新世代の秘密
――ふと、遠い昔の記憶を思い出す。
牛の角を持つ半獣人の種族『牛鬼族』の街で産まれた俺が、初めて下位竜種の狩猟を成功させた日のことを。
当時は人族の魔領侵攻は始まっておらず、魔領はまだバラバラで、俺も魔王などという立場ではなかった。
ただの子供として、平和を謳歌していた頃だ。
族長の一人息子だった俺は、ニニルと同じぐらいの年頃の時……まだ初陣を迎えていなかった。
生来の頑強さと訓練で鍛え上げた実力はあるものの、まだ幼いから、次代の長だからと、実戦から遠ざけられていたのだ。
当時から、自分が他の同世代の者たちと比べて強いという自覚はあった。
だからこそ、戦いに出られなかったことに強い不満を持っていたのをよく覚えている。
そんなある日、街の近くで走竜――俊敏な二足歩行の小型竜の、大量発生が起きた。
牛鬼族の戦士たちが討伐隊を編成した時、俺はそれに志願した。
走竜は下位竜種の中では弱い。
護衛をつければ初陣にちょうど良いと父を説得し、牛鬼族の戦士の一人として走竜討伐に向かったのだ。
実際、精強で知られる牛鬼族の戦士団であれば簡単な仕事のはずだった。
……だが討伐は思うようにはいかなかった。
走竜の群れの中に、特徴的な岩の鱗を持つ変異種がいたのだ。
おそらく走竜だけでなく、上位竜種である岩鎧竜の血が入っていたその竜は、上位竜種に匹敵する実力を持っていた。
牛鬼族の戦士たちが走竜の群れを補足した時、まるで他の走竜を守るかのようにその変異種は暴れまわる。
山に潜む走竜を捜索するため散っていた牛鬼族の戦士たちは、少数ではその変異種を討伐することができず、ただ損耗を重ねていた。
そんなある日、俺のいる部隊がたまたま走竜の群れと遭遇した。
護衛を務める牛鬼族の戦士たちも変異種に不意を突かれ、一瞬でその爪牙に深手を負わされた。
――だが、俺だけは違った。
俺の肉体は上位竜種に匹敵する変異種の爪にすら傷つけられることはなく。
身体強化で底上げした瞬発力は、速度に優れる走竜を後ろに置いていく程だった。
そして磨き上げた格闘術で堅牢な岩の鱗をものともせず殴殺し、そのまま守護者のいなくなった走竜の群れを、ほとんど一人で壊滅させた。
「ば、化け物……」
近くにいた戦士の一人が、俺を見て言った言葉。
あの瞬間、幼いながらに俺は思った。
俺はきっと特別な存在で、この世界の誰よりも強くなる素質があるのだと。
だからこそ、自分を更に磨き上げようと。
長い研鑽と闘争を経て……俺は実際に、魔族最強の魔王となった。
あの走竜討伐の記憶は、今の俺を形作る自信の源の一つと言っていいだろう。
……。
「ディルグ様、どうかされましたか?」
「……ハッ!」
――ニニルの声で現実に引き戻される。
目の前には、白目を剥きだらんと舌を垂れているワイバーンの死骸があった。
「……ニニル。いつもこうしてワイバーンを仕留めていたのか?」
「はい、そうです……あっ、でも毎日ってわけじゃなくて! すっごく、すっごくお腹が空いてるときだけです!」
「たくさん食べる女の子って、引かれないかな?」みたいな顔をしながら、そう言うニニル。
俺が気にしているのはそんな部分ではないのだが、ニニルにとっては深刻な問題なようで若干の必死さが見えた。
「簡単に落とせるので、たまに……そう、たまーに食べます」
……走竜とワイバーン、どちらが強いかといえばワイバーンだ。
肉体の強度も、戦いにおいての厄介さも、ワイバーンの方が数段上。
しかも、この個体はかなりサイズが大きい。
上位竜種程とまではいかずとも、その肉体相応に強い魔獣だと推定できた。
――ワイバーンの腹部にあいた、巨大な風穴を見る。
……だが、あの頃牛鬼族の戦士たちに化け物と言わしめた俺ですら、ここまでではなかった。
一撃で竜種の肉体に風穴を開けるなどというのは、それこそ本当に化け物級の実力だ。
しかも直接攻撃ではなくただの石投げでこの結果を引き起こすなど、今の俺すら圧倒してもおかしくな……いや、最強の魔王であるこの俺が圧倒されるなどありえないのだが。
せいぜい、投擲においてだけは俺と良い勝負ができるというところか。
俺だってこのぐらい頑張ればできる。
「しかし、どうやってこれほどの力を……」
聞こうとしたところで、ニニルがワイバーンを見ながら何やらそわそわしているのが見えた。
「……そうだな、まずは血抜きが先か。話はこいつを料理しながらにしよう。ニニル、近くに川はあるか?」
「はい、ディルグ様! 案内しますね!」
まだ少し混乱しているが、まずは目の前の作業をこなさねばならない。
死んですぐに血抜きをしなければ、肉の味が悪くなる。
特に竜種は旨味が強いが臭みも強い、このままでは、生臭くて食べられたものではない肉になってしまうだろう。
これは、一刻を争う作業だ。
俺はワイバーンの首を肩に担ぐと、ニニルの案内のままに運ぶことにした。
――パチパチと、焚火の爆ぜる音が響いた。
その音を聞きながら、お玉で鍋の底をすくうようにかき回していく。
「ディルグ様、とっても美味しそうですね!」
「色々な種類の香草があったからな。肉だけならこうはいかん」
ニニルは本当にこの再生の秘跡を拠点に暮らしていたらしく、鍋や皿等の簡単な道具は既に揃っていた。
作っているのは、ワイバーンの肉と野草のスープだ。
処理をした肉と数種の野草を鍋に入れ、火にかけている。
竜種の肉は、とにかく旨味が強い。
完成まではもう少しかかるだろうが、匂いから想像できる肉の味と、臭み消しに入れた野草の香りが空腹を大いに刺激してくる。
「それになんだか、甘い匂いもします……お砂糖なんてなかったのに、どうしてですか?」
「この香りはセロルの香りだ。そこに白い茎の野草が入っているだろう」
「あっ……セロル、ですか」
ニニルが一瞬、苦い顔をしたのが見えた。
わざわざこのあたりに生えない草を植える程だから好きなのだろうと入れてみたが、この反応を見る限りどうやら好きではないらしい。
「嫌いか」
「い、いえ。ディルグ様のつくられたものなら何でもたべられます! セロルの強すぎる匂いはちょっと、その、苦手ですけど……」
「匂い……ということは、生のセロルを齧ったのか。銀狼族の嗅覚では辛いだろうな」
生で食べるセロルは本当にただただ青臭く、食べられたものではない。
銀狼族で嗅覚も鋭いニニルにとっては、ただの好き嫌いを越えたレベルの問題のはずだ。
「だが、セロルは煮込むと特有の青臭い匂いが消え、甘く変わる。もう一度だけ試しに食べてみろ。まぁ、合わなければこっちの串焼きもあるがな」
「……そうなんですか? あ、でも言われてみれば、ほんとにセロル臭くないです」
食べ物に一喜一憂するその表情を見ていると、さっきワイバーンを墜落させたあの姿は幻か何かだったのではないかと思えてくる。
だが、ニニルがただの石ころでワイバーンを叩き落としたのは間違いない。
……あれがフェルナも言っていた、『新世代』というやつの力なのだろう。
「飯の準備もだいたい終わったか。さて、ニニル」
料理を作りながらも、ずっとニニルやフェルナ……『新世代』について考えてはいた。
だが、一つどうしてもわからない謎がある。
それは、フェルナやニニルといった『新世代』の魔族は、なぜエーテルと呼ばれる強大な魔力を取り込むことができるのか、という問題だ。
五年前、エーテルを取り込める魔族は存在しなかった。
エーテルを取り込めば、全身の魔力路が破裂し死ぬ……そういう認識だったのだ。
つまり『新世代』と呼ばれている魔族は、俺が眠っている間にエーテルを取り込めるように変化した、ということになる。
――なぜそうなったのか、二つの可能性がある。
一つは、魔族の先天的性質の変化。
魔族の持つ肉体、生まれつき持つその性質がこの数年の間で変化し、エーテルを取り込むことができるようになったというものだ。
……だが、ニニルはここ五年の間で生まれた魔族ではないし、エーテルを取り込むことなどできなかった昔のニニルを俺は知っている。
これは、かなり薄い可能性だろう。
それにフェルナも言っていた。
「まだ魔力路が柔軟な子供の頃に訓練をすると、エーテルを取り込むことができるようになる」と。
つまり、おそらくはもう一つの可能性……魔族は、"後天的な要素"でエーテルを取り込むことに成功した、ということだ。
何者かがエーテルを取り込むための技術を開発し、それを魔族の幼い子供に施した。
そして産まれたのが新世代というわけだ。
「聞かなければならないことがある」
ニニルが、ゴクリと喉を鳴らしたのが見えた。
重要な話をしようとしている、その雰囲気を感じ取ったのだろう。
ついで、きゅるると音がする。
……もしかすると腹が減っているだけかもしれない。
「まぁ、食べながらでいいから話せ」
既に火が通っている小さめの串焼きを、ニニルに渡しておく。
「『新世代』は、どうやってエーテルを取り込んでいるんだ?」
おそらく俺が眠っている間に開発されたエーテルを取り込むことができるという手法。
それを知ることは、俺がこの魔領を再統一するための初めの一歩だ。
俺の質問を聞くと、ニニルは食べようとしていた肉串をゆっくりと置いた。
「食わんのか?」
「えっと……おなかいっぱい食べてからだと、恥ずかしいので」
「どういうことだ」
おなかいっぱい食べてからだと恥ずかしい――俺がその意味を理解する前に、ニニルは動きだす。
シャツのようになっている上着の裾を持ち上げると、端を顎と鎖骨の間に挟み込み、腹部を露出させる。
それから、自身の腰に両手を当てた。
止める間もなく、ニニルは自身のスカートを、下着ごとずり下ろす。
「ニ、ニニル、なにをっ……!?」
ふとももの付け根がハッキリと見える程、深くずり下げられたスカート。
一瞬ニニルの意図が読めず困惑するが、すぐにわかった。
「これなんです。エーテルを取り込めむための、秘密」
――ニニルの下腹部。
そこに、赤い刻紋が刻まれている。
一目見ただけで、そこに複数の高度な魔術的意味が込められていることがわかった。
そこらの魔術師では読み解くことすらできない程の、精緻で、難解な術式。
「その刻紋はっ……!!」
ニニルが自分自身で刻んだものではないことを、その高度さから確信する。
そして、もしこれを刻んだ人間に心当たりがあるかと聞かれれば、俺には一人だけ思い浮かぶ魔族がいた。
魔王軍で唯一転移魔法を行使することができた、魔族最高峰の魔女であり……魔王軍幹部の一人。
「元魔王軍幹部のアルメディアさんが、これを私に刻んでくれました。『新世代』は、あの人がつくったんです」
――不意に、頭の中で一つのことがつながった。
ニニルが行使していた、転移魔法。
きっとあれはアーティファクトによるものではなく……かつて唯一転移魔法を行使した魔術師、アルメディアから直接教わったものだったのだろう。
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