エーテルという魔力

「ニニル、勇者のことは知っているか?」


「はい。ディルグ様を負かした人族の強い人です」


 負けてはいない。


「あ、あれは決して俺の負けではないのだが……まぁいい。人族の強者というところはあっている」


 勇者はあの日死に、そして俺はまだ生きている。

 むしろ俺こそが勝者なのだと強く主張したいが、今の本題はそこではない。

 些細なことは気にせず、話を続ける。


「いいか、"俺が倒した"あの勇者という男は、フェルナなどよりずっと強かった。細かいところは省くとして、"俺が倒した"勇者が、どれほど強かったのか教えてやろう」


 言いながら、俺が眠りについた日のことを思い返す。


 ――五年前、勇者と戦った日、当時既に魔領侵攻の旗頭であった大国『聖教国』では大規模な内乱が起きていた。

 そもそも魔族と人族の戦争の始まりは人族側からの侵略であったのだが、その内乱を契機に侵攻は散発的となり、そして魔領の前線を守る大要塞キュールグラードは当時も健在。

 防衛に徹していた魔族に、人族は痛打を与えることができずにいたのだが……そんな情勢でも、人族には警戒しなければならない存在が居た。


「人族には、女神の加護を受けた『使徒』と呼ばれる厄介な奴らがいる。勇者はその一人だ」


 突如として戦場に現れては、『加護』の力で戦局をひっくり返していく存在。

 『剣術』の加護を持った使徒ならば城壁すらも切り裂き突破口を作り上げ、『必中』の加護を持った使徒ならば魔王軍の幹部を目視できない程の遠距離から狙撃し軍に混乱をもたらしてくる。

 そんな使徒たちの中でも、特に勇者は頭一つ、いや二つ三つは抜けて強かった。


「勇者というのはその中でも特別でな、元々優れた剣術や魔法の使い手でありながら、女神の加護に加えてエーテルの力まで使いこなした」


「なんだかすごそうです」


 ニニルはあまりピンときていないようだが、あの日勇者一人の手によってキュールグラード近郊の支城が一つ落とされた。

 そこには、魔王軍幹部だけではなく、魔族の精鋭百人近くが詰めていたというのに、だ。

 報告を受けた俺がアルメディアの転移魔法で急行する頃には、既に城は瓦礫の山と化していた。


 ――魔領の砦は、多くが魔鉄鋼という特殊な硬質金属でできている。

 俺がフェルナの全力の重力魔法を受けた時、魔鉄鋼製の床はせいぜい軋む程度だったが……勇者はその城をまるごと真っ二つに切り裂き、さらにはその場にいた魔王軍を全滅させた。

 それだけでも、フェルナと勇者の格の差というものがわかるはずだ。


「実際強かった。奴は剣の一振りで大地を割り、その魔術は容易く堅牢な城壁を吹き飛ばす。俺は死を覚悟してエーテルを取り込み対抗したが、そうでなければ本当に敗北していた可能性もあっただろう」


 配下であるニニルの手前自分を弱く言うようなことはできないが、本当は『可能性もあった』どころではない。

 魔族最強の俺をして、百回戦って百回勝つことができないだろう程の力の差があった。

 勇者をこのまま魔領に入れてしまえば、勇者一人の手によって為すすべなく魔領は落ちる……そう確信するほどだ。


 だが、俺はその勇者に勝った。

 命を賭して本来取り込めないエーテルを無理やり取り込み、戦闘能力を爆発的に底上げするという邪道な方法ではあるが、勝っているのだ。


「勇者はフェルナのようなガキより圧倒的に強かった。だからな、その勇者を倒した俺は……」


 フェルナより明らかに強い。

 そう言おうとしたところで、ふと気づく。

 ――話を聞くニニルの表情が、暗い。


「……やっぱり、ディルグ様はエーテルを取り込んだせいで、あんなお怪我を負ったんですね」


 今にも泣きだしそうな、沈痛な顔で呟くニニル。

 ……俺は勇者に対抗するために、エーテルという取り込んではならないとされる魔力を取り込んだ。

 五年も俺が眠る羽目になったのは、間違いなくそれが原因だ。


「……そうだ。エーテルの力は凄まじい。取り込んだ先から魔力路が破裂し、肉体の中で魔力が暴走した。魔族一頑丈なこの俺でなければ、その時点で即死していただろうな」


 魔力路は第二の血管のようなものだ。

 生命を維持するために必要な魔力路が焼き切れたということは、身体中の血管全てが引き裂かれたことにも等しい。

 もし常人であれば、エーテルを取り込んだ瞬間に絶命することだろう。

 実際、エーテルを取り込んだ余波によって俺の肉体からは大量の血と魔力が流れ落ち、臓腑のことごとくはその機能を停止しかけていた。

 魔王級に頑丈な俺だからこそそんな状態でも戦うことができたのであって、その俺ですら再生の秘跡へとたどり着くのがあとわずかにでも遅れていれば、まず死んでいたに違いない。


「ディルグ様が魔族を守ろうと一生懸命戦ってくれていたのを、わたし、知ってます。でも……」


 おそらくニニルは、「でも、フェルナと戦って死んでは意味がない」……そのようなことが言いたいんだろう。

 フェルナは勇者と同じように、エーテルという強大な魔力を使いこなしている。

 それだけで今の魔領にとっては比類なき存在であり、単純な魔法出力であれば魔族最強クラス。

 もし先ほどのように"真正面からの力比べ"をするのであれば、俺もエーテルを取り込まねば勝機がないというのは、幼いニニルでも想像がつくことだ。


「俺は確かにフェルナのようにエーテルを自在には扱えん。再び使えば、必ず反動を受ける。……そういう意味では、あいつが俺のことを『旧世代』とそしり、魔王として認めないのもわからんではない」


「ディルグ様……」


 新世代と旧世代。


 エーテルという強大な魔力を自在に使える魔族と、使えない魔族。

 フェルナが言っていた通り、そこに圧倒的差があるというのは認めねばならないだろう。

 ニニルもそこを理解しているのか、どこか俺のことを気遣うような目で見ている。

 ……しかし、勘違いしてもらっては困る。


「だがな……もし魔王として勇者と対峙したのが俺でなくフェルナであったなら、あの日魔領は滅んでいた」


「っ……」


 ニニルがハッとした顔をした。


 そうそう出せない本気だとしても、本気を出せば勝てるのと、本気を出しても勝てないのでは雲泥の差がある。

 絶対に負けてはならない戦いというのは、命を懸けた戦場にこそあるものだ。


「それにな……心配させるような言い方をしてしまったが、俺は現状の実力でも、フェルナに本当の意味で負けたわけはない。今回、あくまでフェルナとは"力比べ"をしただけだ。さらに加えて、今はエーテルを自在に使えなくとも、それをなんとかする手法に心当たりもある。もし俺がエーテルを使いこなせるようになれば、俺とあの小娘、どちらが強いかは一目瞭然だろう?」


 近くにあった石をニニルの前でグシャリと握りつぶしながら、宣言する。

 これは身体強化をかけていない、素の俺の腕力だ。


「わ……すごいです」


 ニニルが感嘆の声を上げた。

 ニニルにも、魔力の流れ方で、今のが魔法すら使っていないとわかったらしい。

 その瞳は石を握りつぶし隆起した腕の筋肉に向かっている。


「さ、触ってみてもいいですか?」


 自分の細腕と俺の巨腕を見比べながら、そう言うニニル。

 そのまま、おそるおそる、といった雰囲気で腕に手を伸ばしてきた。


「構わん。あの小娘と、この俺。どちらが真の魔王に相応しいか確かめるがいい」


 魔王は魔領で最も強くなければならない。

 だが今回、俺はニニルにまるでフェルナに敗北したかのような姿を晒してしまった。

 弱者のイメージは、払拭する必要がある。

 歴戦の戦士であれば、相手の肉体に触れるだけでその練度を図り、強さを知ることもできる。

 ニニルにそこまでのことはできないだろうが、強さの片鱗を感じることはできるだろう。


「失礼します」


 ニニルの指先が、俺の上腕に触れた。

 最初はおそるおそるだった手が、だんだんと触れる範囲を広げるように動いていく。

 さわさわ、さわさわと少しくすぐったい。


「……ぃ」


「うん?」


 ふとニニルが何かを言ったかと思うと、俺の腕をきゅっと両腕で抱きしめる。

 そして、すりすり、すりすりとこすれるような、柔らかい肉感を感じた。

 何かと思えば、ニニルが腕に頬擦りをしていた。

 顔は髪に隠れてよく見えないが、まるで肌触りでも確かめるかのように、頭ごとぐりぐりと擦り付け続けている。


 ……いや、たしかに確かめてみろとは言ったが。

 だが俺はあくまで、どちらが魔王に相応しい強さをもっているのか確かめろという意味で言っただけである。

 頬擦りでいったい何が確かめられるというのだろうか。

 もういいだろう、そう口を開きかけたところで、ニニルがが言う。


「……温かい、です」


 声は、小さく震えていた。


「ディルグ様が眠っていた時、ディルグ様の身体は死んでいるのかと思うぐらい、冷え切っていました。何度声をかけても、何も話してくれなくて。……でも今のディルグ様は、五年前みたいに元気で、力強くて、温かいです」


 ふと、暗い石室で横たわる俺の肉体を見つめ続ける、悲し気な少女のイメージが脳裏に浮かんだ。


 俺が眠っていたのは……五年間だ。

 まだ幼いこの少女にとっての五年間というのは、果たしてどれだけ長い時間だったのだろうか。

 今のニニルの心境はわからないが、想像することはできる。

 五年もの間仮死状態で何年も眠り続ける俺が、本当に目覚めるのかどうか、不安だったに違いない。

 もしかしたらこのまま起きず、緩やかに死んでいくのではないかと。


「安心しろ。この魔王ディルグが倒れるようなことは、もう二度とない」


 そう言うと、ニニルは無言でコクリと頷いた。

 そして、名残惜しむようにゆっくりと俺の腕から離れていく。

 まったく……フェルナと俺、どちらが魔王に相応しいのかさえ伝えられればよかったのだが、話が逸れてしまった。

 そろそろ終わりにしよう。

 俺はニニルに伝えなければならない最も重要なことを、言葉にする。


「……いいか、つまりはあんな魔力が強いだけのガキなど、俺がその気になれば一捻りだということだ! まぁ、勇者と違ってフェルナ程度、エーテルを取り込む必要すらないがな! わかったか!」


「は、はい。ディルグ様はフェルナちゃんよりつよいです! 真の魔王は、ディルグ様です!」


「それでいい」


 どうやら、ニニルも俺の話が決してただの負け惜しみではないということをきちんと理解したらしい。

 些細な認識の違いだったが、こういったことは逐一正していかねばならない。

 これも魔領を万全に統治するため。

 トップである魔王が舐められれば、その先に反乱や独断専攻をする魔族が跋扈する未来は見えている。

 たとえまだ幼いニニルからであっても、俺があんなサキュバス程度にすら勝てないと思われては困るのである。


「それじゃあ、やっぱりフェルナちゃんとはまた戦うんですね」


 フェルナとまた戦う、というニニルの言葉。

 ふと、俺の身体強化ですら抵抗することができなかった、あの重力魔法の強烈さを思い出す。


「……ま、まぁそれはそのうちだ。今は、先にしなければならないことがあるからな」


 逃げではない。

 きちんとした、合理的な理由の元での判断だ。

 フェルナのような小娘に勤まるほど魔王の役職は軽くはないが、それでもあいつは実力のある魔族だった。

 ――少なくとも、ほんの僅かな間であれば、キュールグラードを任せたままにしても良いと判断できる程度には。

 そうであれば……優先順位を変えられる。


「俺が傷を癒すのに費やした五年という年月は、魔領にとって長すぎる時間だったらしい。俺は、今の魔領を知らねばならん」


 エーテルを使いこなす新世代の魔族。

 解散したと言われた魔王軍。

 ……眠っていた五年間で、どうやら魔領は大きく変化した。

 まずは、情報を集めることが必要だろう。

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