問い
「ふぁ……」
目が覚めた。うーん、昼間と比べてももっとよく眠れた気がする。良かった。
……え?
「おはよう。ゆっくり眠れたかな?」
目が、覚めてしまった。
「お、おはようございます。おかげさまで、ゆっくり眠れました……」
「そう。それなら良かった」
目の前ではクライヴが、にっこりと微笑んでいる。彼は絶えずこちらに笑顔を向けながら、閉まっていたカーテンを開けた。
室内に入ってくる、眩しい自然光。
た、大変だ。いつの間にか、朝になってしまっている……!
どうやら星の話をぼんやりとして、そのまま眠ってしまったらしい。
どうしよう。昨日のうちに話しておかなければと思っていたことがあったのに。お湯を浴びている時までは覚えていたんだけど……いつ忘れたんだろう? いつにせよ、忘れてたことには変わりないんだけど!
うう、今からでも間に合うかな?
ま、間に合ってほしい!
「あの!」
私はベッドから下りて、しっかりと姿勢を正して立つ。
「ん?」
「きょ、今日から私は、どうすればいいんでしょうか?」
「どうすればって?」
全然ピンときていないようなクライヴに、私は言葉を詰まらせる。
もしかして昨日のことって、全部夢だったりするのかな? 私はリランプト様には会ってないし、補佐官にもなっていない……?
うん、きっとそうだ!
……いやいや、そんなことならこの世界にいるってところから夢にしてほしいんだけどね……!
勝手に混乱してボケたりツッコんだりする頭は、そろそろパンクしてしまいそうだ。
でも不真面目にボケたところで、どうせ全部現実であることには変わらない。それならもう、ちゃんと向き合うしかない!
「あの、私は」
「うん?」
一旦深呼吸をして、きちんと話したいことを話す。
「仮にも補佐になったのですから、何かしらの仕事をしなければならないのではないですか?」
「あぁ、そういうことか」
彼はようやく納得したらしい。大きく頷いた後に、えらいねぇと私の頭を撫でた。
へ、あ、え?
あ、脳がパンクした。一瞬で何も分からなくなって、けれどもうひと撫でされたせいで、やっぱり撫でられたんだと脳が認識した。
えらいねって、なに。全然えらくも何ともないのに。こんなことで褒めるなんて。
「だ、だって、昨日リランプト様にご紹介してもらいましたし……」
「だとしても、そんなに難しく考えなくてもいいのに」
「そ、そういうわけにはいきません!」
クライヴはどうしたものかと肩をすくめる。なんでこの状況でクライヴのほうが肩をすくめているんだろう。今の私は、ただ迷惑をかけているだけの存在なのに……。
「それじゃあ、質問だけしておこうか」
じっと見つめていた私を見かねてか、クライヴは言った。
「質問、ですか」
この状況で問われることって、一体なんだろう。彼はは、真剣な顔でこちらを見つめ返した。私もそうしなきゃと反射的に思い、真剣な表情を心がける。
……なっているかは分からない。
「ハイネは、人を殺したことがある?」
「人を……」
それは、いかにもこの世界らしい質問だった。
いや、元いた世界でだって冗談で聞くこともあるかもしれない。けれどこの世界でのその質問は、現実味があり過ぎる。生々しいっていうか……。私の背筋を冷たくさせるのに充分な言葉だった。
「これから補佐官として生きてもらうんだ。人を殺せるか否かは、知っておかなきゃならない」
そう、か。
それもそうかもしれない。
早まる鼓動が、うるさく感じる。
人を、殺す。
この時折うるさくなるような人それぞれに鼓動を、力を以て止めるということだ。
「えっと……」
ゆっくりと口を開いて、言葉を返す。
「人を殺したことは、ないです。殺人とか大きな争いとかとは、比較的縁のない生活を送っていたので……」
「そうか。そんなところからここに来るなんて、ハイネも運がないね」
「あ、え、あ」
たしかに運がないかもしれないけど、恩人を前にして素直に頷くのは憚られた。代わりに私は、クライヴに頭を下げる。
「この世界に来たことは正直なんとも言えませんけど……クライヴに助けられた私は、幸運だと思います」
私の本心だ。助けられている相手がクライヴであることは奇妙だけれど、それでも嬉しいのは嬉しい。死んでいない上に、衣食住の心配がないというのはなによりも幸せだ。
「……それなら良かった」
クライヴは一瞬だけど照れたように見えた、気がする。私が顔をしっかり上げる頃にはまた真剣な表情になったから、もしかしたらただ私の態度に驚いただけかもしれない。
「質問を変えようか。人を殺したいと思ったことはある?」
次の質問も、現実味があって怖い。
けれど私の頭には、とある人の顔が思い浮かんだ。
けれど、すぐにその思考を振り払う。
殺したいだなんて、そんな大層なことは思っていない。
「……ないです」
「その間は、一体なんだい?」
う、やっぱり言われるよね。
「……そんな度胸なんてありませんし、何より平和な世界で感じたことなので、本当の『死』とは遠いのではと思いまして」
「ということは、殺したいと思ったことがあると?」
私の返答を待たずに、クライヴがぐいと顔を近づけてくる。その目は、好奇に満ち溢れていた。この顔は、すごくゲームの中での彼っぽい。でも近いし美形だしで、情報量過多で、頭がぐわんぐわんと揺れる。
「……はい」
私は自分を落ち着かせながら、ゆっくりと頷く。そう、とクライヴもゆっくりと頷いた。顔が離れていって、安心する。
「おそらくだけど、どんな環境であれ殺したいという感情はその言葉の通りのはずだよ」
彼は私の手を取った。
「だって同じ人間だ。死が怖いのは、変わらないだろう?」
私は、何も言うことが出来ない。
「それを相手に強いようだなんて、とても大きな感情がないと思わないはずだから」
大きな感情。
私があの人にそんなもの抱いていたとは、とても思えないけど……。
「……人を殺せないと、ここでは生きていけませんか」
「それは、半分正解だね」
彼はゆっくりと、私から手を離した。
「ここでも、誰も殺さないで生きている人たちはいるよ。けれど彼らは、殺す術を持っている人間によって殺されている」
残酷な事実を淡々と告げられ、私の頭はもうキャパオーバー寸前だったらしい。フラリと傾いた体を、クライヴが受け止めてくれる。そして、彼は言った。
「まぁ、ハイネのことは僕が守るからさ」
「え……」
「キミみたいな子に、人を殺めさせるわけにはいかない」
先ほどよりもずっとこちらを真剣に見据えた彼が、すごく頼もしい。殺せないとは言いたくないけど、殺さないに越したことはない。もしも元の世界に戻れた時に、その記憶はいつまでも私の精神を蝕むだろうから。
私はよろしくお願いしますと頭を下げた。彼は任されたよと、笑ってくれた。
その瞬間、彼の手によって人が死ぬのはいいのかと、冷静な私が問いかけてくる。
その問いに、私は答えられない。死にたくはない。けれど、殺したくもない。きっとそんなわがままは、通らない世界だろうから。
「ちなみになんだけど、どうしてハイネはその人間を殺したいと思ったんだい?」
ちなみにとして問いかけられるには重い問いに、私はどう反応を返すべきなのか戸惑ってしまった。
「それは」
……どうしてだったのか、自分でもよく分からない。というか、分かりたくもない。きっと記憶に残していないのだろう。
思い出せない。
思い出したくもない。
「憎かったから? 愛していたから?」
それでも彼は、真面目な顔でそう問いかけてくる。そんなに気になることかな……?
「あ、愛していたというのはないです。絶対」
「そう。それなら良かった」
ニコニコと笑うクライヴは、ちょっと不気味だった。クライヴがニコニコ笑っているだけでも怖いし、今の流れのどこに笑う要素があったのか分からない。
……曲がりなりにも、殺したいと思ったことがあるっていうところが良かったんだろうか? クライヴなら考えかねない、うん。
やっぱり……いつ人を殺してもいいように、心構えをしておかなくちゃ、いけないのかな。補佐官だから、クライヴを守るために仕方ない時もきっとあるだろうし……。
「そんな暗い顔しないで」
クライヴは私の両頬に両手を伸ばしてきた。ゆっくり、けれど彼の意のままに上を向かされる。
「キミには、人を殺めさせないって言ったでしょ」
「は、はい……」
「どうせ僕の手はもう汚れているんだ。キミのためという大義名分があるんなら、これ以上汚れることだって何も躊躇うことはない」
「……!」
上にはクライヴの綺麗な瞳があって、まるで私の考えを見透かしているかのようだった。殺すことをしないのならそれが一番なので、私は頷くしかない。
クライヴが言うんなら、きっとなんとかなってくれるんだろう。
きっと、そうに違いない。
「話はここまでにして、ご飯でも食べに行こうか」
そのままするりと手を引かれて廊下に出た。出た途端に、ノワさんの眉間に寄った皺が目に入る。すごい刻まれ方だ。
「クライヴ様、サザミ様がお見えになりました」
「どうせろくな用事じゃないだろう。追い返しておいて」
ノワさんが言ったことにも驚いたけど、クライヴの切り捨て方にも驚く。それでいいんだろうか? いやいや、絶対に良くないよね?
「そう思ったのですが、中々食い下がってくださらず……何でも、ハイネ様にお話しがあるとのことです」
「は?」
「え」
ど、どうして私に話があるんだろう……!
昨日の時点で、何かしただろうか? 何もしてない、よね?
……分からない。怖い。やばい。
不安すぎて、確証が持てない!
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