翼人
「えっ……あ……?」
一瞬の出来事に、フェルナは理解が追い付いていないようだ。
「あと少しで死んでいたぞ、フェルナ」
フェルナは岩鎧竜の生臭い吐息を浴びる程に距離を詰められていた。
あの状況から、『重力魔法』以外の手札を持たないフェルナが何かできたとは思えない。
フェルナの精神が復帰するより前に、ニニルが駆け寄ってくる。
「ディルグ様、すごい! すごいです! あんなこと、わたしでもできません!」
……どうやら、今回はニニルから見ても素晴らしい威力だったらしい。
俺はその賞賛を身に受けながら、当然というように宣言する。
「魔王の名は伊達ではない。まぁ、上位竜種程度に後れをとるような、魔王を名乗るに相応しくないガキもいるようだがな」
「ッ……!」
失態の後だけあって、どうやらこれは刺さったらしい。
フェルナは瞬く間に顔を赤くして、口を一文字に引き結ぶ。
そして、プルプルと震えだした。
岩鎧竜の出現はとんだアクシデントだったが、ある意味幸運だった。
フェルナは『エーテル』の圧倒的な力を振るうことで魔王などと名乗ってはいたが、その練度・知識・実戦能力はどう考えても相応ではない。
俺には未だに、シャルミアがフェルナに負けたというのが信じられない程である。
とはいえこの敗北で、フェルナがただ力に驕り調子にのっていただけのクソガキならば、怖気づいて魔王の座を明け渡すことだろう。
死の恐怖――それは強い意志なくして克服できるものではないのである。
「全く、貴様のようなガキには、まだまだ魔王など務まらんとこれでわかっただろう。本当に死ぬことにならんうちに、とっととキュールグラードの全権を俺に返すのだな。この魔王ディルグに対して散々不敬を働いたことは許しがたいが、所詮はガキのしたこと、貴様のことも決して悪いようにはせん。信じられないというのならば、再び戦士の誇りにかけて誓ってやろう」
俺の話を聞くフェルナの顔が、赤く染まっていく。
これは、驕っていた自分を恥じる羞恥……ではない。
プクーーーッと膨れたその頬を見れば、どんな感情かは一目でわかる。
フェルナが、息を深く吸い込んだ。
そして叫ぶ。
「ディルグちゃんのせいーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!」
「なっ……!」
耳に響く大声。
キーンとした残響が消える前に、フェルナはまくし立てる。
「ディルグちゃんのせいだもんっ!! ディルグちゃんとお話しして、いつもより飛ぶ高度下げてたのがいけないのっ!! いつも通りなら、重力魔法間に合ってたもん!!!! 私は、魔王に相応しいのっ!! これまで五年間、ずっとキュールグラードを守ってきたのは私なんだからっ!!!!」
「フェルナちゃん……」
感情のままにフェルナは叫ぶ。
……面倒な、と思うと同時に、少し意外にも感じた。
フェルナは言動から察するに、魔獣討伐をそもそも面倒くさいことだと感じていたはずだ。
サキュバスという種族は、傾向の話ではあるが、戦いを好みやすい種族ではない。
……それなのに、本当の死の恐怖を感じてなお、戦いの象徴でもあるような『魔王』の座にしがみつく?
力に溺れ、力を誇示すること自体を楽しんでいるだけかと思ったが……何か、こうも感情的になってまで魔王に拘る理由がありそうだ。
「……今回俺が助けねば貴様は死んでいた。エーテルを使えるといえども、簡単に死ぬことはある。少なくとも、自分は絶対に負けない強者だなどとという認識は改めることだな。俺に言わせれば、貴様はいつでも倒すことのできるただのクソガキに過ぎんのだ。今度こそ、本当に力ずくで魔王の座を返してもらっても良いのだぞ」
だがどうあれ、フェルナにまだ魔王は務まらない。
少しキツイ言い方かもしれないが、これを言わねば近いうちにフェルナは『魔王』という役目に殺されることになるだろう。
今回のように単独での魔獣討伐など、本来やっていい実力ではない。
「ッ……」
フェルナは頬を膨らませ、いかにも怒ってますという顔だ。
だが、最初の時のように売り言葉に買い言葉で挑んでは来ない。
……ちょっと涙目でもある。
もしかすると、今の岩鎧竜との戦いで、本当に勝てるのかわからなくなってしまったのかもしれない。
実際、俺にはフェルナを殺す手段はいくらでもある。
例えば雷撃。
雷撃は複合属性魔法と呼ばれる非常に難度の高い魔法ではあるが、俺ならば実戦に耐えうる威力で使いこなすことができる。
重力魔法では防ぎようのない雷撃ならば、防御障壁すら使えないフェルナに抵抗する術はないはずだ。
それに、フェルナはそもそも魔法の練度が低く、発動が遅い。
あらかじめフェルナの重力魔法を俺の重力魔法で相殺すれば、フェルナの加重がそれを上回るまでの数瞬、俺は完全に自由に動くことが可能だろう。
身体能力の低いフェルナ相手ならば、一秒あれば十発の即死級打撃を打ち込むこともわけはない。
積み重ねた技術の差は、文字通りガキと大人程に大きく開いている。
勇者はエーテルに加えて達人並みの技量を兼ね備えていたからこそ、圧倒的な脅威だったのだ。
同じエーテルを使えるとはいえフェルナのような素人であれば、"力比べ"でないならばどうとでもできる。
だが――。
「『旧世代』のディルグちゃんのことなんか、絶対、絶対認めないもん」
「……。全く、強情なガキだ」
俺の事を認めないという意志の表れか、そっぽを向いてしてまっている。
……やはり、"力比べ"をせねばならないのだろう。
エーテルを使える『新世代』である――そのことこそが、フェルナの自信の根幹だ。
もし一時的に従わせることができたとしても、雷撃で倒せば対抗手段である防御障壁を覚えた頃に、重力魔法の相殺で倒せば重力魔法の発動速度を上げた頃に、重力魔法という本来の実力では上回っているのだからと再戦を申し込んでくるのは目に見えている。
発動前に倒す、一時的に相殺する……そんなせせこましいやり方では駄目だ。
あくまで『従わせる』のなら正面から上回り、『新世代』が強者であるという自負こそを、粉々に砕いてやらねばならない。
まぁ他にも、精神的に優位にある今のうちに諭して懐柔してしまうという手はあるが……分別のある大人の魔族を従わせるならともかく、癇癪を起したガキの機嫌の取り方など知らん。
まずは宥めなければ話すらできそうにないが、さてどうするか。
……と考えていると、『感知』に近づいてくる集団の反応があった。
「ん、あれは……魔獣、ではないようだな」
その集団は空を飛びながら接近すると、近くに降り立つ。
そして中から一人の翼人……鳥のような翼が生えた、金髪の男が歩み出てきた。
「おぉ魔王様! 報告で聞いてはいましたが、本当に生きていらっしゃったのですね! 覚えておられますか、元魔王軍翼人兵団、団長代理、グレゴールでございます!」
空を飛ぶ種族であり、筋骨の太くなりにくい翼人族らしい長身痩躯。
だが痩躯といえどもキュールグラードにいた新兵たちのような、なよなよしさは感じない。
鍛えた体幹を感じさせるブレの無い歩き方、そして全く隙のないその立ち振る舞いだけで、目の前の翼人族の青年が歴戦の兵なのだと伝わってくる。
男はそのまま俺の前で片膝をつき、胸に拳を当てる。
この男のことは、よく覚えている。
「岩鎧竜を一撃で倒されるその強さ……また拝見できたこと、至上の喜びでございます。誰よりも屈強な魔王様が人族如きに敗北するわけがないと、このグレゴール、心の底では信じておりました!」
「久しいな、グレゴール」
――翼人兵団。
それは、キュールグラードから遠く離れた『大渓谷』を居城とする翼人族を主体とした、魔王軍の主力兵団の一つだった。
任務は主に、このキュールグラードの防衛。
魔王軍結成以降、この地の防衛における実働の要を果たしてきた者たちだ。
団長代理であるグレゴールも、幹部格と比べれば一段落ちてはしまうものの、まずオークぐらいは瞬殺してのける実力者である。
グレゴールの背後を見れば、そこにも見覚えのある兵が数名いた。
かつての人族との戦いを生き延びた精兵たちだ。
……全くシャルミアめ。
十分使えそうな兵もいるんじゃないか。
翼人兵団がいるならば、問題なくオーク程度蹴散らしただろうに。
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