震える肩

 追われている。

 こちらは丸腰。向こうは、剣を持っている。

 このままだと、私は、きっと、殺されてしまう。

 だから、逃げなきゃ。

 意思だけで、足を動かす。

 けれど、私にこの世界での地の利があるはずがない。気が付けば目の前は壁。行き止まりだ。

 どうにかしてもっと遠くへ、壁の向こうへ行けないかを試みてみるものの、壁は強固なもの。振るった手には、ただ痛みが残るだけだった。

『ハイネ』

 呼ばれ、反射的に振り返る。

 そこにいたのは、剣を手にこちらへと歩み寄ってくるクライヴ。彼の顔には、ゲーム中で見た笑みが浮かんでいる。そう、すごく残虐な笑みだ。どこか楽しそうにも見えてしまう。

『たす、たすけ』

 しゃがれた声で、命乞いをした。私の言葉に、彼はにっこりと笑みを深める。

『そうだよ。その顔が見たかったんだ』

 そうして、振り下ろされるのはーー。


 ○


「っは……?」

 目が覚めた。勢いよく起き上がる。呼吸が荒い。けれど、そんなのは些細なことだ。

 急いで、手足を確認する。

「無事だ……」

 赤くなったりもしていないし、どこも欠けていない。その事実に安堵して、止めていた息をゆっくりと吐き出す。夢の中で追われていた疲れもあり、もう一度ベッドに転がった。

 心臓がまだバクバクと鳴っている。

 それもそうだ。ついさっき、夢の中とはいえ自分が現場で唯一頼りになる人から殺されたのだから。

 けれど夢の中のクライヴのほうが、ゲーム中の人格に近かった。きっとファン向けに彼に追い詰められるVRなんてものがあったら、夢で見たような感じになっているだろう。需要はあるような、ないような……。クライヴのファン層をあまり観測したことがないから、よく分からない……。

「おはよう。そんなに怯えて、どうしたの?」

 そうこう思っていたら、当の本人であるクライヴが目の前に現れた。彼の前で寝ていることがはばかられて、急いで上半身だけ起き上がる。ベッドから起き上がれば良かったと思ったけれど、そこまでの判断力が私にはなかった。

「あ、えっと」

 なんて言えばいいんだろう。というか、どんな顔して彼を見ればいいんだろう。

 咄嗟に答えられず、目線を逸らす。

 だって夢の中で私を殺した人が、目の前にいるのだ。

 今は穏やかな顔をしてこちらを見ているけれど、いつ夢みたいに殺されるか分からない。そうじゃなかったとしても、昨日の男みたいに私を殺そうとする人が現れるかもしれない。ここは現代日本じゃない。いつ死んだって、なにもおかしくない。死なないとしても、剣で刺されて斬られて……。

「……大丈夫だよ。落ち着いて」

 クライヴの落ち着いた声が、私の耳元で響く。

 彼は昨日よりも優しく、私を抱きしめた。

「昨日は突然のことで怖かったよね」

 抱きしめながらも、片方の手が私の頬を撫でる。その手が湿って見えることで、私はようやく自分が泣いていることに気が付いた。

 そうだ、私は怖かった。いや、今だって怖い。

 まだ死にたくない。こんな誰も私を知らない世界で、死んでしまいたくはない。

「僕が、キミを守るから」

 その言葉を、信じていいのかも分からない。

 分からないけれど、私を抱きしめる手の優しさは確かなものだ。それに私みたいな戦えもしない人間が、クライヴのような頼りもなしに生きていけるとは思わない。

 信じるしかないんだ。怖いけど、それしか今は出来ない……。

 そんな状況の悪さも苦しくて、私は縋るように泣いた。クライヴが着ていたクリーニングした後みたいに綺麗なシャツが、涙と鼻水でべしょべしょになっていく。彼は気にしていないのか、落ち着かせるように私の頭を撫でている。その手の優しさに、疑っている自分が少し嫌になるくらいだ。けれど、完全に信じようとはどうしても思えない。分からないことが多すぎるから……。

 そんな風に不安が頭をぐるぐるしている間にも、彼は僕が守るから大丈夫まと繰り返し言ってくれている。その、守るっていうのが一番分からない。

「なん、で」

「ん?」

「なん、で……わたしのこと、まもって、くれるんです、か」

 一音一音を絞り出すようにして言葉を並べ、そう問いかける。ヒミツだと言われたけど、それさえ分かれば、今よりも信頼出来る……かもしれない。今のままだと、もしかしたら何かに使うために優しくされているのだとも思ってしまうから。

 じっと、彼の目を見つめる。綺麗な、吸い込まれてしまいそうな目だ。けれど今だけは、頑張って見つめ続ける。

「……簡単なことだよ」

 クライヴは、どこが苦しそうに笑った。

 彼は懐から布を取り出し、ゆっくりと私の顔を拭う。いつの間にか、涙は止まっていたようだ。私の顔を撫でるようなその手つきは、ちょっとだけ私のお母さんを思い出させた。

「だから、薄々気付かれててもおかしくないって思ってた」

 私の顔を拭きながら、そう言う。

 けれど私は、彼の言う簡単なことにすら気付いていない。それが分かるほど彼のことを知らないし、目の前で起きていることで手一杯なせいで、そこまで頭が回らなかった。

「……分からないです」

 だから私は、素直に言う。だって、本当に分からないのだから。そんな私の視線を受け止めながら、クライヴはそっかと頷いた。

「僕のポーカーフェイスも伊達じゃないってことかな? だとしたら、良かったかもしれない。でも……」

 そこでクライヴは、キュッと口をつぐんだ。饒舌に話す彼にしては珍しい動作に、どうしたんだろうと首を傾げる。

 その時、視界の端に人影が入った。

「そろそろ急いでもらえませんか? このままでは、時間に間に合わなくなりますよ」

 昨日見た男の人だ。たしか、クライヴからノワって呼ばれていたような。ノアじゃないんだと、頭の片隅で思ったから覚えている。

 というか、いつからいたんだろう。どこから、見てたんだろう……急に恥ずかしくなってきた。誰も見ていなかったら、この場でジタバタ打ち震えていたところだ。

 私がノワさんの方から目を逸らすのと同時に、クライヴはノワさんのほうを向いた。その瞳には、なんの感情も宿っていない。狂気的な笑みが浮かんでいても嫌だけど、それはそれで怖いものだった。

「それは困るね」

 間を開けて、クライヴはそう言った。いつもの顔に戻っており、さっきまで重大なことを話そうとしていたとは到底思えないほどだ。

「例のものは、用意してある?」

「こちらに」

 ノワさんは手の上に、綺麗に畳んだ洋服を載せていた。

「渡して」

「はい。……どうぞ、こちらをお召しください」

「はぁ」

 その服は、そのまま私の手元にやってきた。どう見てもサイズが合わないように思うんだけど、どうして私に……?

「キミに、着てもらわないといけないんだ。ああ、サイズについては安心してほしい。着用する人間によってサイズが変わる魔法が使われているから」

「へぇ……」

 すごい魔法だ。現代日本にもあったら便利かもしれない。男性用で好きなデザインがあっても、着られないってこともあるし。

 いやいや、そんな現実逃避をしている場合じゃない。

「着てもらわないと、いけないって……?」

「キミなら、それを広げた瞬間に分かるよ。さ、僕とノワは出ていよう」

「はい」

 そのまま本当に出て行く2人を、呆然と見送った。扉が閉まってからは足跡がしなかったので、2人とも扉の外にはいるらしい。昨日の今日だから、そうしてもらえるほうがありがたかった。

「広げた瞬間、に……」

 言われた通りに、渡された服を広げる。

 その服の意味を一瞬で理解して、私は固まった。

「え、これ、え?」

 混乱だってする。だって、これは……!

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