求婚

「……ご指摘の通り、私はクライヴ様の補佐官です」

 内心でめちゃくちゃ怯えながらも、冷静にその場はそう言ってのけることができた。……クライヴの名前が出せたから、言えることができただけなのかもしれない。灰音という己の名前を名乗る場面だったら、泣いていたかも。どうかな? いや、そんなことを考えている余裕はないんだけど。

「そうか。お前が……」

 値踏みしていることを隠さない視線が、とても居心地悪い。

 けれど屈するのはクライヴの顔に泥を塗るようなものだと思ったので、頑張って虚勢を張る。

「クライヴ様に御用でしたら、後にしたほうがいいですよ。今、書類と格闘中なので」

「いや、用があるのはお前の方にだ」

「私に……?」

 もしかして、サザミ様みたいなタイプなんだろうか。

 確かに普通の人からしてみればどうやって取り入ったんだと思うだろうし、無理もないかな。私だってズルみたいなものだと思ってしまうくらいだし……。

 そんな風に彼のことを考えていたら、目の前で跪かれて、手の甲にキスをされ……ん?

「え?」

「私と結婚してほしい」

「え、え?」

 意味が分からない。

 ドッキリかな? と思ってしまったけど、この世界にそんな文化はないだろう。

 いや……あるのかな? 

 私がこの世界について知っていることなんて、まさに氷山の一角だろうし……。

 けれどいつまで待っても、ドッキリ大成功の看板は来なかった。

 それどころか、真剣な表情の男性がずっとこっちを見つめてきている。ドッキリという雰囲気ではなさそうだ。

「異世界から来た者なのだろう?」

 痺れを切らしたらしい彼が、そう言った。

「ええ?」

 知っている人の少ない個人情報なだけに、思わず驚いてしまう。

「どうして知って……」

「父から聞いたのだ」

「父?」

「この国の、王だ」

「お、王様……?」

 そう言われて思い出されるのは、握られた手の感触。

「もしかして、この国の王子様……?」

「そうだ」

 そうか……。この国には、王子様がいるんだ。

 知らないこの国のことがまた出てきたわけだけど、驚きはあんまりなかった。もうこの世界での暮らしに慣れてきているのかもしれない。

 そしてそう言われると、その姿形にも説得力があるように思えてきた。

 だとしても、今行われていることにはまったく理解が追いつかない。

「だ、だとしたら私のような者に求婚をするなんて間違ってますよ」

「違う、お前でなければならないのだ。そう、占いに出ていた」

「占い……?」

 占いというちょっと怪しげな単語に、思わず顔をしかめてしまう。それが気に食わなかったらしい彼は、立ち上がって占いの正当性について説いてきた。そのあまりにも多い専門用語……というかこの国? この世界? 独自のワードは、私の頭を混乱させるには十分だった。

「なるほど、分かりました」

 だから思わずそんな言葉を口走ってしまった。ちなみに続くとしたら(まったく理解していない顔)だ。けれどそんな文脈が伝わるわけもなく、目の前の彼は「分かってくれたか!」と歓喜の声をあげて私の手を取った。綺麗な手だ、と思った。クライヴの無骨なものとは違う、男性の手……。

「ならば今すぐに婚礼の儀を執り行おう!」

「え、えっ!?」

「いや、なんで次から次へと僕の手から離れようとするのかな、キミは」

 そう言って現れたクライヴによって、王子様の彼から引き離される。

 瞬間、王子の纏っていた空気が冷たくなった。

「いや、えっと、私が離れていこうとしているわけではなく……」

「知ってる。……いくら王子といえども、人の補佐官を勝手に持っていこうとするのを許すわけないでしょう」

「やぁ、クライヴ。久しぶりだな」

 その口調には、サザミ様ほどではなかったが敵対心が滲んでいた。

 この人からも恨みを買っているんだろうか、クライヴは……。

「第一、名前すら名乗っていない人間がしていいことじゃないと思いませんか?」

 どこから聞いていたんですか、とは咄嗟に聞けなかった。

「……名乗ったら、渡してくれるのか」

「渡すわけないでしょう。ようやく見つけた、私だけの補佐官ですよ」

「ハッ、ただ選り好みしていただけだろう。私の占いでの結果としての求婚のほうが、よほど正当なものだ」

「早い者勝ちって言葉、知っていますか?」

「たまたま彼女の現れた場所が、クライヴの近くだっただけだろう。偶然を勝ち誇るなよ」

「おお、怖い怖い」

「私を舐めるなよ、クライヴ……!」

 そうして彼はどうするかと思えば……手につけていた手袋を、クライヴに投げつけた!

「決闘だ!」

 ……その決闘の申し込みの仕方、この世界にもあるんだ、と現実逃避に思ってしまった。

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