お誘い

「それじゃあ、明日は市場に出かけようか!」

「え?」

 クライヴは仕事に行き、私は一日のほとんどをベッドで横たわっていた日の夕食。

 その途中で彼は、楽しそうにそんなことを口にした。

 本当にニコニコとしているので、それが逆に怖い。怖いけれど、詳細を聞かないわけにもいかないだろう。聞かないまま、よく分からないことに巻き込まれても困る。

 いまだに慣れないフォークとナイフを、一旦テーブルに置いた。

「あの、市場ってどういうことですか?」

 もっと詳しく話してもらえるように、問いかけてみる。

「こっちの世界に来てから、ずっと忙しかっただろう? 息抜きのためにも、城下にある市場を中心にちょっと散歩してみようかと思って。どうかな?」

「城下の市場、ですか」

 ゲームでは、あまり馴染みのない場所だ。

 革命軍のみんなが主人公のゲームだから、そう簡単に城内に入れるわけもない。

 背景として出てきたのは、屋台らしきものが崩れ去った後だった気がする。

 それも、革命軍が勢いをつけていよいよ城を攻め入るって時だったからなぁ……。

 けれど息抜きと言うくらいだから、今は市場として機能しているはずだ。

 どんな物が売っているのか、純粋に興味がある。ゲームでは描かれなかったものも、きっと多いだろう。

「行ってみたくはありますが、大丈夫なんですか? 補佐官だというのに私、まだ何もしていませんが……」

 このままだとサザミ様が言った通り、取り入ったと思われても無理もない。

 私ならともかく、クライヴが変な噂を……いや、彼のことだから既にたくさんの噂が飛び交っているだろうけど、私のせいでさらに増やすわけにもいかない。

「心配いらないよ。きちんと実績を示してきたからね」

「実績?」

 そう言う彼の表情は、いつも以上に自信に溢れていた。

「そう。いつもの倍以上の仕事量を終わらせてきたからね。それも君が屋敷で待っていると思えたおかげで出来たんだ。ありがとう」

「そ、そんな……」

 それは、ただ単にクライヴが今まで力を温存していただけじゃないだろうか? 

 私のおかげだと言われても、まるで実感がない。

 それどころか、却って気を遣わせてしまったとすら思ってしまう。

 私はどうすればいいのか分からず、目線を下げた。申し訳なさでいっぱいになる。

 普通の仕事も出来るか分からないのに、補佐官だなんて……。

「補佐官としての仕事は、これから覚えていけばいいよ」

 突然の真横からの声に、私は驚く。

 クライヴがいつの間にか、真横に来ていた。彼は私と目線を合わせるように膝をついて、ゆっくりとささやく。

「まずはこの世界の楽しさを知ったほうが、やる気につながるんじゃないかと思うよ」

「楽しさ、ですか?」

 そんな可愛い理由が彼から出てくるとは思わず、驚いた。

「そうそう。僕は最近市場の方に行ってないから分からないけど、部下たちのしている雑談で、美味しいお菓子や可愛らしい装飾品があるというのは知っているんだ。そういうの、ハイネも気にいるかなと思って。どう?」

「楽しそうだとは思いますが……あ、お金!」

 そこで私は、肝心なことに気がついた。

 お金がなければ、買い物なんて出来ない。

 この国の周辺で使われている通貨の単位がビリスであることは知っているし、実物が載っているスチルも見たことがあるけど、持ってはいない。無一文だ。

 ……ぶっちゃけ、日本円だとしても金欠でほぼ無一文に近い。

「私、お金がないです」

「そんなこと気にしないで」

 すぐさまクライヴが首を横に振る。

「プレゼントだよ。喜んでもらえたら嬉しいから」

 そんな言葉が返ってくることは、なんとなく予想していた。

 ここまで、この世界での最高水準で衣食住の面倒を見てくれているんだ。

 それもすべて、大切だと思ってくれているから……いわゆる巨大な感情を、私に向けているからなんだろう。

 どうしてだかは分からない。

 それに、きっとそれは私が向けられていいものじゃない。

「……私は、自分のことがあんまり好きじゃないんです」

 口から、自然と言葉が出ていた。

 嫌いだと思ったこともないけど、好きだと思ったこともない。

 だって、好きになれるところがないんだ。

 そして、嫌いになってしまうのは悲しい。

 ……だからきっと、本心では嫌いという一言で済むんだろう。それすらも言えない私は、なんて愚かなんだろうか。

「だから、クライヴがここまでしてくれる理由が本当に分からないんです」

 言い終わる前に、クライヴは私を抱きしめた。その力はとても強くて、今すぐにでも潰されてしまいそうだ。

「この世界に来て、まだ不安ばかりだろう? 理由なんて考えなくていい。いくらでも、僕を頼ってほしい」

 耳元で聞こえる声からは、どこか焦りを感じさせた。

「そんな……ハイネに自分のことが好きじゃないだなんてことを言わせる人間が、向こうにはいたってことなのかい? ……僕が手を下せないのが、本当に悔しい」

 いや、言葉からするに、彼の言葉に込められているのは怒りなんだろう。

 彼は、本当に悔しいと思っているんだ。もしも彼が手を下せていたら、一体どれだけの人間が犠牲になっていただろうか。

 ……いや、誰も犠牲になんてならない。

「違います。私が勝手に、私を嫌いだって思っているだけで」

「それでもだよ。自分を好きになれないだなんて、そんな悲しいことはない。ハイネは綺麗だし、優しいし……何よりこんな世界に来るだなんてとんでもないことが起きても、自分に出来ることはないかと考えられる。こんなに素晴らしい人間、他にいないっていうのに」

 怒涛の褒め言葉にたじろく。もはや私のことを言っているかどうかも分からない。彼の視線が私を貫いているから、きっと私のことなんだろうけど、それでも。

「そう言ってもらえるのは、すごくありがたいことです。だけど……」

「……だけど?」

 何か、否定の言葉を続けようと思った。けれど、何も思い浮かばなかった。彼の言葉に込められている熱に、圧倒されてしまったのかもしれない……。

 それに私の言葉を途中で遮った彼の表情は、真剣そのもの。ここまで言われているのに、断るのは申し訳ないような気がしてきた。こちらの物に興味があるのは事実なんだし、かわいいアクセサリーなんかを手に入れられたらやる気も上がる、はずだ、きっと。

「やっぱり、市場行きたいです」

「本当に?」

 クライヴの顔が、一気に綻ぶ。

「はい。クライヴ様のご厚意に甘えます」

「ふふ、いくらでも甘えてくれて構わないよ」

 クライヴはそう言うと、私の側から立ち上がって、座っていた椅子に座り直した。彼がフォークとナイフを手に取ったのを見届けてから、私も再び手に取った。だけど、そこからはあまり食べられなかった。

 明日が、半分楽しみで半分不安だ。

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