱く、気温の低い高所の山岳にしか生えていない。さらに、どうしてか北側の山岳でしか生息が確認されていない。調査不足という面もあるのかもしれないが同条件の場所を探しても南側では一切発見できなかった。


 次に採取方法。

 先ほど言ったようにレジェンキャロットは北側の山頂付近にしか生えていない。当然雪が降り積もっており、水が一瞬で凍りつくほどの気温になっている場所もある。極度に過酷な環境のため、常人が頂上付近まで登頂し採取作業を行うことはまず無理である。さらに可食部である主根から長く伸びている側根が土をがっちりと掴んでいるため、並大抵の力では引き抜くことすらできないのだ。


 次に調理法。

 レジェンキャロットは幻の食材であるため、その存在を知らぬ者がほとんであった。それゆえ、調理法など確立しようはずもなく、その効能ですら風の噂の域を出ていない。つまり本来であれば適切な温度管理の下、適切な切り込み、適切な時間配分を行ってようやく発揮される効能が、それを知らぬが故に十分に効能が発揮されてこなかったという訳である。


 そして最後に。

 レジェンキャロットに含まれるポリデノボイドを摂取する上での注意点として『レジェンキャロットの存在を認知はしているが詳しくは知らないという状態で物質を摂り入れなければならない』というものがある。レジェンキャロットの存在を完全に認知している状態だと無意識下にその効能を阻害する物質が体から分泌され、全く認知していない状態だと逆に効能を阻害する物質が分泌されないために、効能を十分に発揮できなくなる。

 要するにポリデノボイドの吸収を阻害する物質が多すぎても少なすぎても効能が発揮されないということになる。

 これはのちに、別の物質と合わせて摂取することで解決する問題なのだが、この時はまだ解明できていなかったため、回りくどく確実性のない方法が用いられていた。


 つまり、世間一般では存在すら認知されておらず、存在を知る一部の者ですら正確な活用方法を確立できていないのがレジェンキャロットの現状だった。


 しかしその現状を変えたのがアカとクロであった。



 下記は2人よって発表されたレジェンキャロットとその効能について、発見の偉大さと発見後の世界の状況について有志ゆうしによってまとめられた論文の序説である。


 『×××年に生息域が特定され、その成育方法と、相次いで発表された栽培方法によってレジェンキャロットは爆発的に世界に広がることとなる。これにより世界で手足等の麻痺疾患に悩まされていた数万もの人々がその恩恵を受けることができた。これはレジェンキャロットに含まれる有機酵素系化合物であるポリデノボイドが末梢神経の損傷を回復させる効能を持つためである。この発見は全世界において多大な影響を及ぼし、歴史上において最も偉大な発見のうちの1つとして後世に語り継がれるであろう。未だ名も知れぬしんなる偉大な研究者に、僭越せんえつながらこの論文をもって謝辞を送りたい。』

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