本物
そうして豪華な夕食をご馳走になり、なんとこの世界では貴重な湯汲みの湯まで沸かしてもらった。ゆっくりと体を労ったあとに、ベッドへ入った。
湯汲みをする前、食堂へ向かう途中で言っていた通りに服をいくつか渡された。世界観からか、ゆったりとしたワンピースのようなものが多い。ゆったりしすぎているのでは?と思ったけれど、着てみると意外にサイズはピッタリだった。すごいと思ったのも束の間、サイズを測ったはずなんてないのにどうしてという疑問が湧いてくる。
……まぁ、なにかしらの魔法なんだろう。服のほうに魔法がかけられているのかもしれないし、私に魔法がかけられてどのくらいのサイズだと分かったのかもしれない。私には、判断がつかない。
「……これからどうなっちゃうんだろう」
ため息が出るくらい不安だけど、それ以上に疲れて眠い。よく頭が回らない。
そういえば、女性の兵士を連れてきて警護までしてくれているんだっけ。だから、あの扉の向こうには絶えず誰かが立っている……はずだ。
提案された時は混乱してたから承諾してしまったけれど、今思うとすごく申し訳ないな。私みたいな、なんでもない人間を警備させてるんだし。かと言って、やめてもらうのも怖い。私には、戦う力なんてないんだ。ゲームで操作していた主人公たちと違って、私はただの兵士が相手であっても勝てないだろう。あっさり殺されてしまうかもしれない。
明日は楽しくするって言ってたから……明後日以降のクライヴに時間があるときにでも、戦う術を教えてくれたりしないだろうか? 剣とか、弓とか、魔法とか。
魔法が使えたら、楽しいだろうなぁ!
この世界に来たいとまでは思わなかったけれど、魔法が使えたらと思ったことはある。様々な作品の詠唱を真似したのは、いつの頃だったかな……。
ガチャ。
聞こえてきた扉が開く音に、思わず飛び上がった。
「く、クライヴ?」
こんな夜更けに、どうしたんだろう? 何か言い忘れたことがあったとかかな。
「……は? こんなガキを連れて帰って、あの野郎はどうするつもりなんだよ」
しかし聞こえてきた声は、知らない男の人のものだった。分かるのは、その人が王国軍の下官であるということだけ。
「おっと、動くなよ」
そう言って向けてきた剣は、下官らに支給されるものだ。月明かりでかすかに見える服も、支給の制服のように見えた。
間違いなく命の危険を感じる状況に、全身の血の流れが早くなる。
これまでもクライヴの顔色を見て命の機嫌を感じてはいたけれど、彼自らが殺気のようなものを出すことはなかった。けれどこれは『本物』の殺意だ。え、じゃあ、扉の前にいるはずの兵士さんは……?
怖くて、扉のほうを見ることは出来なかった。ただひたすらに、体を震わせることしか出来ない。怖くて男から目を逸らしたいのに、見つめつづけてしまう。
「クライヴの野郎が屋敷に女を連れて来たっていうからどんなものかと見に来ては見たものの、どんな拍子抜けだな。趣味が悪いったらありゃしない」
男はどんどん近づいてくる。同時に、剣も眼前に迫ってくる。
逃げなきゃと頭では認識しているものの、腰が抜けてしまっているのか、一歩も動くことが出来ない。
「ただまぁ連れて来ている以上、気に入ってはいるんだろうなぁ……どれ、ちょっくらからかってやるか」
男の剣が振り上げられる。次の動作は、は……。
本当に、殺されてしまう。
分かってはいたのに、見たくないからか目をつぶってしまった。そうしたって、どうにもならないのに……。
けれど、私の体には痛みも何も走らなかった。どころか、斬られた感覚すらない。
不思議に思って目を開くと、そこには見たことのある背中があった。
「まったく。油断も隙もない」
突然現れたクライヴの剣が、男の剣を受け止めていた。激しい鍔迫り合いの音が、部屋に響く。
「クライヴ……!」
現れたクライヴに安堵しつつ、けれど状況の悪さは変わることがないので不安から叫んでしまう。
「弱過ぎるよ」
しかし勝負は一瞬で終わった。即座に男の持っていた剣が弾き飛ばされ、クライヴの剣が喉元に置かれる。男はあり得ないとでも言いたそうな表情のまま、固まってしまった。
「……サザミが送ってきたのか。どこから情報が漏れたかは知らないけど、相手が悪かったね」
クライヴはゆっくりと男へ近づくと、なんと勢いよくその顔に蹴りを入れた。細身から繰り出されているとは思えないほどの破壊音が鳴った。何かが転がる小さな音がいくつか聞こえたので、もしかしたら歯が折れたのかもしれない。
蹴りを入れるクライヴの顔が、月明かりで見えた。それはゲーム内で一番よく見かける、凶悪な顔だった。
そうか。彼がこの顔をするのはあくまでも敵と対峙する時だけなのか。革命軍は、間違いなく敵だから……。
ぼうっとしていると、開いていた部屋の扉から男が入ってきた。私は新手かと思って身構えたけれど、クライヴは当然といったように動じない。
「ノワ。そいつを地下へ」
「かしこまりました」
言われるままに男の人は、彼に移動魔法をかける。男はやめろとしゃがれた声で叫びながらも、すぐに消えてしまった。クライヴの言う通りだと、地下へ送られたんだろうか。というかクライヴの言うことを聞いてるってことは、使用人みたいな人なんだろうか。それにしては、生気を感じられないっていうか……。
「怖がらせてごめんね」
ぎゅうと、私の体が押し潰される。
クライヴが私のことを抱きしめているのだと気付くのに、少しだけ時間がかかった。
その顔には、本当に申し訳ないといった感情がこもっている。さっきまであの凶悪な面をしていたとは、到底思えないほどだ。
「え、あの、こわ……こわかったです」
「そうだよね。もう少し早く気付けば良かったよ」
「あ、うん……」
男も怖かったけれど、クライヴも充分怖かった。痛みつけた挙句、地下に送って何をするつもりなんだろう。分かりたくもない。
けれど、どこかで安心している私もいる。
このクライヴは、間違いなくあのクライヴだ。
つまり私は、私が知っている『カレルドアンズ』の世界に来たのだ。
その実感が、私に妙な安心感をもたらしていたのであった。
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