魔王の技量

 暗灰色の巨竜。

 へし折れた木々を勢いよく弾き飛ばしながら、それは森の外へと現れた。


「あれは……地竜、ですか?」


「違うな、岩鎧竜という種類だ。似てはいるが『格』が違う。厄介なことに、アレは竜峰の捕食者たる――上位竜種だ」


 巨大な四足竜という点は、確かに地竜に近い。

 手足が短く胴の太いずんぐりとした体形も、似てはいるだろう。

 だがその危険さは、下位竜種の枠組みにいる地竜とは比べ物にならない。


 まず上位竜種は、下位竜種と比べその肉体の強度が一段違う。

 頑丈さという意味でも、膂力という意味でもだ。

 身体は竜種でも大きいとされる地竜より二回りは大きく、ニニルが倒したワイバーンなどとは比べ物にならない巨体。

 更には『鎧』と名に入っている通り、暗灰色の鱗は下位の竜種とは比べ物にならない鉱石の如き硬度を誇り、それが何層にも重なっているのである。


 下位竜種の突進ならば受け止められる俺でも、上位竜種の中でも特に重量級である岩鎧竜の突進を正面から受けるのは避けたいところだ。


「グルォアアアアアアッ!!!!!」


 岩鎧竜がその凶相でフェルナを睨みつけながら、咆哮を上げる。

 魔力が黄土色の燐光となって可視化されるほどの、強烈な魔力威圧。

 『エーテル』ではなく身体の内部に存在する『オド』ではあるものの、上位竜種の保有する『オド』はそれほどまでに膨大だ。

 一般的なレベルの兵士であれば、この咆哮を受けただけで腰を抜かして失禁してもおかしくはない。


 ……しかも、完全に激昂している。

 餌場である森を破壊されたことを、『挑発』だと捉えたのだろう。


「フェルナ、貴様は下がっていろ! アレはオークなどとは格の違う相手だ! ……ニニルも降りてここで待て。いいか、絶対に近づくな、これは命令だ」


「は、はい。ディルグ様」


 俺が本気で戦うのならば、先ほどの投石のような小手先の技ではなく、牛鬼族の戦士として磨き上げた技を駆使した拳闘になる。

 この魔王のそばにいるのが一番安全だと言いたいところだが、流石にガキを背負いながらアレと殴り合いを始めたくはない。


「なーんだ、ただのおっきい地竜じゃん。空も飛べない地竜なんかじゃ、私には絶対勝てないもんね♡ でもぉ、『格』が違うっていうなら……ディルグちゃんに『私の格』こそ違うっていうトコロ、見せちゃおっかなぁ~♡」


 フェルナが流し目でこちらを見ながら、魔力を高めた。

 どうやら退く気は全く無いらしい。

 自分が空を自由に飛べるだけあって、そもそも地を這うタイプの竜など敵ですらないと思っているのだろう。


「言うことを聞け! チッ……!」


 フェルナに言うことを聞かせるのは早々に諦め、岩鎧竜が行動する前に仕留めるのが良さそうだ。

 全力の身体強化をかけて、岩鎧竜に向かって走る。


「ディルグちゃんこそ、私のこと舐めすぎなの! 私は『新世代』なんだから、『旧世代』のディルグちゃんはいいかげんに従って! 疲れるからあんまりやりたくなかったけど、ほんとにほんとの全力、見せてあげるからっ!!」


 しかし俺が接近しきる前に、フェルナが岩鎧竜に重力魔法をかけた。

 異様な密度の魔力を感じ、とっさにバックステップで距離をとる。


「ほーらディルグちゃんもっと下がって! 巻き込まれたくなかったらね!!! 『極地重力』!!!!!」


 ズン、と地面が大きく振動した。


「グギィィイイイイイッ!!!!!」


 まるで自分が飛び跳ねたのかとでも思う程の、大きな地揺れが周囲を襲う。

 その直後、岩鎧竜が『居た』場所へ突風が吹き、もうもうと土煙が舞った。

 ……それが晴れる頃には、岩鎧竜の姿は跡形もなく消えていた。


 ――岩鎧竜の体長より一周り大きい、円形のクレーターだけがそこに残っている。


 どうやら、重力魔法の範囲を狭めた分、力を集中して岩鎧竜にぶつけたらしい。

 フェルナは空を飛ぶ高度を下げると、クレーターを覗き込む。


「あー、完全に埋まっちゃった……でも、もう動けないでしょ。はい、私の勝ちー♡」


 フェルナはアピールのつもりなのか、両手で勝利のダブルピースをしている。


 フェルナと岩鎧竜――十分な距離をとって、魔鉄鋼造りの闘技場かなにかで正面から戦えば、勝つのは本当にフェルナだろう。

 非常に硬い外殻を持つ岩鎧竜といえど、先ほどの『極地重力』であれば、その動きを縫い留め、自重を膨れ上がらせてゆっくりとではあるが潰しきることも可能なはずだ。

 だが、今回はフェルナの負けである。


「……本当に世話の焼けるガキだ」


 『感知』の魔法が伝えてくる。

 岩鎧竜はまだ生きている、と。

 フェルナは地面に埋めただけで勝ったと思っているようだが、岩鎧竜は土魔法で土を流動化させ、モグラのように地中を移動していた。


 下位竜種と上位竜種、その最も大きな差異は、肉体の強度や大きさではない。

 上位竜種はその身に満ちた『オド』で、魔法を使う。

 さらに言えば、それを可能にするだけの確かな『知性』こそが、下位竜種と上位竜種の決定的な差なのである。


 岩鎧竜が、フェルナの真下で止まった。

 そして、勢いよく上昇を始める。

 本来であれば地中からの接近を知らせるはずの地鳴りも、岩鎧竜が魔法で地中を流動化させているため、極小にしか響かない。


「はー、つかれたー……でも、ディルグちゃんが『格』が違うって言った相手にこんなに楽勝だったんだから、今度こそディルグちゃんも私の事『魔王』って認めてくれたよね? んふふー、ずーっと欲しかったんだ、頑丈な召使い♡ 面倒な魔獣討伐とか、ぜーんぶディルグちゃんに任せちゃうから。これから一生コキ使ってあげるから、覚悟しておいてよね♡」


 フェルナの戯言を無視して、再度身体強化を発動する。

 そして、フェルナに向かって駆けた。


「あっ、なぁに!! ディルグちゃん、この期に及んでまだやる気なの!? っていうか、戦士の誓いがどうたらって言ってたのに、話が違うじゃん!!」


「違わん! 言ったはずだ、戦士の誇りにかけて、今日一日は貴様の身を必ず守るとな!!」


「はぁ!? 意味わかんないんだけど!!」


 フェルナの足元の地面が、唐突にドプンと"溶けた"。

 岩鎧竜の魔法だ。

 そして、まるで間欠泉の噴出のように、多量の泥と共に岩鎧竜が勢いよく現れる。


「グラアアアアアアアッ!!!!!」


 ――地中から、空にいるフェルナへの大跳躍。

 あまりにも突然だったそれをフェルナの目が捉えた時、岩鎧竜の顎とフェルナの距離は、もう自力では回避不能なほどに縮まっていた。


「うそっ……!!」


 フェルナが慌てて重力魔法を発動するが、遅い。

 練度が低いせいで、出力が上がるまでに時間がかかっている。

 数秒程かけてさっきの『極地重力』の出力にもっていくつもりだろうが、その数秒後には噛み潰されているだろう。


 発動し始めたばかりのフェルナの重力魔法の加重すらも利用して、強く岩鎧竜の足元へ踏み込んだ。

 岩鎧竜はその巨大な身体を、既に地中から半分以上現している。

 ただ横から殴るだけでは足りない。

 頑強な岩鎧竜は、生半可な攻撃を仕掛けたところでそのままフェルナに喰らいつく。


 ――踏み込む足に、更に身体強化の魔力を込めた。

 魔王軍に伝えた軍用身体強化……別名、牛鬼族流魔闘術。

 これは拳闘士が多かった牛鬼族の戦士が幼少期から叩き込まれる技であり、かつて近接戦闘において魔族最強は牛鬼族だとまでいわしめた、俺が最も信頼している技術だ。


 身体強化を発動させながら、脳内に記憶されている『型』通りに身体を動かす。


 フェルナやニニルのような新世代に言わせれば、旧世代たる俺の『オド』はごく少ない魔力。

 だが、その魔力を足、腰、肩、腕へと流動させながら、瞬間的な最高効率の身体強化をかけ、力を倍増させていく。

 身体が『型』を完璧に覚えているからこそできる、綱渡りのような芸当だ。


 体内で運動エネルギーが爆発的に膨れ上がっていく。

 先ほど、オークに使った投石の比ではない力が、最後に掌底に篭った。

 硬い岩盤ですら一撃で砕き"崩す"、牛鬼族流魔闘術の技の一つ。


「『崩拳』」


 ――衝撃。

 掌底が当たると同時、鱗が『内側』から弾け飛ぶ。


「グォ――――ッ!?」


 岩鎧竜がグルンと白目を剥いた。

 だが、まだ終わりではない。

 フェルナへ向かう軌道から逸らすように、さらに腕を押し込む。


 ――巨体が吹き飛んだ。


 岩鎧竜は身体をくの字に曲げ、巨体を跳ねさせ地を揺るがしながら、転がっていく。

 その動きが止まると、ビクリと大きく痙攣し口から大量に血を吐いて脱力した。


 ……死んでいる。

 『感知』で、確かにそう確認する。


 『崩拳』は、その衝撃をもって敵を内部から破壊する技。

 頑丈な肉体をもつ牛鬼族の拳闘試合でも、相手を一撃でノックダウンさせる決め技と呼ばれる部類のものだ。

 そしてこの魔王級の技量を持った俺が使えば、それは頑強な岩鎧竜でさえ屠る必殺の一撃となる。


「――ふぅ。ちゃんと生きているか、フェルナ」


 『感知』の範囲内に、他の魔獣の姿はない。

 俺は偏ってしまった魔力を全身へ散らした後、フェルナに声をかけた。


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