元副官

 アルメディアは本当に俺の刻紋にケチをつけに来ただけだった。

 『工房』を長時間空けてはいられないからと、さっさと転移魔法で帰っていったのが数分前。

 今頃は、工房のソファーでだらしなく横になりながら、魔領各所の監視ゴーレムから送られてくる映像でも眺めているはずだ。


 ……今からのことを考えれば、戦力として手元に置きたかった気持ちはある。


 だが『新世代』を生み出すことのできるアルメディアという人材は、奴本人の言う通り魔領において超重要人物と言って良い程の存在だ。

 その喪失は、魔領にとって万一にも許容できない。

 どうしても奴の助力が必要な時以外は、好きに引き籠らせておくべきだろう。


「あの、あの、ディルグ様。さっきアルメディアさんが言っていた、その、添い寝とかって……」


 そんなことを考えていると、ニニルがシーツの敷かれた祭壇に目を向けながら聞いてくる。

 どうやら、ニニルは今日はもう眠るだけだと考えているらしい。


「ニニル、今晩はまだ眠るわけにはいかなくなった」


「!?」


 シャルミアが何かをしようとしている。

 その何かについては、まだ大まかな推測しかついていはいない。

 だが俺にそれを共有しなかったということは、奴は俺が気づけばその何かを『止められる』と思っているということだ。

 そして少なくともその完遂まで、『騙し通せる』と思っていたということでもある。

 ……つまり、奴はこの魔王ディルグのことを舐めたのだ。


「……悪いがすぐにでもやるべきことがある、力を貸してもらうぞ、ニニル」


「ディルグ様の力にっ……!? は、はい! わたし、がんばります!」







 ニニルの転移魔法でキュールグラード軍詰所前へと転移した。

 転移するなり、ニニルが俺の外套の裏へ潜り込む。

 ……隠れているつもりだろうか。

 まぁ、隠れたくなる気持ちはわからないでもない。


 時刻は深夜――本来ならば、魔族の多くが寝静まっている時間帯だ。

 しかし詰所前の通りには、戦闘準備を整え整列した兵士たちが三百人近くと……指揮官らしきシャルミアが立っていた。

 明らかに異常な光景である。


「なっ……! ディルグ様!?」


 近くにいた兵士が声を上げる。

 一瞬待ち伏せを警戒したが、そういう様子ではない。

 煌々と輝く灯りに照らされた兵士たちの顔、そこには突然現れた俺への驚きと……なぜか喜びの表情がある。


「お、おぉ! ディルグ様が来てくださったぞ!」


「まさか、我らの助力に!? 感謝いたしますディルグ様!」


「あれが上位竜種すら一撃で倒したという、旧世代最強の魔族ディルグ様……!」


 兵士たちは歓迎するような声を上げるが、そこに見えるのは喜びだけではない。

 ――焦り、不安、恐れ。

 青ざめたその表情から感じられるのは、まさに危険な戦場に出陣する直前の新兵たち、といった雰囲気である。

 顔色に変化がないのは……見渡しても、シャルミアぐらいだろう。

 シャルミアは整列した兵士たちの間を歩いて、俺の目の前までやってくる。


「ディルグ様、先ほど報告がありました。人族の中規模部隊が前線基地より出立。キュールグラード城塞最南の支城に向かう気配を見せているようです」


「……人族だと?」


「はい。まだ術師が操作しているらしきゴーレム兵数百を遠方に布陣させているだけですが、術師の所在や、目的共に不明。明朝にも警戒線である大河を渡河してくる想定で動かなければなりません。現在、支城へ向かわせる援軍を集結させております」


 ――五年の間平穏だった魔領に人族が攻めてきた。


 昼間のオークの群れなど比ではない、紛うことなき緊急事態中の緊急事態である。

 敵の部隊規模が中規模ということは、人族陣営のどこかで内乱終結の兆しが見え、魔領の現在の防衛状態を知るために威力偵察をしにきた……というところだろう。

 使い捨てのゴーレム兵というのが、まさにそれらしい。

 たった数百でこの堅固なキュールグラード本城までを落とせると思ってはいないだろうが、ここで迎撃にてこずったり支城が落ちるような弱さを見せれば、人族はその隙を喧伝し、死肉にたかるハエのようにその数を増やしていくに違いない。

 ……まぁ、シャルミアの言葉を鵜呑みにするのなら、という前提だが。


「シャルミア、とりあえず一発殴らせろ」


 返事を待たずに拳を振るうと、シャルミアの端正な顔が弾け飛んだ。

 シャルミアの首から上だったものは大小の水滴へと変化し、周囲にビチャビチャと水たまりを作っていく。


「なっ……! い、いったい何を!?」


「――大丈夫です」


 兵士たちが騒ぎかけるが、頭部を一瞬で半分ほど再生させたシャルミアがそれを制した。

 今の打撃には魔力を一切込めていない。

 軟体であるシャルミアには、実質的なダメージはほとんどないはずだ。


「全く、突然頭部を弾き飛ばされては困ります。再生させるには、少なくない魔力が必要なのですから」


 シャルミアは言いながらも、ボコボコと自身の肉体を操作し、『いつもの』顔へと整えていく。


「貴様のような奴には口で聞くより直接確かめた方が早いからな。しかしこの感触……やはり分体か。答えろ、貴様の本体は今どこで何をしている」


 ハイスライムを含めたスライム種は、強く触ればその個体がどれほどの強さを持つのかわかる。

 身に宿す魔力で肉体を結び付けているため 魔力量と肉体の強固さには比例関係が存在しているからだ。

 酷く大雑把に言えば、弱いハイスライムはゼリーのように柔らかく、強いハイスライムは強靭でしなやかな弾力を備えているものなのである。

 そして元魔王軍副官であり、ハイスライム族長という実力者中の実力者であるシャルミアは……なぜか、ゼリーのように柔らかかった。

 つまり――目の前のこいつは、本体から切り離され、残りカスのような魔力で動いているだけの分体である。


「いったい何をおっしゃっているのか私にはわかりかねますが……五年ぶりの人族の襲撃という危機に、軍略に明るいディルグ様が来てくださったことは幸いでした」


 シャルミアは軽く息を吸い込むと、兵士たちに向き直って告げた。


「聞け! 私はこれからディルグ様と、人族への対応を協議する! 貴様らは予定通り支城へ出立せよ!」


「はっ、シャルミア様! 聞いたな、出兵だ! 明朝前までに支城の兵と合流するぞ!!」


 部隊長らしき男が指揮を引き継ぐと、兵士たちは重い足取りで出兵していった。

 兵士たちを見送った後、シャルミアは改めて俺と視線を合わせる。


「……人払いのつもりか?」


「ディルグ様は、私の事をなにかお疑いのようですから。これから戦場に向かうという兵士に、無用な不安を持たせるべきではありません」


「疑うもクソもない。貴様の本体は今どこにいるのかと聞いているだけだ。単純な質問だろう」


 シャルミアは目を閉じ、ため息をついた。


 どうやら、俺が何かしらの確信を持ってここに来ていることを察したらしい。

 実際、シャルミアが何をしようとしているのか、想像はおおまかについている。

 少なくとも今回の人族侵攻は、偶然ではなくシャルミアが『招いた』ものだろう。

 直接的な手引きをしたかまでは知らんが、少なくとも人員の配置やフェルナの扱い等でキュールグラードにあえて隙を見せ、間接的に人族を誘引していたという結論は既に確定だ。


「それを答える前に、これだけは言わせてください。私は元魔王軍副官として、今でもディルグ様に深く忠誠を誓っております。私の為す行動は全てディルグ様の目的である『魔領防衛』のためであり、そこに嘘偽りは決してないことを信じていただきたいのです。……裏切り者の娘である私を重用し、功を立てる機会をくださったこと、今でも深く感謝しております」


 どこか遠い目をするシャルミア。

 功を立てる機会……おそらく、自分の初陣の頃でも思い出しているのだろう。





 ――シャルミアの初陣、それは、十五年程前のことだ。


 敵は教皇魔法大隊と呼ばれる、魔領侵攻の旗頭だった聖教国の精鋭。

 当時はハイスライム前族長による裏切りの直後であり、教皇魔法大隊は、そのハイスライムたちがいた魔王軍左翼を大規模魔法で焼き払った部隊だった。

 あの後、後退しながらも防衛線の再構築に成功した魔王軍は、教皇魔法大隊という脅威を早期に撃滅すべく、奇襲による反攻作戦を立てていた。


 だが作戦といっても、策らしい策があったわけではない。


 教皇魔法大隊自体は百かそこらの兵数だったが、奴らは数万を超える兵士が眠る連合軍野営地の中心部近くにいたのである。

 その頃の魔王軍では、奇襲が成功しようと逆に全滅させられかねない兵力だ。

 といっても敗勢にあった魔王軍としては、味方に大損害を与えた部隊を放置しておけば士気が下がり、さらなる魔王軍からの離反を招きかねない。

 必然、作戦は俺自身が率いた少数精鋭を翼人族の輸送をもって直上から降下させ、教皇魔法大隊を直接撃破した後、奇襲に混乱している野営地の中を全速で突破して離脱するという個人の武力を頼みにしたものになった。

 シャルミアは新兵でありながら、その決死隊とも言える部隊へ志願したのである。


 ――奇襲作戦は半分成功し、半分失敗だった。


 戦勝の宴を開いてた人族の油断もあり、奇襲は直前まで勘づかれることなく、成功した。

 教皇魔法大隊はその数を三割まで激減させ、『大規模魔法』の威力を大きく損なったのだ。

 俺が率いた精鋭も生き残ったのは三十数名、シャルミアを含めた半数近くの兵が帰ることができなかったという酷い様だったが、『あの大規模魔法を放った部隊に痛打を与えた』という小さな勝利は、魔王軍の士気を大いに上げることとなった。


 しかし誤算だったのが、三割までその数を減らされても、教皇魔法大隊が次の会戦に現れたことだ。


 『大規模魔法』は、深い魔力の同調と、魔法詠唱の完璧な同時詠唱が必要であるため、人員を即席で補充して放つことができるものではない。

 連合軍であった人族軍は、そういった特殊な部隊が大きく兵を損なうと一度撤退し、本国で再編を行ってから連合軍に戻るというのが常だった。

 だが、教皇魔法大隊はその威力を大きく下げながらも、『大規模魔法』をハッタリとして使うことを選んだのである。

 そして、その『ハッタリ』の威力は絶大だった。


 『大規模魔法』らしき魔力の波動が戦場に広がるだけで、恐慌を起こす兵が現れたのだ。

 直近の戦闘で与えられた魔王軍の損害は非常に大きく、左翼にいた兵たちにとってそれはトラウマと言える程深く心に刻まれていた。

 ただの魔力の波動だけで戦列は乱れ、逃亡兵すら現れる始末。

 魔王軍は大きな隙を見せる羽目になったのである。


 しかし……人族はその絶好の好機に、魔王軍に攻撃を仕掛けなかった。


 それだけではなく、人族本陣を起点として動揺が広がり、人族の全軍が撤退していった。

 その後、魔王軍にハイスライムの一兵卒が当時の聖教国の大将軍と思しき首を持って帰還し――その理由が明らかになった。

 夜間の奇襲という状況とハイスライムの変身能力を利用して敵陣に潜伏し、前族長の仇である大将軍や周辺にいた将校を暗殺、その結果人族を撤退へと追いやった――すべてはシャルミアが、同じく奇襲部隊に参戦していたハイスライム数名と共に起こしたことだったのだ。


 そう報告するシャルミアは、前族長の形見である首飾りをつけて姿勢を正しながらも、どこか仄暗さを感じる笑みを浮かべていた。

 この作戦に参加したハイスライムが、シャルミアと長年苦楽を共にした近縁者であり、この策の結果その全員が死んだというのは、後で知った話だ。


 ハイスライムによる暗殺は、標的を確実に確認するため『昼間』の同時暗殺だった。

 ……そして、場所は敵陣の真っただ中だ。

 当然その実行者は、一人たりとも生きて帰れるはずがない。

 シャルミアは同胞を確定した死地へ送ることで、討つべき仇を討ったのだ。


 ――魔王軍副官、シャルミア。


 こいつは一言で言えば、復讐者なのである。

 父を騙して殺した人族へ打撃を与えるためなら、冷徹に、合理的に行動する。

 たとえ何があろうと裏切って人族側につくとは思えないし、もしそう見えたのならばそれ自体が人族をハメる策略だろう。

 シャルミアはきっと、『自分は魔領を裏切ってはいないのだ』と、そう言いたいに違いない。





 ……目の前にいるシャルミアは、続けて告げる。


「私とディルグ様は、同じところを目指しているはずです。魔領の安寧。ディルグ様が亡くなったとされ、新世代なる魔族が台頭し、魔王軍が崩壊してから……私はずっと、どうすればそれが達成できるのかを考え続けてきました。そして今――魔領の安寧が脅かされる要因は、大きく二つあると、私は考えています」


「ほう?」


「一つは魔領の分裂による、最前線に配備された戦力の減少。つまり人族との初戦において、物量差でキュールグラードを抜かれることです。これを防ぐためには、やはり魔領を一つにせねばなりません」


 それは魔領を統一しようと動く俺と同じ理由である。


「そしてもう一つが、現在の魔族の主戦力である『新世代』が暗殺されてしまうこと。……かつて魔王軍の指揮官を何人も屠った使徒『神弓』が再び動けば、魔領が今戦力の核としつつある『新世代』は次々と殺され、大きな隙を見せることになるでしょう」


 これも、俺がフェルナを見て抱いた懸念と同じ。

 シャルミアが俺と同じところを目指しているというのは、おそらく嘘ではない。

 だが――。


「魔領の統一は、現在の支配者である『新世代』を力で従えられないため、正攻法では非常に難しいことです。使徒の方も、私自身が人族領へ潜入し暗殺を試みましたが、その力は想定以上であり難航しておりました。ですがディルグ様、私はその二つを同時に解決する素晴らしい一手が存在することに気づいたのです」


 俺は覚えている。

 こいつは目的を達するためなら、どんな犠牲も厭わない。


「『新世代』であるフェルナ様を『餌』にすることで、使徒『神弓』を魔領におびき寄せ……そして、フェルナ様を討ち神力を消費し弱体化した『神弓』を、私が亡き者にする。フェルナ様の敗死により『新世代』の力を妄信する風潮は収まり、魔領は危機感から再び統合の方向へと傾くことでしょう。『神弓』もフェルナ様に必殺の一撃を放ち消耗した状態ならば、私の力で確実に殺せます」


 シャルミアは、どこか仄暗さのある微笑みを浮かべて告げた。


「ディルグ様、先ほどの質問にお答えいたします。私の『本体』は今、人族軍の別動隊――フェルナ様を陰から狙う使徒『神弓』の護衛の一人になり変わっているのです」

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