魔獣討伐(魔王のターン)

 ニニルを背負子に乗せながら、起伏のある草原を進んでいく。

 既にキュールグラードからはだいぶ離れ、あと少しで竜峰麓の森につくという距離だ。

 目的地であるオークに奪われた監視塔は、森の外縁から少し離れた高台にある。


「ディルグ様、少し汗をかかれてますね……そうだ、ごはんの時、水筒にお茶を淹れておいたんです。いかがですか?」


「この丘を越えれば、もう監視塔が見えるはずだ。魔獣の前でくつろぐわけにもいかん、後でいい」


 どんな魔獣であろうと返り討ちにできる自信はあるが、今回はフェルナとの時のような魔族同士のじゃれあいのようなものではない。

 決して油断はしない。

 丘の先を見据えつつ、広範囲に『感知』を発動する。

 『感知』は魔力を網の目のように薄く細く広げることで、魔力を有する生命体の位置や動きを探知することのできる非常に有用な魔法である。


「ニニル、そのお茶私にちょーだい。喉かわいちゃったー」


「いいですよ。はい、フェルナちゃん」


 目と耳で周囲の警戒をしながら、『感知』の範囲を広げる。

 『感知』の魔法に、背負子に座りながらコップにお茶をそそぐニニルの反応があった。


「しっぶーーーい!! なぁにこれ、薬草茶?」 


「あっ、ごめんなさい……ディルグ様はスッキリしたお茶よりも、滋養のある薬草を煎じたしぶーいお茶がお好きだったので……」


「いくらんでもしぶすぎー。口直ししたーい。何か甘いの持ってない?」


「実はディルグ様と食べようと思って、アプレの実をふたつ採っておいたんです。私の分、半分こしましょうか」


「いいの? ありがとニニル♡」


 慎重な足取りで丘を越えると、遠くに目的地である監視塔が見えた。

 オークは目視でわかる範囲で十体以上、多くが塔の中にいるだろうことを考えると、相当に大きな群れらしい。

 精神を研ぎ澄まし、『感知』の範囲をさらに広げる。 

 『感知』の魔法に、背負子に座りながらアプレの実の皮を剥くニニルの反応があった。


「このお茶とアプレの実、実はすごく合うんです。ディルグ様がその組み合わせで食べるのが好きで……良かったら一緒に飲んでみてください。しぶいけど、美味しいですよ」


「えー、ほんとぉー? ……わっ、合うーーー! すっごい美味しーーー♡」


 感知の魔法を使わなくてもわかる。

 俺の背中でお茶会が始まっている。


「き、貴様ら……オークがもう見える位置にいるのだぞ! 少しは緊張感を持ったらどうだ!」


「っ……! ご、ごめんなさいディルグ様! ディルグ様のお背中にいると思うと、なんだか安心してしまって……」


「魔獣なんかに負けるはずないもーん♡」


 ……舐めきっている。

 魔獣に対しての心構えを長々説教をしたいところだが、こんな場所で騒げばオークに発見されてもおかしくない。

 それに、おそらく無駄に終わるだろう。

 こいつらは、きっと敗北したことがない。

 経験もろくにない状態で圧倒的な力を得たために、そもそも自分が負けるという瞬間を想像することすらできないのである。


 ――ふと、詰め所にいた元魔王軍の兵士たちの、危機感のないたるんだ顔が脳裏を過った。


 きっとフェルナやニニルだけでなく、この五年でシャルミアを始めとした旧世代の魔族たちも同じになってしまったのだ。

 エーテルを使いこなす新世代が、負けるはずがない。

 意識的か無意識かの違いはあるにせよ、彼らの言動にはそんな"驕り"が透けて見える。

 だからこそ、魔領は割れた。


「……危ういな」


 今のキュールグラードに、もしあの狡猾な人族が侵攻しようと考えたならば……。


 ……断言できる。

 まず、フェルナの暗殺から始まるだろう。

 フェルナは重力魔法の威力だけは高いが、それしか使えないと言っている。

 つまり防御障壁の魔法や身体強化といった防御手段を持っていない上に、戦うための訓練さえも受けていないのだ。

 さらには、命を狙ってくださいとばかりに護衛すらついていない状態だ。

 人族の『使徒』あたりが動けば、容易く殺されてしまうのは間違いない。

 

 フェルナが死ねば、後に攻めてくる大軍勢によって、キュールグラードは為すすべなく落とされる。

 オークごときに監視塔を落とされている時点で、ろくに抵抗もできずに一瞬で要塞を抜かれる様が想像できる。

 その時点で、全てが手遅れだ。

 天然の要害である竜峰と、キュールグラードの城塞群という最大の地の利を失った魔族は人族の圧倒的な数の暴力に直面し……"詰む"。


 今は人族も軍を動かせないが、それは時間によっていつか解消されるはず。

 これは、現状を放置すればいつか必ず起こる未来である。


「あの四角い塔が、監視塔ですか? 窓みたいな穴がいっぱい空いてますね。……ディルグ様?」


 ニニルに名前を呼ばれて、思考が現実に戻った。

 緊張感を持てといっておきながら、自分が思索に耽ってはいられない。

 オークに奪われた監視塔の方に、意識を切り替える。


「そうだ。あの穴は襲撃を受けた時に、弓や魔法で反撃するためのものだな。魔鉄鋼で造られた監視塔に籠って防御に徹すれば、たとえ相手が百を越える魔獣の群れだろうと軽く撃退できる。……今回は、そうはならなかったようだが」


 塔の上は平たくなっており、屋上に出て上空を攻撃することも可能な形状だ。

 本来の用途は名前の通り偵察や監視のための行動拠点だが、ワイバーン等の大型飛行種がキュールグラード方面に向かおうとした場合、屋上に設置してあるバリスタで撃ち落とせるようにもなっている。


「あ、ほんとにオークがいるね。この距離だとちっちゃくてよく見えないけど」


「外にいるのが十二匹、監視塔の内部にいるのが二十三匹、あとは屋上に二匹と、森の中に歩哨か別動隊がいる可能性がある。ここから監視塔までの間に身を隠す場所はない。近づけば、まず矢と投石の的になるだろうな」


「え? ディルグちゃん、塔の中にいる数までわかるの?」


「フン……『感知』の魔法だ。魔領においてここまで広範囲の『感知』が張れるのは、俺か元魔王軍幹部の数人程度。この魔王の力、あまり舐めないことだな」


 流石に森の奥までは『感知』の範囲外だが、手前にある監視塔ならば中を走り回るネズミの位置さえ特定できる。

 この『感知』は、非常に高度な魔力操作の精度が要求される魔法。

 フェルナが同じことをやろうとしても、長い鍛錬が必要になるはずだ。


 ――この技量、まさしく魔王級。


 これでフェルナの態度にも、多少の敬意が混じるかもしれない。 


「ディルグちゃん、弱いけど色々できるんだぁ。偉いから、撫でてあげるね♡」


「なっ……き、貴様! 今、手についた果物の汁を、俺の角で拭っただろう!」


「あ、バレちゃった?」


「っ……! い、今お拭きしますディルグ様!」


 触って確かめると、牛鬼族にとって誇りの象徴である大切な角が、果汁でべったべたになっていた。

 頭が怒りに沸騰しかけるが、理性でなんとか踏みとどまる。

 ……わかってはいた。

 戦闘能力に自信を持っているフェルナのような魔族が、他の分野での技量を多少見せつけたところで、自分より「上」だと認めるはずがないと。

 やはりこいつには"強さ"でわからせてやらねばならないらしい。


「やはり魔王の力量というものを、見せてやらねばならないようだな――『岩石生成』」


 『岩石生成』は、その名の通り魔力を物質化し岩を作る魔法だ。

 この魔法を使って、手の平になじむ大きさの石を自分の周囲に生成する。

 数は十二……ちょうど、表にでているオークと同じ数だ。


「ディルグちゃん、石ころなんて作ってどうしたの?」


「あっ……」


 フェルナは俺の周囲に突然現れた小石に困惑しているが、ニニルの方は何をするつもりか気づいたらしい。


「『身体強化』――さぁ、その目に焼き付けるがいい。この最強の魔王ディルグの力、その片鱗をな」


 身体強化の出力は、既に全開。

 作った石を四つ、右手のそれぞれの指の間に挟みこみ……まとめて投擲した。

 投法は、ニニルを背中に乗せていることから動きの少ない横投げだ。

 全力を出している感のあまりないコンパクトなフォームでありつつも、足、腰、肩、腕のしなり、手首のスナップと全身のバネを使った渾身の一投。

 間髪いれず、同様に生成した石を四つずつ、二回投擲する。


 ――勢いは十分。


 投げられた十二の石は、真っすぐに監視塔の外を警戒しているオークに向かっていく――。


「プギィッ!?」


 気づいた時にはもう遅い。

 全ての石がそれぞれ十二体のオークの頭部に吸い込まれ……爆散させた。

 まさに、ニニルがワイバーンを撃ち落とした投石の焼き直しと言える程に威力の乗った、芸術的な投擲である。


「ディルグ様、エーテルを使わないでそんなに強く投げられるなんてすごいです! しかも、十二個もほとんど同時に……!」


「そうだろう」


「はい! 私が力いっぱい投げたときの三分の一ぐらいの威力でしたけど、十二個同時だったから合計で私の四倍です! 本当にすごいです!」


「なっ、ば、馬鹿なっ! 三分の一だと!?」


 流石に冗談だろうと思うが……そういえばニニルは鬱蒼とした森の枝葉をぶち抜いた上で、強靭な鱗に保護されたワイバーンの腹部を爆散させていた。

 解体したときに気づいたが、鱗の奥にあったワイバーンのあばら骨も、完全に粉砕されていたのを確認している。

 ……俺の投石は、ワイバーンのあばら骨より強度の低いオークの頭部を弾き飛ばしはしたものの、首から下は原型をとどめていた。

 もしこれがニニルのあの投擲であったなら、上半身どころか全身が消し飛んでいてもおかしくはなかったかもしれない。


「……ま、まぁ。この俺が本気を出せばまだまだ威力は出るのだがな」


 ふと肩にポンと軽い衝撃を感じて振り返れば、フェルナが笑いを堪えた様子で肩に手を乗せていた。

 頭の血管が一本切れる音がした。

 ……だが、俺は戦士の誇りを賭けて今回フェルナの身を守ると誓ったのだ。

 それに、いくら怒りに触れたとはいえこんなガキを殴り飛ばすつもりもない。

 フェルナはそんな俺の葛藤を知ってか知らずか、人を小馬鹿にするような笑みのまま言った。


「でも、ディルグちゃんやっぱりすごいよ♡ 威力はぜんぜんだったけど、十二体も同時に倒しちゃった。あんなこと他の旧世代はできないもん。……威力は、ぜんぜんダメだったけど♡」


「き、貴様ァッ……! 舐めるのも大概にしろ! 今の投石でも、貴様の首を飛ばすには十分な威力が出ているのだぞ!」


「え~、全然足りないと思うけどな~♡ まぁいいや、ディルグちゃんご苦労様、あとは私に任せていいよ♡ 今度は私が、ホントの魔王の力の片鱗……見せてあげるね?」

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