研究成果

「あーあー、ディルグこんなんじゃ全然駄目だよ。……はぁ~、芸術性が全くない。キミはこんなみっともない刻紋を刻んで魔王軍を率いようっていうのかい? あぁ嫌だ嫌だ、これだから欠片もセンスのないやつは。ボクに貸してみなよ」


 ――キレそうだ。


 アルメディアが何をしに来たかと言えば、どうやらこのダメ出しだったらしい。

 「ボクの作った刻紋を見たなら、キミはそこで得た着想を自分を強化するための刻紋に流用するだろうと思ってね。その監修をしにきたんだよ」とのこと。

 推測が当たっているのも腹が立つ。

 しかもアルメディアの口から放たれるのは罵倒、罵倒、罵倒の連続だ。


「貴様はわざわざ俺を煽りに来たのか?」


「アハハハハ、そんなわけないじゃないか、誤解しないでくれよ。ボクは魔王を自称する新世代とも、彼女たちに屈服した他の旧世代とも違う。魔王ディルグこそが魔領を統べるべきだと信じている、忠実なキミの配下さ! よかったねディルグ、優秀で有能で美麗で美脚な最っっっ高の魔術師が合流したんだ。ほら、地面に頭を擦りつけて喜びなよ」


「貴様はわざわざ俺を煽りに来たんだな」


 ……アルメディア程、魔王である俺を舐めた配下はいないだろう。

 だが、悔しいことにこいつは本当に有能なのである。

 現在進行形でアルメディアは、俺が気づかなかった刻紋の粗を洗い出し、安定性や効率を改善しながら刻紋を描き変えている。


「ま、キミの描いた刻紋もちゃんと機能はするだろうし、基礎はできてるよ。これだけ描ける刻紋魔術師は、ディルグを含めて魔領に五人といないだろうね。ただ、ボクが更に更にその上にいるだけさ」


 くだらないことを喋りながらも、その刻紋を描く筆が止まることはない。

 『新世代』を作り上げた……言葉でしか聞いてはいなかったが、そのことに実感を得る。

 ……こいつの刻紋技術を認めていなかったわけではないが、ここまでの芸当を見せられては、ほんの少しだけアルメディアの方が刻紋において優秀だと認めざるを得ない。

 しかも今作っているのは、その『新世代』を作り出した刻紋に近しい刻紋。


 ――旧世代である俺が、『エーテル』を取り込むための刻紋だ。


「う~~~ん、こんなもんかな。これで、キミでも『一瞬だけなら』エーテルを取り込めるだろう。あとはキミの魔力路の具合に合わせて調節するだけだ」


「よくやった、アルメディア」


「あれあれ、キミは今魔法技術の革新を目にしたんだよ? もっと大げさに褒めてもいいんじゃない? ま、そうは言ってもほぼキミ自身のスペックに依存したものだから、大したことないといえば大したことないんだけどさ」


 俺の意見はどちらかといえば、『大したことないといえば大したことない』の方だ。

 今アルメディアが作った刻紋は、完成度は非常に高いものとなったが、根っこの部分では大した理論を使っていない。

 『新世代』を作るための理屈は参考にしたが、それだけだ。


 ……まぁ少しでも知識のある魔族なら、旧世代である俺が一瞬だけでもエーテルを取り込むなど不可能だと言うのだろうが。

 エーテルを取り込めば死ぬ、それが魔領の常識である。


「……アルメディアさん。その刻紋で、本当にディルグ様がエーテルを取り込めるようになるんですか? また、お怪我をしたりしないですか?」


 ニニルも心配そうな顔で聞いてくる。

 だが、その質問に答えるとニニルは余計な心配をすることになる。

 適当にはぐらかそうと口を開こうとしたところで、アルメディアに先を越された。


「怪我はするね。当たり前だよ、だってディルグは旧世代だもん」


 ニニルの顎が、驚愕でストンと落ちる。

 一瞬の思考停止の後、ニニルは叫んだ。


「だ、ダメです、そんなのダメです!! またディルグ様にあんなお怪我を負わせるわけにはいきません! わたしが代わりに戦いますから、ディルグ様はエーテルを取り込まなくていいんです!」


「ニニル、落ち着け」


「で、でも!」


「なんというか……この刻紋は怪我はするが、安全なのだ」


「……怪我はするけど、安全?」


 矛盾しているが、『安全』という言葉を『エーテルを取り込んでも活動を継続できる』と言い換えるともっとわかりやすくなるかもしれない。


 エーテルが体内を流れている状態を川の濁流に例えるならば、ところどころで川の堤に穴を開け、致命傷にならない部分で少量ずつダメージを引き受ける……というようなダメージ軽減の効果を持つのがこの刻紋だ。

 かつて勇者との戦いでも、俺は血で似たような即興の刻紋を刻んで延命を重ね、稼いだ時間を使って勇者を倒したのである。

 だが、もちろんこれを刻んだだけでは、通常の魔族ならエーテルを取り込んで数秒で許容量を超えて死ぬ。


 これは、俺が刻むからこそ意味があるのだ。


「ディルグは旧世代の中でも常識外れに頑丈なんだよ。だから、本来は即死級のダメージでも、しっかり分散してあげればそう簡単に死にはしない。今もディルグが生き残っているのがその証拠だね。それに……ディルグは一度エーテルを全身に深く取り込み、傷ついた魔力路を再生の秘跡で五年かけて再生させた。既に、新世代のキミたちが経験した『慣らし』を一度だけではあるが済ませているのさ」


 旧世代である俺がエーテルを取り込むための核は、刻紋より俺自身のスペックにある。


 『新世代』は、魔力路が柔軟で傷つきにくい子供にエーテルを一瞬だけ取り込ませることを繰り返し、徐々に体をエーテルに慣らしていくという手法で作られた。

 俺は魔力路の柔軟性が失われエーテルを流せば必ず傷つく旧世代だが、エーテルを取り込んだ肉体を『再生の秘跡』を使うことで再生させている。

 アルメディアの言う通り、エーテルを一度だけではあるものの、強引な手法で深く身体に慣らしたのだ。


 とは言っても、俺の魔力路がエーテルを無条件に通せるようになったわけではない。

 多少広くなったのはわかるが、それでもおそらく、エーテルを取り込めば魔力路は傷つき、傷ついた分だけ療養の時間が必要になるはずだ。

 ……だが、五年も眠るような傷は論外としても、それが短時間で治る程度にまで抑えられれば十分実用化が可能である。


 ――五年をかけて再生させたことで、僅かに拡張できた魔力路。

 ――もともとエーテルを取り込んでも死なない程に頑丈な俺の肉体。

 ――そして俺が今後も『再生の秘跡』を使用できるという前提。


 この三つが揃うことで、旧世代である俺にもエーテルを取り込むことのできる余地が生まれたのである。

 ……本当にわずかな余地ではあるが。


「……?」


 ニニルはまだあまり理解できていないのか、神妙な顔で話の続きを待っていた。

 まぁ、アルメディアと俺がここまで理解できているのは、もともとエーテルの研究者だったからだ。

 アルメディアの説明を、よりかみ砕いて結論を伝えてやる。


「怪我はするが、それは貴様が五年前に見たようなものではない。これは、ダメージをこの再生の秘跡で一日二日寝ていれば治る程度の僅かなものに抑えつつ、ほんの一瞬だけエーテルを取り込むための刻紋なのだ。……その一瞬がまさに刹那なのか、数秒あるのかは、これから調節してみなければわからんがな」


「……ディルグ様はすごいから、頑張ればちょっとだけならエーテルを取り込めるってことですか?」


「そういうことだ」


 離乳食レベルのかみ砕きになってしまったが、ニニルに深く理解させる必要もない。

 このぐらいでいいだろう。


「でもやっぱり、お怪我はするんですよね? あの、もし大丈夫じゃなくなったら、必ず言ってください。わたし、今ならきっと役立たずじゃありません。絶対にディルグ様のお役に立ってみせますから!」


「心配はするな。俺もこの刻紋を乱用するつもりはない」


「……そうなんですか?」


「貴様ら新世代のように『成長』を目的とはしていないからな。というより通常の魔族……旧世代は俺のように魔力路を粉々に破壊して再生させでもしない限り、魔力路拡張などできん。使うのはここぞという時だけだ」


 この刻紋を使い魔力路を傷つければ、当然肉体には激痛が走る。

 しかも、使えるのはおそらくほんの一瞬――使い時はかなり限定されるだろう。

 ニニルとの話を終えると、アルメディアが刻紋の下絵をひらひらさせながら言ってくる。


「さぁディルグ、最終調整を終えたら、ボクが手ずからキミの肌に刻んであげよう。上を脱いでもらおうか」


 その下絵は、安全装置つきのエーテル吸入口の効果を発揮する中心部分と、全身にダメージを散らすための大きな装飾のような部分に分かれていた。

 あのサイズとなると……刻むのは背中しかないだろう。


「ほら、どうしたんだい? まさか、いまさらボクのことが信用できないなんて言わないよね?」


 どこか楽しそうに、手をワキワキとさせるアルメディア。


 なんというか、背中を預けるのが非常に不安になる動きである。

 ……だが刻む場所が背中となると、自分で刻めない以上任せる他ない。

 ニニルは論外として、他の誰かに頼むことも難しいだろう。

 刻紋というのは、刻むにしても非常に高度な魔力操作の技量が要る。

 それがエーテルを扱う程に高度なものとなると、それこそ開発者であるアルメディア本人ぐらいしか刻めない。


 まぁこいつは信用ならないところのある女だが、若い割に魔王軍では最古参ともいえる幹部であり、付き合いも最も長い。

 おかしなことはしない……いや、おかしなことはするかもしれないが、俺が本気で激怒するようなことはしないはずだ。


「……貴様に任せよう」


 大人しく上半身の服を脱ぎ、アルメディアに背を向ける。


「任されたよ。……わ、相変わらずすごい筋肉だね」


 アルメディアが俺の背中に掌を当てる。

 そして、ぼんやりと自分の魔力とは違う魔力の流れを感じた。

 自身の魔力を流すことで、俺の魔力路の具合を確認しているのだろう。


「あーなるほどね。はいはいはい」


 アルメディアは下絵の紙にサラッと修正を加えると、それを床に置く。

 それから――突然、なぜか背中に柔らかい感触があった。


「っ……!? ア、アルメディアさん!?」


「……アルメディア、貴様何をやっている?」


「何って最終調整に決まってるじゃないか。キミの魔力路を隅から隅まで見て、何秒までならエーテルに耐えられるか計算しているんだよ」


「それはさっき終わったように見えたんだがな」


 アルメディアはその胸や腹部を密着させながら、両脇から差し込んだ腕で俺の胸筋、腹筋、ふとももをくすぐるようにまさぐっていく。

 当然のように、魔力の流れは一切感じない。

 これは最終調整などではなく、ただ単純に撫でまわしているだけだ。


「……ちょっと友人感覚で付き合いすぎたのか、キミはボクが女だということを忘れているようだったからね。キミの脳髄に、ボクがとっても華奢で、柔らかくて、そして何よりか弱いんだと教えてあげないといけないと思ってさ。そうすれば、いきなり殴りかかることもないだろう?」


 殺意を込めた本気の一撃ではなかったといえど、魔王である俺の拳をただの魔法障壁で受け止めるような奴が『か弱い』わけはない。

 こいつの戦闘能力は、元魔王軍幹部たちの中でも相当高い方だ。

 それに、どうやらこいつの認識には誤りがあるらしい。

 一つ言っておかねばならないことがある。


「貴様が男だろうと女だろうとどうでもいいが、貴様と俺は友ではない。魔王と、その配下だ。決してそのことを忘れるな」


「アハハハ、友も配下も些細な違いじゃないか。ま、でもそれを言うなら、魔王軍が無い今はあのクソのように安い俸給すらないんだ。刻紋の代金だと思って大人しくしてなよ」


 横目でアルメディアの表情を見ると、どこか嗜虐心を滲ませた笑みを浮かべていた。


 もしかするとこれは、初手で殴りかかったことに対しての意趣返しなのかもしれない。

 殴られそうになった腹いせに俺を何かでやりこめてスカッとしたいと、そういう意志を感じる。


 腕力で跳ねのけることは簡単だが……現状アルメディアの言う通り金が払えないのも事実である。

 『刻紋の代金』という言葉は、つまり払わなければ刻紋に関して一切の保障をしないという宣言だ。

 アルメディアは今も、背にその薄い胸を押し付け、細い指先で太腿のあたりをスリスリと撫でている。

 これを力任せに跳ねのければ、アルメディアは高確率で刻紋自体にくだらない小細工をしてくるだろう。

 ……それは避けたい。


「アルメディアさん、ディルグ様に変なことしないでくださいっ……!」


「キミも見ていればいい。オトコの篭絡の仕方、実践で教えてあげよう。今度、キミも真似してみれば案外ディルグを落とせるかもしれないよ?」


「ろ、ろうらくのしかたっ……!?」


 ニニルが静止の声を上げるが、一瞬で陥落し黙り込んだ。

 隙間だらけの両手のひらで顔を隠しながら、じっとこちらを見つめている。

 それに気をよくしたのか、アルメディアは耳元に顔を寄せ、吐息を吹きかけてくる。

 しかし『放っておいても害はない』だろうが、こう好き放題されるのは不愉快だ。


 ……そんなことを考えているうちに、アルメディアは俺の内もものあたりで何かを発見したのか、息を呑む。


「っ……! こ、この硬いのは……」


 アルメディアは『ソレ』を指先でおそるおそる一撫でし、形状を確認すると……深呼吸した。

 それから呼吸を整えると、再度背中に密着。

 そして、指先でくりくりと『ソレ』を撫でまわすように弄りながら、耳元で囁く。


「おや、おやおやおや? ディルグ、ついにボクの魅力に気づいてしまったかい? ま、ボクほどの美女にこうも密着して誘惑されれば、いくら堅物のキミでも落ちるというものだよね。フフ、このポケットの奥で硬くなっているのは、な・に・か・な?」


「刻紋用の墨の小瓶だ。アホか貴様は」


「!?」


 アルメディアは魔王軍最古参。

 アルメディアが俺の性格をよく知っているように、俺もアルメディアという魔女の人となりをよく知っている。


 ……アルメディアはいつも自分の工房に籠っている引きこもり女だ。

 しかも、性格に難のあるアルメディアには、浮いた話など一度も聞いたことがない。

 俺をやりこめようと無理をして淫魔の真似事をしても、どうせそのうち自爆するか、自分から恥ずかしくなってやめるかのどちらかだ。

 アルメディアとはこれまで、くだらない些細なことで小競り合いを繰り返してきた。

 こういったことは、かつても何度かあったのである。


「こ、小瓶。へぇ、小瓶ね……まぁ、さ、触った感触でわかってたけどね……?」


 振り向くと、想像通りアルメディアの顔色は真っ赤に染まっていた。

 慣れないことをするからだ。

 嗜虐的な表情を崩さずに、かつ全身をプルプル震わせるという器用な真似までしている。


 それから数秒して……ガックリ項垂れると、大きくため息を吐いた。


「はぁ……コレ貰うよ。ちょうど欲しかったんだよね、刻紋用の墨。今から使うからさ」


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