魔王の力

「フェ、フェルナちゃんが、『餌』っ……!?」


 外套がギュッと握られる感触があった。

 ……すっかり忘れていたが、ニニルもこの場にいたのだったな。

 シャルミアは一瞬目を向けるが、興味なさそうに再び俺を見る。


「そういえば、先ほどの支城に向かわせた援軍にフェルナはいなかった。貴様がそれほどペラペラ喋るということは、既に相当前にフェルナはここを出立しているということか」


「はい。報告を聞くなり、ゴーレム兵を蹴散らすのだと一人で飛び出していかれました。そろそろ大河で接敵する頃です。……そして、ディルグ様は私の『本体』と『神弓』の居場所を知りません。最早ディルグ様といえど、止めることは叶わないでしょう」


 フェルナを訓練しなかったのは、神弓が暗殺を恐れる程強くなられては困るから……といったところか。

 次の戦争に出てこられたら困る厄介な人族の使徒を釣り上げるための、手頃な『餌』。

 それが、シャルミアのフェルナに対する本当の認識だったというわけだ。

 だが俺はガキを人族の餌にするような策など、決して認めることはない。


「……くだらんことをしたな、シャルミア」


「ディルグ様。私も最初から彼女を犠牲にしようと考えていたわけではありません。ですが、来たる日に少しでも有利に戦いを進めるため、使徒暗殺のため人族領に潜入し……知ったのです。人族の使徒は、女神の加護の力で毒は効かず、眠りもしない。気配や魔力にも敏感で、待ち伏せや設置した刻紋による排除も難しい。そしてその肉体の頑健さは、建物ごと爆破しようとも生き延びる程……私に彼らを暗殺することは、不可能でした」


 人族領への潜入や攪乱、使徒の暗殺は、魔王として君臨していた頃の俺がシャルミアに与えた任務だ。


「しかし不可能に思われた暗殺も、ほんの一瞬だけ、可能である瞬間があることがわかりました。とある御前試合で使徒同士が必殺の技を放った瞬間、どちらも内在する神力が大きく落ちたのです。使徒が力を放出した直後、その瞬間だけは、私でも勝つことができる程に使徒は弱体化します」


 こいつは魔王軍崩壊後も、分体でキュールグラードの指揮をとりながら、忠実に任務を全うしていたらしい。

 その上でただ、こう立ち回るのが合理的だったというだけの話なのだろう。


「貴様はこの魔王ディルグに最初から嘘をついていた、というわけか」


「ディルグ様のお怒りを買ったとしても、実行するだけの価値がある策です。この機会を逃せば、来たる日に『神弓』は貴重な将官を狙い撃ちし、死体の山を積み上げていくことでしょう。……それは、もしかしたら成長したフェルナ様のような新世代たちかもしれません」


 簡単にイメージできる話だった。

 事実、フェルナの父である前翼人族長ファルコも、そうして積みあがった死体の一体だ。

 来たる人族との戦争の日までに『神弓』を殺しておかなければ、どれだけ魔族の力を結集しようと、奴によって要の指揮官を討たれてしまう。

 そうなれば、犠牲はガキ一人では済まないはずだ。


「使徒神弓は、将来有望なフェルナ様を犠牲にしてでも殺すべき人族の大駒。私の行動は、魔領に『有益』な結果をもたらすことでしょう。事が終われば、再びディルグ様を魔王とし、魔王軍の再建に助力させていただきます。ディルグ様には、どうかお怒りを鎮めていただきたい」


 シャルミアは利益を説明はするものの、フェルナを囮にしようとしていることを悪びれるような様子はない。

 おそらくシャルミアは、最終的には俺がこの策を認めざるを得ないと考えているのだろう。

 『神弓』……それは『俺が討てなかった』使徒だからだ。

 綺麗な言葉は使っているが、言わんとすることは俺のことを舐め切ったような内容である。


「『神弓』を殺せない俺に文句を言う資格はなく、魔王軍の賞罰基準に照らせば貴様を罰する理由もない。ガキの駄々のような私情は捨て、これを功績だと認めろと?」


「僭越ながら、その通りです。……そちらの小間使いも、魔王軍の賞罰基準を元に処罰を決めたのでしょう? ディルグ様のことですから、処罰の猶予といったところでしょうか」


「っ……!」


「ディルグ様は、誰よりも魔族に平等なお方。副官以上の昇進など私は考えておりませんが、引き続きご重用願いたく思います」


 声をかけられたニニルの反応だけで、答え合わせが済んだのだろう。

 シャルミアは、俺に向けて薄く笑うと、続けて言う。


「……ディルグ様、私はそろそろ本体の方へと意識を集中させていただきます。別動隊が狙撃地点に到着いたしました。あとは、まもなく到着するフェルナ様を射抜き、神力を消耗した『神弓』を、私が背後から刺せばこの件は終わりです」


 そうして話を打ち切ろうとするシャルミア。

 ふつふつと、怒りがこみ上げてくる。

 ……魔族はこういう奴ばかりだ。

 まとまりはなく、放っておけば独断専行、命令無視、反乱、裏切り……これまで繰り返されてきたそれは、数えればきりがない。

 そういった事件がある度に、守れたはずの魔族の命が無駄に散らされてきた。


「シャルミア、貴様はハイスライムの前族長、シュラオによく似ているな」


 場の雰囲気が変わる。


「…………父に?」


 腹の底から響くような、低い声で問い返してくるシャルミア。

 先ほどの淡々とした口調ではない。

 よほど気に障る言葉だったのか、表情の薄いシャルミアの顔が、僅かに怒りで歪んでいた。

 シャルミアは大きくため息をつくと、失望したような表情を浮かべる。


「……どうやら、ご理解いただけていないようですね。私と父は、対極にあたる存在です。私は危険な人族領へ何年も単身潜入し、ただ魔領を守るためこの策を実行しました。あの『裏切り者』と一緒にされては、たとえ相手が大恩あるディルグ様といえど不愉快です」


「いいや、似ている。不確定な未来の恐怖に苛まれ、腐臭がする考えに自覚しながら『縋りつく』。……その弱さこそがな」


「っ……」


 シャルミアは何故、俺に黙ってこの策を実行したのか。

 それは、俺が過去『神弓』を討てなかったからだ。

 さらに『新世代』を力で屈服させることができないと、シャルミアに思わせたからだ。

 それがなければ、シャルミアは俺が蘇った時点で、中止か、協力の要請か、どちらかを選択したはずである。


 結局、前ハイスライム族長の時と、構図は何も変わっていない。


「ですが……この方法以外で、誰が警戒心の強い『神弓』を討てるというのですか。それに『新世代』が死なねば、今の魔領の考えも変わりません。これは、魔領にどうしても必要なことのはずです!」


「魔王の力を舐めるのも、大概にすることだ!」


 魔領は力が全て。

 こういう奴らの考えを叩き直すには、圧倒的な力を示す――それ以外の解決法は無いのだと、俺は知っている。


「魔領にのこのことやってきた『神弓』は俺が討つ! そして魔領は『新世代』の死などではなく、この最強の魔王ディルグが『力』でもって統一する! それが可能なのだということを、今、貴様に証明してやろう!!」


 俺がエーテル研究を始めたのは、ハイスライム前族長に裏切られた日……いや、ハイスライム前族長を『救えなかった』あの日からだ。

 『最強の魔王』たるために続けた研究は、死から蘇ったことで、今日ようやく実を結んだ。

 その刻んだばかりの刻紋を起動し、今の魔領において『強者』の象徴ともいえる魔力を取り込む。


 ――発露されたエーテルに、シャルミアが目を見開いた。


「なっ……! これは、エーテル!?」


「場所がわからなければ、貴様は止められないと……そう言ったな?」


 その膨大な魔力を使い、『感知』を発動する。

 網の目のような魔力が一瞬で広がり、その先端が遥か南方にいる、目の前の魔族と似た存在を捉えた。

 『本体』へと届いたその魔力の感触に、シャルミアが更に息を呑む。


「……昔放棄した二番監視塔か。見つけたぞ、シャルミア」


「あ、ありえない……。ここから、遥か離れた監視塔までを『感知』した……!?」


 感知に使用したエーテルはたった一秒分。

 まだ四秒、エーテルを使える。

 続けざまに魔法を発動しようとして、気づく。

 ……忘れるところだった。

 背後に隠れていたニニルを摘まみあげ、離れた場所へ移動させる。


「ひゃっ」


「ニニル、離れていろ。ここからは留守番だ」


「る、留守番!? フェルナちゃんがいる大河の方は行ったことないですけど……き、きっとお役に立てます!」


「行ったことがないのならば転移もできんだろう。貴様の役目は俺をここに運ぶまで。それで十分役に立った」


 エーテルを使った転移魔法であれば、使用魔力の節約など考えなくても良い。

 転移先の転移陣、詠唱、アルメディアならば必要としたその諸々を、ニニルのように省くことができる。


 『感知』により場所は既に特定した。

 そして俺は……シャルミアがいる二番監視塔に、魔王として過去行ったことがある。

 つまり、『転移魔法』を発動するための条件は、今完全に整った。


「馬鹿な……これではまるで『新世代』。……なぜ『旧世代』であるディルグ様がエーテルを」


「説明ならきちんとしてやろう。『そっち』で、魔領にのこのこやってきたゴミを蹴散らした後にだがな」

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