取引

「……ッ!」

 思わず立ち上がりかけたが、理性が私を踏み留まらせた。

 そう思われるのも、仕方のないことかもしれない。

 なんせあのクライヴが、いきなり補佐官に抜擢するくらいだ。この国の人なら、真っ先に取り入ったと思うだろう。こうやって真正面から聞かれるまでそんな発想に至らなかった私は、平和的な価値観で生きているんだ。

 そんなにすぐ、価値観は変えられない……。

 こんな風に真正面から聞いてくれるザザミ様がいなければ、何も知らないまま人と接してしまっていただろう。それを考えると恐ろしい。

 何よりそう思われたまま他の人と話すなんて骨が折れそうだと、これからのことを憂えてしまう。ただでさえ、憂えることばかりなのに……。

「アイツが生きている人間相手に入れ込むなんて、取り入ろうとでもしなきゃ考えられない。いや、実際は取り入ろうとしても、アイツにはなんの意味もなかった。クソ、ちょっとは動揺しろっての……」

 その口ぶりからするに、取り入ろうとしたことがあるらしい。

 思わず苦笑してしまう。そんなエピソードは、さすがにゲームにはなかった。けれどあってもおかしくはないくらい、光景がありありと浮かんでくるから不思議だ。

「で、どうなんだよ?」

「と、取り入ってなんていません! よくしてもらってるのは事実ですけど、そんな……そんなつもりは微塵もありません!」

「じゃあなんでこんな短期間で補佐官に抜擢されてるんだよ!?」

「わ、分かりません……!」

 一応サザミ様から安易に手を出されないためにとは言われたものの、そんなこと本人の前では言えない。

 それにきっと、クライヴの中ではそれだけではないんだろう。それ以外の理由となると、私には想像出来ない。

 分かりませんと口にし終わってから、サザミ様に強めに反論してしまったという後悔がまた襲ってきたが、サザミ様はなにも言わずにずっと私を見つめてくるだけだった。その目は、どこか揺らいでいる……。

 え、揺らいでいる? どうして?

「そ、そもそもですよ。なんでサザミ様は、そんなに彼を敵視しているんですか?」

「は?」

「ヒッ」

 どうして分からないのか分からないとでも言いたげなサザミ様からの疑問符に、私の口からは悲鳴が漏れ出る。

 聞くべきじゃなかったという言葉が、私の頭を反響しながら埋め尽くす。もしかしたら、将官への反逆罪で投獄……あり得る!?

「……アイツが狂ってるのは、近くで見ればより深く分かるだろう? いつ王に敵対して、この国を滅ぼすか分からない」

 混乱する私をよそに、サザミ様は冷静に答えてくれた。

 その冷え切った口調は、私も冷静にさせるに充分過ぎるほどで。

「そうかも、しれませんが……」

 冷静になった私は考える。

 たしかに、クライヴは残虐な人だ。ゲーム内でも明らかな異端人物として描かれていたし、あの夜の出来事と男の怯え方からして、それはこの現実でも確かなことなんだろう。

 けれど、だからといって王と敵対しようなんて考える人じゃないと思う。

 彼の望みはきっと、この国の崩壊ではないはずだから。

「いえ」

 私はかぶりを振る。

「クライヴ様は、国を滅ぼそうだなんて考えませんよ」

「それはお前の……クライヴの下でしか生きていけないお前の、楽観的な考えじゃないのか?」

 サザミ様の顔に、苛立ちが浮かぶ。

 それに怯んでしまいそうになったけれど、グッと堪えた。

 これは私に度胸があるわけじゃなくて、いざとなればクライヴが助けに来てくれるという安堵感から来る余裕だ。

 そう。

 私は、クライヴの下でしか生きられない。

「それもあります」

「だったら」

「でも、彼ならいつでもこの国を滅ぼすことが出来ます。けれどしていない」

 私はサザミ様と目を合わせているふりをしつつ、そのおでこを見て恐怖心を和らげる。いや、和らいでいない。青筋が明らかに浮かんでいるので、怖いのは何も変わらない。

 そういえばクライヴは助けに来てくれると言っていたけど、どうやって私の危険を察知するんだろう? ここは確かにクライヴの屋敷だけど、すぐ近くにいるんだろうか?

 既に事切れた後に来るなんてことは……ないとは言い切れないし、怖くなってきた。けれど今更、言葉を取り下げるわけにもいかない。どちらにせよこの世界に来た時点で、死とは離れられないんだ。美味しいご飯が食べられただけでも、幸せだと思わないと。

「ならば国を滅ぼす意思がないのは明白なのではありません……か……」

 サザミ様が、手元にあったスプーンを曲げた。それは手品のようにかわいい曲がり方ではなく、力任せによる暴力的なものだ。

 私の口からは、悲鳴も出ない。

「ヨリと同じことを言う! どいつもこいつも!」

「ヨリ……さん?」

 その口から出てきた人物名に、ちょっとだけ呆気に取られる。

「ああ、ヨリも同じことを言っていた。クライヴは国なんてものに興味はないってな」

「そうなんですね……」

 なるほど。

 だからこそ、大きな争いには発展していないのかもしれない。ヨリさんまでもがクライヴを警戒していたら、もっと緻密で大胆な策を繰り出しているだろう。そうなると、流石のクライヴも骨を折らしていたかもかもしれない。ヨリさんを相手にするのは、それくらい恐ろしいことらしいし。

 ゲームだと仕様上、全然そんなことはなかったんだけど……。

「だけど私は、どうしてもアイツを信用することが出来ない」

 サザミ様は俯いてそう言う。

 その姿からは、苦悩が見て取れるような気がした。クライヴに関わっている以上、苦悩していない人のほうが少ない気もする。

「信じられないのは仕方ありませんよ。人間って、相性がありますし」

「相性?」

 顔を上げたサザミ様が、私の方を怪訝そうに見つめながら問い返した。

「はい。サザミ様はクライヴ様とは相性は良くないかもしれませんが、ヨリ様とは相性バッチリじゃないですか!」

「あ、当たり前だろ! わざわざ言わなくていい!」

 ザザミ様の顔が、一瞬で赤く染まる。これは怒りではなく照れだと思うと、内心でニヤニヤしてしまう。

 照れるところはしっかり照れるサザミ様は、美しいしかわいい。

「というか、異界出身のやつが知ったような口をきくな!」

「ご、ごめんなさい!」

 怒られたので、反射的に頭を下げる。

 調子に乗りすぎた! どうしよう! さっきは覚悟が決まってるって感じてたけど、やっぱり死にたくない! まだ美味しいご飯食べたりしたい!

「……なんで、そんなにまともなんだよ」

 サザミ様はこちらへ足を踏み出して立ち上がりかけたけど、やがて不服そうにして座り直した。

 ……明らかに不服を訴えかける瞳に、思わず首をかしげる。

「ま、まとも、ですか?」

「あんなのに気に入られてるから、てっきりお前もどっかおかしいのかと思ったよ。でも、全然そんなことはない」

 私は、彼女の話を黙って聞く。

「そもそも昨日いたヤツらはアイツ程におかしくはなくても、どこかがおかしいヤツらばっかりだ。私だって、普通じゃない自覚くらいあるよ」

「それは……」

 思わず口を出してしまった私に、サザミ様は静かにと目線で訴えてきた。普通じゃないことに対して、何も言わなくていいってことなんだろう。

「……」

 言われたくないのも、あるのかもしれない。

「でもお前からは、異界出身だってことを差し引いても普通の気配しか感じられない」

「それって……」 

「殺意とは無縁の、普通の気配だ」

「……はい」

 殺意とは、無縁の人生だ。

 殺したいと思ったことはあっても、やはりそれは明確な殺意とは言い難いだろう。嫌いだという言葉の、最上級の言い換えに近いかもしれない。実際に殺そうとしたことはないし、殺されそうになったこともない。

 平和な価値観で生きれる世界で、私は生きてきたのだから。

「だからアイツの元でお前みたいなのが危険な目に遭うのは、いくらなんでも可哀想だ」

「可哀想?」  

 どうしてそんなことを、サザミ様が思うのだろう。

「さっき言ってたよな。アイツから施されないと生きていけないからって」

「はい。それは紛れもない事実です」

「それは裏を返せば、施してくれるんなら誰でもいいってことだよな?」

「ん?」

 そうなる……んだろうか? 確かにたまたまクライヴが施してくれているだけで、他の人が同じようにしてくれたら、その人に従っていたかもしれない。かもしれないけど、誰でもいいっていうわけじゃ……うーん……。

「悩むんなら提案する。私の下に来ないか?」

「え?」

 そういう話の流れでした!?

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