調子が狂う

 クライヴのことを考えると、確かに色んな感情が湧いてくる。

 でも、それは本当に結婚したいという感情なのだろうか。

 いや……結婚が前提にある時点で、それはもう好きということなんじゃないだろうか。だって、結婚が嫌じゃないってことじゃない? 結婚すら嫌だったら、そんな前提にならないし……。

 そう自覚した瞬間、顔が真っ赤になるのが自分でも分かった。

 こんな顔、クライヴには見せられない。どうしよう、どうしよう。

 焦っているときにタイミングよく、いや悪く? ドアが開く音。

「ハイネ、この書類を……って、どうしたの?」

 クライヴが戻ってきた。

 きっと、今までと同じように話しかけてくるのだろう。

 その一挙一動にドキドキする自信しかなかった。いや、どんな自信だ……? でも、そうなんだからしょうがない。

「な、なんでもないです!」

 私の返事は明らかに上ずっていた。

 これじゃあ、怪しいに決まっている。

「ほんと? 顔が赤いけど……熱でも?」

 クライヴが近づいてきて、私の額に手を当てようとする。

「だ、大丈夫です! お茶、お茶を入れてきます!」

 私は慌てて立ち上がり、執務室を飛び出した。

 お茶を淹れるティーカップを選びながら、深いため息。

 どうしよう。好きだって気付いてしまった以上、普通に接するのは難しい。

 でも、結婚……? そこまでは、まだ考えられない。

 お茶を淹れながら、私は考える。

 アカツキ様の言葉。クライヴの優しさ。そして、自分の気持ち。

 全部が絡まって、どうにも整理がつかない。

 けれど、一つだけは確かだった。

 クライヴのことが好き。

 その気持ちは、もう否定できない。

「よし」

 私は小さく呟いた。

 まずは、この気持ちと向き合うところから始めよう。

 それが、今の私に出来ることなんじゃないだろうか。

 お茶を載せた盆を手に、私は執務室へと戻る。

 扉の前で深呼吸。

「行くぞっ」

 今までと同じように、でも少し違う気持ちで――クライヴに会いに行こう。

「お待たせしました」

 出来るだけ普通の声を装って、執務室に戻る。

 でも、心臓の鼓動は収まる気配がない。

「ありがとう」

 クライヴの笑顔が、今までよりも眩しく見える。

 どうしてこんなにも違って見えるんだろう。気持ちに気付いただけなのに。

 静かにお茶を注ぐ。手が少し震える。

 これまで何度も同じ動作をしてきたのに、なんだか全てが新鮮だ。

「ねえ、ハイネ」

「は、はい!」

 慌てて顔を上げる。目が合ってしまい、また慌てて視線を逸らす。

「さっきから様子が……大丈夫?」

「え、ええ! 大丈夫です! 全然大丈夫です!」

 早口になってしまう。これじゃますます怪しいのに。

「そう? でも顔が赤いし……」

 クライヴが立ち上がって、また近づいてこようとする。

「本当に大丈夫です! それより、お仕事、お仕事が!」

 思わず大きな声が出てしまい、急いで口を噤んだ。

「……そうだね。仕事、しないと」

 クライヴは少し不思議そうな顔をして席に戻った。

 なんとか危機を脱したものの、この調子じゃ一日もたない。

 好きって気持ちに気付いただけで、こんなにも人は変わってしまうものなのだろうか。

 でも、不思議と辛くはない。

 胸がドキドキして、顔は火照るし、まともに魔法の本にも手につかない。

 けれど、この感覚は悪くない。

「ハイネ、この書類なんだけど」

「きゃっ!」

 突然声をかけられて、思わず変な声が出る。

「……大丈夫? 本当に」

「は、はい! 書類ですよね! 今見ます!」

 クライヴが差し出す書類を受け取ろうとして、また手が触れそうになる。

 ぎこちない動きで受け取って、席に戻る。

 私って、こんなに不器用だったっけ……?

 まるで、恋する少女みたい……。

 そう思った瞬間、あ、これって本当に恋なんだと改めて実感する。

 この先どうなるのか分からない。

 結婚の話も、まだ考えられない。

 でも、今はただ、この気持ちを大切にしたい。

 そっと、机の上の書類に目を落とす。

 文字が目に入ってこない。

 けれど、不思議と心は穏やかだった。

「っていうか、なんで私に書類が!?」

 そんなことにすら気が付かないくらい、心が浮ついているらしい。本当に良くない。

「いや、補佐官としてのものが少しあってね。ごめんだけど、名前だけ書いてくれる?」

「そ、そういうことなら……」

 なんだ。難しいことじゃなくて良かった……。

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