真理
服を着て廊下に出ると、ノワさんが待っていた。そこにいたのがクライヴじゃなかったことに、ちょっとだけ驚く。
「ゆっくり
「あ、はい! とても!」
寛げたのは事実なので、声が裏返りながらもそう返す。ちょっと恥ずかしい。
ノワさんは気にした様子もなく、そうですかと微笑んでくれた。そして、部屋までご案内しますよとこれもまたにっこりと提案してくれる。1人で広い廊下を歩くのは怖いので、ありがたく案内してもらうことにした。
「……で、でも明日からは、毎日お湯がなくても結構です!」
クライヴに比べるとずっと爽やかな笑みを前にすると気が引けたけど、言わなきゃならないだろうと思い、頑張って言い切った。
「いえいえ、そういうわけにはいきません」
けれどノワさんは、同じ笑顔で首を横に振る。
「いいんですよ、遠慮せずとも」
「し、しかし……」
「クライヴ様が問題ないと仰っているので、なにも心配することはありません」
それが一番問題な気がするんですけど、とは言えない。なんとかして、やめてもらいたいんだけどなぁ……。
そんな私の思いを察するように、ノワさんはさらに口を開いた。
「それに、どうせあの湯はこの後に使用人たちも利用するんです」
「そうなんですか?」
「はい。毎日就寝前に湯を浴びれるとなったら、ここを辞める人も減るはずです。ですので、こちらとしても損はないのですよ……予定通りにいけば、ですけど」
「なる、ほど……?」
希望的観測になっているけど、そんな風になってしまうのも無理はないんだろう。よく分からない地下がある屋敷には、私だったらどんな高待遇であっても勤めたくはない。この世界だと事情が事情なだけに、辞められない人も多そうだからちょっと不安だけど……。
でも、私1人のためではないと分かって安心した。いや、そうじゃないだろうとは思っていたけど……クライヴのことだから、そうかもしれないとちょっとだけ思っていたんだ。
だから、ホッとする。
「そういうことなら、ちょっと罪悪感も減りました。こんな素敵なお湯を毎日ってなると、相当な負担になるでしょうし」
「ははは。まぁそうなんですけど、この屋敷ではクライヴ様が絶対ですからね」
「そうなんですか?」
「えぇ、もちろん」
即答だった。その口調は、大したことを言っている自覚が感じられないほど軽いものだった。いや、軽いっていうか……まるで、この世界での常識について話しているみたいだった。
きっと彼にとっては、本当に常識なんだろう。
仕事に対する熱量というよりも、彼のクライヴに対する痛烈な恭順さが感じられた。悪態はついているけれど、それも気心知れてのことなのだろう。良い関係だなぁ。ゲームにも登場していたら、クライヴの人気がもっと上がってたかもしれない。
「そういえば、そんなクライヴはどうしたんですか?」
「クライヴ様は今は顔を合わせられないとおっしゃっていましたので、俺が参りました」
「顔を……?」
どうしてだろう。ご飯食べる時からここに送ってくれた時まで、ずっとニコニコしてたのに。お風呂に入る前に、何か変なことでも言ったかな……? ちょっとしたことしか言ってなかったはずなので、細部までは思い出せない。どうしよう。
「あ、ハイネ様が悪いわけではないのでご安心を。どちらかと言えば、クライヴ様が悪いので」
私の表情から察したのか、ノワさんが先回りして原因を言ってくれる。
「ど、どういうことなんですか……?」
クライヴが悪いっていう状況が想像出来ないんだけど……。
もしかして、体調が悪いとか?
いや、彼の体調が悪くなるとは到底思えない。そんなの誰か強い人が襲撃してきたせいで手負いになって、とかじゃない限り限りありえないだろう。けどノワさんが落ち着いているから、襲撃なんてないだろうし。
全然分からないから、不安になる。
「……俺からは何も言えません」
ノワさんの表情が真剣なので、より一層不安だ……!
「そんなに悪いことなんですか!? だ、大丈夫なんですか……!?」
やっぱり彼もまた人間だから、体調を崩すこともあるのかもしれない……!
「ふ、ふふふ」
「え!?」
突然の笑い声に、思わず驚く。
それは間違いなくノワさんの口から溢れているものだ。
「ふははははは!!!」
笑い声は大きくなり、廊下に響き渡る。
「ええ……?」
私はどういうことなのか分からずに、ただただ困惑する。なんで、笑ってるの……?
というか、クライヴみたいな笑い方だなぁ。一緒にいる時間が長いから、似てくる部分もあるんだろうか。
いやいや、それどころじゃないんだけど。
なんでこんなに笑ってるの!?
「ふふっ、ふふふっ」
ずっと笑われている……。
「そ、そんなに笑わなくてもいいじゃないですか!」
「だって、そん、そんな真面目に……」
「真面目にもなりますよ! クライヴは恩人なんですから!」
その言葉に、ノワさんはピクリと眉を動かした。そうかと思ったら、一瞬にして表情が真顔に戻る。
「……それも、そうですか」
突然の落ち着きように、私の方が驚かされる。落差が激し過ぎてついていけない……!
「なにはともあれ、あの人がそんな心配されるようなことにはなりませんって。加害者側になるっていうのなら、話は別ですけど」
「そ、それは確かに……」
そうかもしれませんけどと言いかけて、言葉が出なくなった。
「でしょう? だから、おかしくておかしくて……」
「ご苦労だったね、ノワくん」
ノワさんの背後に、クライヴが現れたからだ。笑ってるのに、全然笑ってない笑み……。自分で言ってて意味分かんないけど、そうとしか言えない笑みだ……。
「わぁ、もう着いてたんですね」
聞き慣れない口調のクライヴと、棒読みに等しい口調のノワさん。
内容自体は同感だ。話していたからそこまで気にならなかったけど、もう部屋まで来ていたらしい。
「じゃあ俺はまた別の業務がありますのでこれで」
「そんなこと言わずに、ここでちょっとゆっくりしていったらどうだい?」
「そういうわけには」
「クライヴ様は絶対、じゃないのかい?」
クライヴは、一体どこから話を聞いていたんだろう……そんな一言を言って、ノワさんをこの場に留まらせようとする。というか、距離を縮めようとしている。
クライヴの手が伸びる、ノワさんが避ける……それが高速で繰り返されている。もはや止まっているようにも見えるので、数十回繰り返されているのかもしれない。もはや人間技じゃない。
私はそんな2人を見て、唖然とする。
この世界の人にとっては、これが普通なのかな? だとしたら私がもし戦えるようになったとしても、勝ち目なんてなくない?
どうしよう。完全に詰んでしまった。
な、何かしらの才能が隠れてたりしないかなぁ……だからこそこっちの世界に来たんだ!みたいな……。
ないか、そうだよね。私みたいなのに、そんなのあるわけないよねー……。
「どうしたんだい? そんな悲観的な目をして」
クライヴが顔だけこちらを向きながら、そう問いかけてくる。
「えっ、あ、なんでもないです」
「もしかして……」
「え、なんですか?」
「浴びる湯が冷たかったかい? だとしたらノワには、やはり減給をするけど……」
真面目なのか冗談なのか分からないクライヴの口調が、ちょっと怖い。そこまでしてくれなくても。
「お、お湯はちょうど良かったです! だから、減給はやめてあげてください!」
「そうだそうだ! 減給反対!」
「ノワは便乗しない」
いつの間にかノワさんの背後に回っていたクライヴが、ノワさんの頬を横に引っ張る。
あれ? この世界でも、ああいうことってするんだ。しかもそれをクライヴがしてるって思うと面白くて、自然と笑顔になった。
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