ハイスライム

 刻紋を刻み終え、服を整える。

 アルメディアも使った道具をしまい込み、帰り支度を整えているようだった。

 どうやら今日は『工房』へ戻るつもりらしい。


「キミはまず、キュールグラードから支配するつもりなんだよね?」


「そのつもりだ。万一にも、人族にここを抜かれるわけにはいかないからな」


「ま、キミならなんとかなるだろう。ボクはボクで忙しいから、協力はあまり期待しないでおいてくれ」


「……まぁいい。相手が人族ならともかく、そもそも魔領の統一に誰かの力を借りるつもりはない。魔王であるこの俺がやらねば意味のないことだ」


「そうか。刻紋も期待外れな結果にならなくて何よりだよ。五秒――思ったよりは長かったよね」


 刻紋についてだが、俺は五秒エーテルを取り込めば魔力路が軋みをあげ、全身に激痛と魔法の使用効率の低下が起こり始める、とのことだった。

 ……この五秒というラインが、再生の秘跡で眠っていれば一日で治る程度。

 つまり、ここまでが『平時の使用上限』だ。


 六秒を越えれば魔力路がひび割れ始め、治療に要する時間は二週間。

 八秒では局所的な魔力路の破裂や出血を伴い、治療は数か月。

 そして十秒を越えれば、運が悪ければ死にかねない上に治療に要する時間は年単位……だそうである。

 勇者との戦いは十秒など軽く超えていた気がするが、つまり俺が今生きているのは本当に運が良かっただけ、ということなのだろう。


「フン……サキュバスのガキ程度、こんな刻紋に頼らずとも倒せるのだがな」


 仮想敵がフェルナであれば、五秒は長すぎる。

 フェルナが最大出力で重力魔法を発動した状態から開戦しても、五秒でその重力魔法を突き抜け完全に制圧することは容易いだろう。

 ……勇者のような技量とエーテルの両方を使いこなす相手なら厳しいが、そんな化け物がポンポン出てくるとも思えない。


 つまりこの刻紋さえあれば、魔領統一まで俺の覇道を遮ることができる者は、そうそういないはずである。

 そんなことを考えていると、アルメディアが少し考えこむような顔で口を開いた。


「……そうそう、一つだけ忠告だ。そのフェルナなんだけどね、多分、シャルミアは彼女で何かをしようとしていると思うんだよね」


「何か、だと?」


「うん。確証はないし、何をしようとしてるのかも知らないんだけどさ」


 随分と曖昧だが、こいつが迂遠な話し方をするのはいつものことだ。

 黙って続きを待つ。


「シャルミアはさ、元魔王軍副官としての責任を果たすために、このキュールグラードに留まって防衛の指揮と、新世代であるフェルナの監督をすると言っていたんだ。……でもね、ボク、たまーにキュールグラードも覗いてるんだけど……やっぱりシャルミアはおかしいよ。新世代であるフェルナを形だけ魔王として君臨させているけど、彼女にろくに訓練も受けさせてないのは明らかだ。他のところでは、どこも次代の後継者として訓練しようという意志は見えている。……上手くいっているかはともかくね」


「貴様はそのおかしい状況を見ているだけだったのか。フェルナに力を与えたのは貴様だろう」


「理由は二つある。一つは、緊急性が高くなさそうだと思ったから。そしてもう一つは……キミっていう重しから解放された彼女と敵対したら、最悪ボクが消されちゃうからだよ。いくら転移で逃げられるっていっても、ふつーに街に買い出しにきたら、ふつーの通行人に化けてたハイスライムに突然ナイフで心臓を一突き! とかあり得るんだからさ。ちょっとした違和感程度で敵に回せる相手じゃないのはわかるだろう?」


 あり得ないとはいえない……どころか、十分にあり得る話だ。

 シャルミアは現ハイスライム族の族長である。

 ハイスライムはかつて人族の姦計により大きく数を減らされ、本拠地とする都市も過去に陥落し持ってはいない。

 だが、シャルミアはその生き残りの多くを密偵として鍛え、魔領の各都市や人族国家へと放っている。

 シャルミアを本気で敵に回すということは、各地に浸透しているハイスライムのその全てを『自分を狙う暗殺者』に変えることと同じなのだ。


「確かに、貴様を殺すことと生かすことを天秤にかけ、殺した方が有益となればやるだろうな。シャルミアは合理性の塊のような女だ、同じ魔族だからといって躊躇はしない。貴様が本気でシャルミアと敵対すれば、どこに潜伏しようと決して安息の日は訪れんだろう」


 姿を変幻自在に変えるハイスライムが、いつ暗殺者として襲ってくるかわからない……そんな状況に飛び込みたいやつはまずいない。

 特にアルメディアは、元魔王軍幹部という肩書以外、なんの後ろ盾もないただの魔術師だ。

 五年前までの後ろ盾は魔王である俺だったのだが、今日この日までぐっすりと眠っていた。

 暗殺しても報復されないのだから、シャルミアが本当にアルメディアのことを邪魔だと思えば、命令一つで消すことはできてしまう。


「ま、ボクはボクで魔領にひろーく散っている新世代全部を監視したり、新世代の力を使った紛争が起きないように種族同士のパワーバランスの調整とかしてたから、つい後回しにしちゃっててさ。すっっっごく忙しいんだよほんとに」


 わざわざニニルを俺の肉体を守るための番犬に利用していたぐらいだ。

 忙しかったというのは、そうなのだろう。

 だがシャルミアが本当に『何か』を企てているのであれば、聞いておくべきことがある。


「アルメディア、一つ聞かせろ。今、このキュールグラードに領土的な野心を持っている魔族はいるか?」


 質問がおかしかったのか、アルメディアはプッと吹き出し、声をあげて笑い出す。


「ハハハ、いるわけないでしょ! ここは収入もろくにないくせに、責任だけは死ぬ程重大なんだよ? キュールグラードを領土に組み込んで責任を負うなんて、誰もやりたがらない貧乏くじさ。それに転移で各地の様子は定期的に見てるけど、みんな自分の領地のことで手一杯だよ」


 『馬鹿だなぁ』とでも言いたげなムカつく表情だ。

 しかし無自覚なようだが、その答えはシャルミアへの疑念を確信へと引き上げることができるものだった。

 まぁ、アルメディアは刻紋技術に関しては非常に優秀だが、なんというか……こいつはどこか抜けている。

 だからこそ、魔王軍最古参であるにも関わらず、副官ではなく幹部止まりなわけだが。


「そうか。それだけ聞ければ十分だ」


 最初から、シャルミアに対して薄っすらとした疑念自体は持っていた。

 その疑念が、頭の中で具体的な形となっていくのを感じる。


 アルメディアは各地に配置した監視魔道具と、本人の転移魔法による移動力により、広い情報源を持っている。

 だが、あくまで個人だ。

 アルメディアが個人で知りえることを、各地に浸透したハイスライム情報網の頂点にいるシャルミアが知らないはずがない。


 ――グレゴールは言っていた。

 シャルミアは魔族の『新世代』を恐れるあまり、精鋭を内地に配置することでその防波堤としている。

 つまり……人族より、同族である魔族を恐れているのだと。

 だが、そうではなかった。

 シャルミアは他の魔族にキュールグラードを狙う野心がないことを知っている。

 ならば、グレゴールが言っていたことは、シャルミアが『表向きそう認識させている建前』でしかない。

 あえて精鋭を人族との境界から遠ざけている理由は……何らかの理由で最前線を手薄にしようとしている、それ以外には考えられない。


 ――オーク討伐を終えシャルミアと会おうとしたとき、シャルミアは不在だった。

 あの時、フェルナや翼人族たちが帰還するよりも、転移魔法で戻った俺の方がキュールグラードに先についていたはずだ。

 防衛施設の一つが陥落した後、安全の確認もとれていないというのに指揮の拠点から離れる……今考えても、やはり不自然だ。

 奴は俺に勘づかれたくない『何か』があり、ただ隠れていただけなのではないだろうか。


 ――シャルミアはフェルナに負けたと言っていた。

 しかしフェルナの実力を知れば知る程、技量の低いフェルナが、狡猾なシャルミアと戦って勝てるとは思えなかった。

 ……ハイスライムであるシャルミアには、『分体生成』という特殊技能がある。

 戦闘能力は五割程まで落ちるが、遠く離れても意識を同期することができる、偽物の身体を作る技だ。

 フェルナが勝ったというのは……本当にシャルミアの『本体』だったのだろうか?

 そもそも、俺が再会したシャルミアですら、『本体』ではなく偽物の『分体』だった可能性がある。


 ……シャルミアが『何か』を企てている。

 そして奇襲に弱いフェルナが現在も殺されず生きている以上、それはフェルナへの下剋上を狙う類のものではない。

 ならば、考えられるのはここが最前線のキュールグラードである以上、人族に関わる事案――その可能性が非常に高い。


 積み上がった違和感が、嫌な方向へと傾いていく。


 ……こんな経験は、かつてもあった。

 十五年程前に、ある種族が起こした悲惨な事件。

 魔王軍副官シャルミアという傑物が出たことで汚名は大方払拭されたものの、今でもその種族を穿った目で見る者は多い。


 ――ハイスライム。


 それはかつて、魔領において『裏切り者』の代名詞だった言葉だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る