魔女アルメディア

「全身の魔力路が破裂してのショック死。これは避けられないんじゃないかな? いくら頑丈なキミでもね」


「……アルメディア。貴様は反対するということか」


 七、八年程前――人族の侵攻により魔領南部が焼かれ、撤退戦を重ねてようやくキュールグラードという防衛拠点で戦線が膠着し始めていた頃の話だ。

 まだ人族領内で内乱は起っておらず、要塞を落とそうと苛烈な攻撃を仕掛ける人族を退けるため、俺は力を求めてエーテルの研究に没頭していた。


 そして、その共同研究者だったのが、魔王軍幹部アルメディアだ。

 アルメディアは純魔族――魔領に広く住む、エルフの半分ほどの長さの尖った耳が特徴的な種族で、その外見は一言で表せばまさに『魔女』だった。


 全身を覆う黒の外套に、黒の長髪、そしてその黒の印象を際立たせる抜けるように白い肌。

 華奢な体つきで、そのいかにも物語に出てきそうな魔女らしい風貌は、今でも鮮烈に記憶に残っている。


 そのアルメディアが、黒髪をくるくると弄りながら気まずそうに言っていた。


「翼人族族長のファルコを失って焦る気持ちはボクもわかるよ。……要塞の指揮官を狙って超遠距離からの一撃離脱、先の戦いに出てきた使徒『神弓』は本当に厄介な相手だった。一歩対応を間違えていれば、キュールグラードは落ちていたとも思う。……でもね、エーテルにだけは手を出すべきじゃない」


「このままでは、いつか必ず魔領は奴の矢によって陥落するだろう。撃たれた後に狙撃地点へ急行してはもぬけの殻……何度も繰り返したことだ。奴が逃げ切る前に倒すための手段が、どうしても必要なのだ」


「……遠距離狙撃が可能なポイントはそれほど多くない。次の戦場では、それらしい場所にあらかじめ転移用の陣を張っておくよ。『神弓』が狙撃をした場所が"当たり"なら、すぐに君を飛ばす。それじゃ駄目かな?」


「こちらに転移魔法の使い手がいることは、向こうも承知の上だ。転移陣など描けば、巧妙に隠したとてすぐに敵側に露見する。それにそもそも、その"当たり"を引くまでに何人の優秀な魔族が死ぬと思っている」


 当時、俺は実験的に、自身の肉体へエーテルを取り込むことを考えていた。

 ……アルメディアの言う通り、戦況からくる焦りがあったのだろう。

 だが女神の使徒は、実力者揃いの魔王軍幹部すらも単独で打倒しうる存在。

 特に『神弓』と呼ばれる使徒は既に複数の魔王軍幹部を屠っており、これ以上放置することはできなかったのだ。


「なにも全身にエーテルを行き渡らせる必要はない。肉体の一部……例えば足だけをエーテルで強化できれば、最低限のリスクで『神弓』を討つことができるとは思わんか」


「最低限のリスク、ね。ボクには、キミが再起不能になることこそが最大のリスクだと思えるよ。キミがいなくなっては、魔王軍という存在そのものが成り立たない。……もう一度言うけど、ボクは協力するつもりはない。キミだけでそのための刻紋を作れるっていうのなら、やってみればいいさ」


 やれやれ、と肩をすくめるアルメディアの相手を小馬鹿にするような態度は、今思い返しても腹が立つ。

 そもそも俺を『キミ』などと呼ぶのはを魔王に対し敬意など全く持っていないという証拠なのだが、アルメディアにはそれを許さざるをえないだけの有能さがあった。

 俺が『化け物』なら、アルメディアは『天才』だ。

 純魔族の魔術学院を最年少主席で卒業したその知識量に加え、転移魔法を使いこなせるだけの当時最高峰の魔力量、さらに魔法刻紋を作り上げるセンスにいたっては、間違いなく魔領随一だ。


 俺が眠りについた後、奴ならば本当にエーテルを取り込む刻紋を完成させていてもおかしくはなかった。







「……ディルグ様、どうですか?」


「この精巧さ……間違いなく、アルメディアが作った刻紋だろうな」


 一目見ただけでわかった。

 刻紋に使う術式選び、そしてその複雑さ、俺の知る限りこんなものを作れるのはアルメディアしかありえない。

 よく調べてみなければわからないが、共同研究では使っていなかった術式も刻紋に組み込んでいるようだ。

 おそらくはこの術式が、『新世代』がエーテルを取り込むことを可能にしているのだろう。


 そう分析しながら、さらに刻紋のことを詳しく聞こうとして……気づいた。


「もういい。服を戻せ」


 ニニルが下腹部を見せる姿勢のまま、顔をほんのりと赤くしている。

 つい刻紋に目を奪われてしまったが、よく考えれば下腹部を限界ギリギリまで見せつけるようなニニルの今の姿は、とても褒められた格好ではない。


「……もっと、よく調べないんですか?」


「そんな場所にあってはな。全くアルメディアも面倒なところに刻んでくれる。効率を考えれば、身体の中心に刻むべきだという理屈はわかるが。……ニニルはまだ幼いとはいえ、男女は男女だ。線引きはしっかりせねばならん」


「だ、男女っ……! あ、あのっ! 私、ディルグ様になら見られても問題ありません。それに、私の力のことを知ってもらうために、必要……そう、必要なことだとおもいます!」


 ニニルは献身的なことを言っているが、今は一分一秒を争うというわけでもない。

 ここで無理をさせる必要は一切ないだろう。


「やはり、この話は食後にすべきだったな。……そこの地面で良い。後で刻紋を複写しておいてくれ」


「あっ……」


 とりあえず、一旦話は終わりだ。

 食事に戻るため、座り直す。

 ……しかし、ニニルはスカートをずり降ろした格好のまま、動こうとしない。


「……どうした」


「あの、えっと……えっと……」


 ニニルは何かを必死で考えているような様子だ。

 だが、考えるようなことがあっただろうか。

 ニニルには飢えていた孤児だったという過去があるし、食事は何よりも好きだったはず。

 話は終わりでもう食事をしていいとなれば、すぐに置いてある肉串を拾い上げて笑顔でかぶりつきそうなものなのだが。


 そんなことを考えていると、ニニルが何か天啓を得たとばかりにハッとした顔をした。


「そういえば、アルメディアさんがこの刻紋を授けてくれた時に言っていました!」


 アルメディアが何かを言っていた?

 それはつまり刻紋についての情報ということか。

 ……もしかすると、ニニルにあの刻紋を授けた時、その性質や注意事項について話していたのかもしれない。


 聞き逃さないよう、言葉によく耳を傾ける。


「『きっと魔王ディルグの脳みそは、あのでかいツノに栄養をもっていかれてスカスカなんだろう』って」


「な、なんだとおっ!?!?」


「ひゃっ……!」


 発した大声に、ニニルがビクリと震えた。

 ニニルを怯えさせるつもりはなかったのだが、これはもはや反射的なものだ。


 ――魔王は舐められてはならない。


 これは魔領統一の過程で起きた魔族の反乱や、独断専行の数々から得た俺の教訓だ。

 俺は常に『強い魔王』であるという自負を持ち、行動で示してきた。

 それはもはや条件反射と言っても過言ではない程に、俺の心の奥底に刷り込まれている。

 ……そういえば、威圧に巻き込んでニニルを怯えさせてしまったことも、過去に何度かあったかもしれない。


 ニニルは顔を伏せながら、気丈にも言葉を続ける。


「『きっとディルグでは、天才のボクが作り上げた刻紋を解析することすらできないだろう。理解できずに悔しがるディルグの姿がみられないのが残念だ』……って、そう言っていました」


 アルメディアは、魔領のとある魔術学院を首席で卒業した才女だ。

 能力に比例するように、プライドも非常に高い。

 黒い長髪を指で弄りながら、嫌味のある笑みを浮かべているアルメディアの姿は、簡単に想像がつく。

 ニニルの声真似も地味に上手く、アルメディアのあの舐めた口調をよく再現しているのが、苛立ちを更に加速させていく。


「……舐めているのか、この俺を」


 ここにアルメディアはいないのだが、ついつい低い声が出てしまう。

 彼女は確かに優秀な魔術師だ。

 だが、だからといって俺が配下に負け、舐められるなどということがあってはならない。

 それがアルメディアの得意分野である魔術理論であってもだ。


「アルメディアッ……! アイツが作り出した刻紋なぞ、この俺にかかれば解析はおろか、再構築、改良だってわけはないと思い知らせてやらねばならないようだな……!」


 ……わからせてやらねばならない、決して俺が刻紋の知識において劣っているわけではないとうことを。

 そのためには、まず目の前の刻紋を理解しなければ。

 ニニルの前に膝をつく。

 そして、未だ肌を隠そうとしないニニルの下腹部、そこに刻まれた刻紋をしっかりと目に焼き付けた。


「あっ……」


 ニニルがほとんど吐息のような、小さな声を漏らしたのが聞こえた。

 きゅっと、内ももの筋肉に不自然な力が入っているのも感じる。

 ……もしかすると、見られているこの状況に緊張しているのかもしれない。


 だが、これは必要のない雑音だ。

 今は、魔王としてアルメディアに負けていないことを証明することが最優先。

 ニニルの声や態度は頭から排除して、刻紋の解析を進める。


「チッ……綺麗な形だな。魔領随一の魔術師を自称するだけはある。魔法文字の扱いも上手い」


「き、綺麗ですか……? やっぱり、いっぱいご飯を食べる前でよかったです……」


 魔法文字は、魔力を流すことで『水を出す』や、『火をつける』といった固有の働きをする文字のことだ。

 その魔法文字を組み合わせ、時には新たに開発、発見して一つの紋章を実用に足る性能に引き上げるのが、刻紋を作るという作業である。

 ……肌に刻むこと自体にも、正確さだけでなく高度な魔力操作の技量がいるため、刻紋を作ったところで誰にでも刻めるというわけではないのだが。


 ニニルの下腹部に刻まれた刻紋を見てみると、そこには『制限』『遮断』といった意味合いの魔法文字が読み取れた。

 そして、その繋がりから考えると……。


「なるほどな。この刻紋は使い手の魔力操作の技量に依存しない『エーテルの安全な吸入口』というわけか。だが、これはどういうことだ……?」


「あっ……そ、そんなに近くで見られたら、見えちゃう……隙間から見えちゃいますっ……」


 この刻紋には、使用者の技量に関わらず取り込むエーテル量を最低限に制限し、魔力路に負荷がかかった場合エーテルを完全に遮断するような魔法文字が組み込まれている。

 本来こんなものがあればそもそもエーテルを使うことなどできない。

 なぜならば、エーテルを取り込めばそれがどれだけ少量であれ、数秒で魔力路が焼き切れる程の負荷がかかるからだ。


 五年前の俺の知識の理解を越えた部分――おそらくは、ここでフェルナの言っていたことに繋がるのだろう。

 『まだ魔力路が柔軟な子供の頃に訓練をすると、エーテルを取り込むことができるようになる』という話だ。


 魔力に関して、幼い頃から訓練をした方が伸びが良いというのは既に周知の事実。

 だが、魔力制御の未熟な子供がエーテルに手を出せば、どうやろうと即死は免れない。

 訓練すれば伸びるというのは、あくまで体内で精製される魔力『オド』のことだ。


 けれど、この刻紋を使えば魔力制御が未熟だろうとエーテルの訓練をすることはできる。

 ほんの一瞬だけ最低量のエーテルを取り込み、刻紋の自動発動によって魔力路が焼き切れる前にそれをシャットアウト……これを繰り返すことで徐々にエーテルを身体に慣らし、魔力路の拡張を狙っているのだろう。

 大人であればいくら慣らそうと努力をしたところでエーテルを通せるようになりはしないが、幼い頃から訓練をすると伸びがいいのは、魔力路についても同じなのかもしれない。


「いや、かもしれない……ではないのだろうな」


 フェルナやニニルといったような例が、既にある。

 一瞬でも最低量のエーテルを取り込むことができなければならないため、幼ければ誰でもとはいかないだろう。

 しかし"素質"がある者であれば、訓練を繰り返すことでエーテルを自在に使えるようになる。

 これは、そういう刻紋だ。


 ……ようやく、魔領が変わってしまった原因を理解することができた。


 そして、ここからが本番だ。

 俺はまだこの刻紋を理解しただけに過ぎない。

 これを改良し、効率化してこそ初めてアルメディアに刻紋で勝ったと言える。


「なにか改良点があればいいのだが……まずは、基本の小型化から考えてみるか」


 刻紋は大きければ大きい程魔力的なロスも大きくなる。

 同じ性能であれば、小さい方が優れているといって間違いないのだ。

 複数の魔法文字同士の繋がりを、指を使ってへその裏まで念入りに確かめながら、無駄を探っていく。


「これは一見無駄に見えるが……なるほどな、ここをループさせることで余剰のエーテルを逃がし、肉体への負荷を最低限にしているというわけか。省くことはできんな……」


「っ……あっ……ディルグ様の、ディルグ様のゆび、ゆびが……」


 しかし流石はアルメディアと言うべきか、刻紋は複雑ではあるが合理的であり、なかなか改善点は見当たらない。


 あるとするならば、『更新』がなされていない、という点ぐらいだろう。

 この刻紋の特性上、既に魔力路が拡張された後であれば、取り込むエーテル量の制限を上げることができる。

 これは使用者の成長に合わせた、メンテナンスが必要な術式なのだ。


 だが、おそらくアルメディアは最初にニニルにこの刻紋を刻んだ後、一度もその更新をしていない。

 魔法文字に記された取り込む上限エーテル量は、理論上の最低値を示している。

 ……その最低値にしても、俺の『オド』と比べれば数十倍以上の出力があるようだが。


 更新をする場合、術式をどう変えればいいのだろうか。


「エーテルを扱う術式だ。些細なミスも許されん……」


 刻紋をじっと見ながら、深く考えてみる。

 そして、ふと気づいた。


「……ん?」


 いつのまにか、刻紋が赤く染まっていた。

 いや、『刻紋が』ではない。

 先ほどまで透き通るように白かった、刻紋の刻まれている皮膚。

 それがまるで風呂でのぼせたかのように、赤く紅潮している。


「ディ、ディルグ様……」


 耳に声が届いた。

 その声の発生源である、上の方向を見る。

 ――そこには湯気でも出ていそうなほど、赤いニニルの顔があった。

 とっさに、ニニルの腹から手を放す。


「……あれ? もう、終わりですか?」


「あ、あぁ。……すまなかったな、つい熱くなってしまったようだ」


「いえ……ディルグ様のそういうところ、わたしはよく知っているので」


「刻紋の形は覚えた。もう服を着てくれ」


「……あんなに複雑な刻紋なのに覚えられるなんて、ディルグ様はすごいです」


 ニニルはなぜかどこか残念そうな雰囲気でそう言うと、服を整えた。

 それから、先ほどまで座っていた俺の対面ではなく、隣に腰掛ける。

 そして俺を見上げながら、おずおずと聞いてきた。


「それで、その……どうでしたか?」


「どうとは」


「私、昔より成長しました。五年も経ったんです」


 一瞬質問の意図に困惑するが、ニニルの下腹に刻まれた刻紋の性質を思い出す。


「あぁ、エーテルの出力上限ならば書き換えることは可能だろうな。今すぐにとはいかないが。まずはニニルがこの刻紋を刻まれた時と比べて、どれだけエーテルを通せるようになったかを知らねばならん」


「……そうですか」


 成果はあった。

 そういうつもりで言ったのだが、ニニルは意気消沈したような顔をする。

 頭の狼の耳もぺたんとしているし、尻尾もへにょんと萎えていた。

 期待した答えが返ってこなかった、そんな気配だ。


「お肉、温め直しますね」


 そう言ってニニルは俺の対面に座り直すと、肉串を焚火で炙り始めた。

 ニニルに言った通り、刻紋を調べたことで成果はあった。


 ……ワイバーンの油の弾ける香りを感じながら、頭の中で刻紋を反芻する。


 今も刻紋のことを考え続けているのは、アルメディアに舐められないため、という衝動によるものではない。

 アルメディアの作った刻紋は、腹立たしいことだが効率も安定性も素晴らしく、俺が性能を改良する余地は数日間頭をひねろうとも出てはこないだろう。

 しかしあの刻紋を見て、ひとつのひらめきがあった。


 人族との戦争の中、力を求めて研究していた、俺のための刻紋。

 もしかすると、ニニルの刻紋の理論を応用すれば……それを『安全な形』で完成させることができるかもしれない。

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