悲観的には慣れたもの

 本を読みながらも、クライヴの動向を注意して見ていた。しかし彼は集中していて、一度も顔を上げなかった。書類と格闘しているのだろう。

 だから私は、ひたすら本を読んでいた。

「……ふぅ」

 読み終わって、一息つく。私がお茶を飲みたいくらいだ。後でクライヴが飲むとき、一緒に飲めないかな……とか思ってしまう。

 それくらい、まったく内容が分からなかった。

 初歩の初歩の本って言われたのに、本当に? と何度も確認したくらいだ。けれど随所に可愛らしいイラストが入っており、難しい単語などがないことから、やっぱり初歩の本なんだと思い直すのを繰り返した。

 まず2つの世界の間には、違いがありすぎる。常識すら違うのだ。今まで現代日本の高校までの勉強を少なからずしてきた私にとって、慣れるのは時間がかかるのは間違いない。これなら転生してきたほうが良かったと思ってしまいそうになるが、それはそれで本当に死んでしまう感じがして嫌な気もする。

 こんなんじゃ魔法なんて使えるのは、相当頑張らなきゃ無理なんだろうな……いや、相当頑張ったとしても無理かもしれない。

「何をそんなに悲観的な顔をしているんだい?」

「ひえっ」

 いきなり話しかけられて、思わず変な声をあげてしまった。しかも弾みで、本が手から離れて落ちていく。クライヴはそれをなんでもないように拾って、そして笑った。

「クハ……ハハハ……」

 呆然とする私を見てしばし笑うものだから、なにかしてしまったのかと自分の体を見てしまう。

 何もない、よね……?

「キミはかわいいね」

「か、かわいいねってそんな」

 まさかそんなことを今言われるとは思わず、私は動揺を隠せない。っていうか、本を無事に拾ってもらったことを感謝しなきゃ。

「言葉の通りだよ?」

「か、からかわないでください」

「からかってなんかないのに」

「からかってないとしたら、余計に悪質ですよ……」

「悪質って何、ひどいなぁ」

 クハハと笑いながら言っているので、きっと気まぐれの一環なんだろう。そうに違いない。

 私は同じく笑ってその場を乗り切ることにした。

 そして素直に、本を拾ってくださってありがとうございますと告げる。彼は一瞬だけ不思議そうな顔をしてから、うんうんと頷いた。

「っていうか、休憩ですか? お茶、淹れましょうか……?」

 お茶を淹れるということすらどうやってすればいいのか分からないので、段々小声になってしまった。しかし、クライヴには聞き取れていたらしい。「うん、ちょっと疲れちゃった」と言って、ほぐすように腕を伸ばした。

「えっと……すみません。淹れ方を教えてくれませんか? 次回から、言われなくても出来るようになりますので……」

「そんなに畏まらなくてもいいのに。教えてないことが出来ないのなんて、当たり前じゃない?」

「え、あ、そ、そうですね」

 咄嗟に頷いてしまったが、当たり前かどうかは分からなかった。

 教えられていないことでも、自分で調べたりして出来るようになっていた方がいいからだ。……それはもう、痛いくらいに分かっている。

 それなのに今の私は、どうしてクライヴに甘えているんだろう。クライヴはそれを、甘えとも思ってなさそうだけど……だからこそ、余計に甘えてしまう。良くないって分かってるのに。

「それじゃあ、キッチンに行こうか。簡易的なものだけど、隣に備わっているから」

「あ、はい……」

 あんまり深く考えても仕方ないと頭から考えを振り払って、クライヴについていく。

 案内された先にあったのは、確かに簡易的なものだったが豪華なものだった。現代だったら、美術館に飾られていそうだった。というかこの建物が美術館そのものだから今更か。いやでもそれを考えてもこのキッチンは豪華だぞ? と思考がグルグル回ってしまうほどだった。

「ハイネ?」

「は、はい!」

 名前を呼ばれて、思考が現実に戻る。

「お茶はね、こうやって淹れるんだよ」

 ……こうやって将官様にお茶の淹れ方を実演してもらうことの貴重さったら。

「なるほど……」

 そのやり方は古典的で、ティーバッグがあったらいいのにと思ってしまうものだった。けれど、そう上手くいくものでもないだろう。私に技術力とか交渉力なんかがあれば、ティーバッグというものをこの世界でも作れたのかもしれないけど……ただの高校生にそんなことは出来ない。

 そう考えると、なんで私が異世界転移したのか分からなくなってきてしまう。もっと特別な、何かの才能を持っている人が転移したんなら、何か意味がある気もするのに。私じゃまるで……世界に必要なくなったものを別の世界で処分しようとしているみたいだ。今はクライヴのおかげで処分されずに済んでいるけれど……いつ、処分されてしまうか分からない。

「うえっ、え?」

 両方の頬を触られている感覚に、思考が強制的に現実に引き戻される。

 ……クライヴが、私の両頬を触っていた。

「どうしてそんなにも、悲観的な顔になるのかな?」

「にえっ、う、あ」

 クライヴはどこかつまらなさそうに、私の両頬を触り続ける。その手は書類と格闘していたからか、温かかった。

「キミはこの世界にいるのに、まだ別の世界に苦しめられているの?」

「……しょういうわけでは」

 頬を触れられているので、間抜けな返事になってしまう。それはクライヴにとってツボったようで、しばらく笑ってしまうことになった。

 その間も触られたままなので、なんだか変な気持ちになってしまう。

 ……不快じゃないのも、変な気持ちだ。

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