水を飲んでない

「クライヴの手って、冷たいですね」

 帰る道中に、気が緩んでしまったらしい。

 私はなぜか、そんなことを口走った。

「……いきなりどうしたの」

 こちらを向かずに、クライヴは問いかけてくる。

「いえ、気持ちいいなと思いまして」

「本当にそう思ってる?」

 食い気味な彼の言葉に、思わず面喰らう。

「お、思ってますよ!」

 なんだからしくない。クライヴでもあの場の雰囲気にやられて、疲れてしまうことがあるんだろうか? いやでも、今までたくさん彼のらしくない姿を見てきたから、今更なのかな。

 うーん……?

 よくわからないモヤモヤが、頭を埋める。

「あの私、体温が高いほうなんです。リランプト様も、多分似たようなものなんでしょうね。さっきの握手で、すっかり熱くなってしまって。だから、冷たいほうが気持ちいいです」

 そのせいで、よく分からないことまで口走ってしまった。私も疲れてるから、上手く頭が回らない。

 けれど私の思いとは裏腹に、クライヴは振り返った。そのままじっと、私の目を見つめる。

 さらに私の手を握る力が、強くなったような……気のせいだろうか。

「一つ、教えようか?」

「え、なにをですか?」

 いや、気のせいじゃない。ちょっと痛いかも。

 耐えられない程じゃないから、この話が終わったら離してもらおう。そろそろ人が多いところを通るはずだし。

「……冷たい手というのは、この国では神聖なものだとされていてね」

「そうなんですか?」

 聞いたことない話だ。ゲーム内の本や手紙でもそんな記述は見られなかったし、現実に発売された資料集や没設定でも見たことがない。

「だからこそ僕の能力は高くて、この王国軍で重宝されているんだよ」

「そんなにすごいことなんですね」

「ううん、全部嘘だよ」

「……え?」

 思わず、まばたきを何度もする。

 うそ、ウソ、嘘? 

「冷たい手に、意味なんてないよ」

 クライヴの顔は、楽しそうに笑っていた。

 その顔は本当に楽しそうで、ずっと見ていたら、すべてがどうでも良くなってしまいそうで。

「っ……」

 そんな自分が怖くなった。

 どうして騙したのかという追及も、手が痛いことへの言及も忘れて、私は彼の顔から目を逸らした。

 私が抱きかけた感情は、ある意味では彼に対する恐怖よりもずっと恐ろしいものだ。

 なんで、違う、そんなわけない。

 私は……。

 

 ○


 それからしばらくして、クライヴの屋敷にたどり着いた。

「ここなら、流石にもう許してもらえるかな」

 屋敷に着いた途端に、部屋までの移動魔法が使われた。まだちょっと慣れない。急だったのもあって、ドキドキしてしまう。

「お疲れ様。無理しないで、横になってくれていいよ。気配に気付いたノワが、もうすぐ水を持ってきてくれるだろうから」

「あ、ありがとうございます……」

 私の気分が優れないことを察してくれていたのだろう。ありがたくベッドに横にはなるものの、魔法を使ってはいけないというのに反したのではないかと不安になる。

「大丈夫なんですか?」と聞いたら、「キミのためであれば、王も許してくれるだろう」と返ってきた。そんな例外みたいなこと、私に起こり得るわけないのに。本当に大丈夫なのかな……。

 安心は出来ないけど、横になってようやく落ち着けた気がする。

 クライヴはというと、近くのソファに座って笑っていた。いつもの笑みに戻っている。それにも、安心出来た。いつもの笑みは、見慣れてた立ち絵そのものだし。

「ひとまずは、こちらの勝ちと言っていいだろう。キミが異界出身の身でありながら僕に仕えることを、リランプト様に認めていただけたからね」

 ぼんやりした頭で、そんな話を聞く。

 とにかく、良かったとしか思えない。

「かといって、油断は出来ない。異界出身であることをネタに強請ろうとする人間や、だからこそ信用出来ないとして殺そうと企むものがいるかもしれない。まぁ、サザミのことなんだけど」

 懲りないだろうしと、彼は肩をすくめながら言った。呆れているけど、心配はしていないようだった。自分の方がが強いという自負があるからなんだろう。ちょっと羨ましくなってきた。この世界から戻る方法が分からない以上、ある程度は適応出来るように強くなりたい。

「……あの」

「うん?」

「なんでそんなにサザミ……さんから恨まれてるんですか?」

 そこで、ゲームをプレイしている時のノリで呼び捨てにしていることに気付き内心で慌てた。そういえば、集合していた時もほとんどの人を呼び捨てにしてしまっていた……。クライヴは何故か許してくれたけど他の人が、特にサザミさんが許してくれるわけがない。これからは誰にでも敬称を付けたほうがいいかも。とにかく、出来るだけ気をつけよう。

 っていうか、もしもあの場で考えてたことを誰かに読まれてたらどうしよう。そのうち不敬罪で殺されてしまうかも……いや、あの場で指摘されなかったんだから大丈夫かな……?

「そうだねぇ」

 ……いや、今はとにかくクライヴの話を聞こう。

「心当たりはないと言えばないし、あると言えばある」

「……どういうことですか?」

「僕はあらゆる悪行に手を染めているようなものだからね。誰から恨みを買っていても、おかしくはないんだよ」

 なんでもないことのように、彼は言う。

 そんな生き方が評価される世界。私には想像も出来ないような悪行も、しているのかな。

 気が遠くなるのと同時に、ふっとまぶたが閉じそうになる。ねていいかな、はなしの途中だけど。

「リランプト様からはそこを評価されているから、サザミも精神攻撃に切り替えてきたんだろうね」

「……そう、なんですか」

「だから、本当は」

「ほんとは……?」

 そこでクライヴは、黙ってしまった。

 言葉の代わりなのかゆっくりと椅子から立ち上がり、私の頭を撫でる。その優しい手つきは、あくに染まっているとは思えないものだった。

 私の視界は、だんだんと狭くなっていく。

「今日は疲れただろう。思う存分、眠るといい。僕はずっと、そばにいるから」

 心強いような、心細いような。そんな不思議な感覚が広がっていくのは、眠りに落ちる際の不安定なこころによるものだと思う。

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