私である理由

 結局はお姫さま抱っこのまま、部屋に連れて行かれてしまった。無心に徹しようと頑張っていたけれど、クライヴの美しい顔が絶対に視界に入ってくるのですごく難しかった。それに、気を抜くと彼の手の感覚や胸板の厚さを感じてしまう。その手の温かさだって、今の私にはすごく心を揺さぶられる。クライヴのこと推してなくて良かった、本当に。

「ここだよ」

 彼が片手で、部屋の扉を開ける。

 ……ということはつまり、今の私は片手で持たれている?

 当たり前だけど、力の差がありすぎる。さっきは適当に言ったけれど、この人ならば本当に熊に勝ててしまいそうだ。そうなると最終的には彼を含めた王国軍の重鎮に勝利する革命軍の人たちーー特に主人公であるアスターは……考えても想像出来ない次元に入ってしまうので、考えることをやめた。人間じゃないのでは?とか、思ってはいけない。

 そうやって色々考えている間に、床に下ろされていた。

 やったあ! 地に足がついている! 感動!

「って、わ! こんなに良い部屋を貸し出してくれるんですか?」

 高級ホテルのようなお部屋に、続けて感動! 

 でも、私のような人間がこんな部屋に泊まって良いんだろうか? 完全に貴族専用って感じなんだけど……。

「客人用の部屋がここしかなくてね。それと後から警護のために女性兵士を呼び寄せるけど、それでいいかな?」

「え。警護のためって……」

 将官であるクライヴの屋敷にも侵入者って現れるわけ!? そんなことある!?

「ああ。僕を含めた兵士に対する警護だよ。女性のほうが安心だろう?」

「は、配慮が行き届きすぎている……!」

 ここに来て、作中の彼からは想像出来ない言動トップを更新してきた。これからしばらくは更新されることはないだろう……。されたとしたら、もうこの世界はあのゲームと別のパラレル……。

「この世界のリアルを体験したいっていうんなら、裏の敷地内にかつて使われていたボロ小屋があるけど、そこに行く?」

 クライヴが冗談交じりにすごいことを言ってくるけれど、私はそれに対して彼が期待したような反応を見せることはなかった。私の頭の中は、それどころじゃない。

「いえ、大丈夫、です……」

 パラレル。  

 私は、重大なことに気付いてしまったかもしれない。

「……疲れただろう。夕飯までもう少しある。ベッドで休んでくれていい」

「ありがとうございます」

「それじゃあ」

 ゆっくりと、扉が閉められた。


 言われるがまま、ふらふらと歩いて行きベッドに横になる。見た目に反して、そこまでふかふかしているわけではなかった。けれど、私が普段使っているお下がりのものよりずっといい……。

 ここにいるクライヴは、私が見ていたクライヴじゃない。

 横になった私の頭に浮かんだのは、そういう結論だった。だってそうだろう。残虐に人を殺す彼が、見知らぬ人間にここまで優しくしたりなんかするだろうか。作中通りだったら、私のことを実験動物にしたっておかしくはない。けれど、そんな素振りは一切見せてこない。どころか、殺さないとまで言っているし……。

 もしかしたら、これは全部夢なのかもしれない。だって、いくらなんでも都合が良すぎるだろう。どうして一番好きなレクトが相手じゃないのかは分からないけれど……いや、残虐だとされていた敵将のクライヴだからこそ、私はここまで心を揺さぶられる羽目になっているんだろう。彼ならば、振り幅が大きい。それに、深層心理では彼のことが好きだったのかもしれない……。

 いや、それはないと思いたい。だって本当にレクトの悪口言われたときはキレちゃったし。手にしてたのがゲーム機じゃなかったら、きっと叩きつけてた。

「あ、でも……」

 夢なら、痛くないはず。

 先ほどまでいた森で、私はたしかに痛みを感じていた。試しに頬を引っ張ってみると、やはり痛い。夢ではない……? だとしたら、これは一体何なんだろう。

 私は今、どこにいるんだろう。

 そう考えると、背筋に嫌なものが走った。ゲームの世界だったら、記憶を頼りになんとか乗り切れたかもしれない。けれそ今いるのは、その記憶が当てにならない世界だ。本当に何も分からない世界で、私はどうやって生きればいいんだろう。そもそも、現実に帰れるんだろうか……。現実世界での私は、今どんな状態なのかな。実はトラックに轢かれてて昏睡状態? それとも、失踪? どんな状態であれ、両親も友達も心配してるだろうな……。

 気が抜けてしまった私の瞳に、涙が浮かび上がる。

「あぁあ……」

 口から意味のない嗚咽が漏れ出るのを抑えられない。

 しばらく、何も考えられずに泣いていた。


 しかし、途中から鼻が詰まって苦しくなり、更に鼻をかむものがないことに気が付いて混乱した。

 幸いにして制服のポケットにティッシュが入っていたので助かった。けれど、あと数枚しかない。もう、泣くのはやめたほうが良いかもしれない。この世界でどうやって鼻をかめば良いのか分からないし。もしかしたら変な草かも……。そう思うと、自然と涙が引っ込んだ。

 ……なんでこんな時まで変に冷静でいられるんだ、自分。

 クライヴに最初に会ってそこそこ普通に接していると思うと、他のことはささいなことのように思えるのかな? この国の王も他の将官たちも、割といい人だったはずだしね。

「それにしても、なんで私がここに来たんだろう」

 たしかに私は、学校の成績はあまり良くなかった。放課後になったら毎日のようにゲームをしていたし、休日はほぼ一日中していた。ゲームの世界で英雄になることが、一番の楽しみでもあった。

 だからといってゲームの世界に行きたいだとか、死にたいだとかを思ったことなんてない。それなのに、どうして? 私以外に、望んでいる人は無数にいただろうに……。

 どうして、私なんだろう。成績が悪い罰かな? だとしたら重すぎやしないかな……?

 他に悪いこととかしたっけ……うーん、思い当たらない。犯罪とかしたことがない、一般市民のはずなんだけどなぁ。

「そろそろ夕飯の時間だよ。起きてる?」

 扉が控えめに開き、クライヴがこちらを覗き込んでくる。

「起きてます。……あれ?」

「うん?」

「歩いてくる音が聞こえなかったんですけど、もしかして魔法で移動したんですか?」

「いや、ずっとここにいたけど?」

「えっ」

 たしかに去って行くような足音もしなかったけれど、私に余裕がなくてそこまで拾えてないせいだと思っていた。

「まだ、警護のための兵士が来てないからね」

 しかし、そんな。

「だ、だからって、あなたがやらなくても」

「キミがあまりにも不安そうな表情をしていたから、心配でね。ま、無理もないだろうけど」

 今も、似たような表情をしていることだろう。謝るのも違うような気がして、顔を伏せる。

「そんなキミのために、明日は非番にしたよ」

「え?」

 伏せた顔が、即座に上がった。私のために、非番?

「この世界で出来る、楽しいことを体験してもらおうと思って」

「……そんな、こと」

 どうして? 問いかけは、彼の微笑みで曖昧に答えられた。

「まずは、夕飯で楽しんでもらおう。キミが美味しく食べられるといいんだけど」

 そのまま有無を言わさず、お姫さま抱っこをされた。抵抗しようと思ったけれど、そっちのほうが手間をかけさせるだろうと判断してやめた。

 ……とにもかくにも、クライヴに絆されるのはやめよう。それが一番、怖いことのように思えるから。

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