サキュバスのガキに敗北


「これがあの魔族最強って言われた魔王サマなの? よっわぁーーーーーい♡」


 サキュバス特有の甘ったるい声が、頭上から響いた。

 床に這いつくばりながら、俺はその声の主を見上げる。


「馬鹿なっ……こ、こんなことがっ……!?」


 ――ほんの一瞬だった。


 サキュバスの小娘……フェルナを捕まえようと近づき、手を伸ばしたその瞬間。

 俺の身体は、上方から不可視の力に叩き潰された。

 ……そして今も、その力に抗うことができていない。

 押し潰されるように床に縫い留められたまま、手足も満足に動かせない。

 そんな中、背後から誰かが駆け寄るような気配がした。


「ディ、ディルグ様ぁ! わ、わたしが! わたしが今お助けしますっ……!」


「ニニル、貴様は下がれ!! 何があろうと黙って見ていろ!!」


「でもっ!」


「いいから下がっていろ!! この俺のことが信じられんのか!!」


 駆け寄ろうとするニニルを、強い語気で止める。

 ……これほどの力、巻き込まれただけでニニルは大怪我をしかねない。

 ニニルが足を止めたのを確認しつつ、状況を分析する。


 今俺を抑えつけている力……この感覚には覚えがある。

 これは、空を飛ぶ種族が飛行の補助に使用する『重力魔法』を応用した、『加重』の魔法だ。


 ……だが、おかしい。

 重力魔法といえば、せいぜいが人を空に浮かべたり、体重を倍増して感じさせる程度が関の山。

 魔王である俺を抑え込む程の重力魔法など、これまで見たこともない。

 魔王軍幹部クラスの魔族でも個人で再現は厳しい……人族の使う、儀式魔法や集団大魔法にすら届き得る力だ。


「ね、魔王サマ……わかった? 『旧世代』の魔王サマじゃ、私みたいな『新世代』には勝てないって。私の方が、魔王に相応しいって♡」


 思考を巡らせる俺に、フェルナが声をかけてくる。

 クスクスと小さく笑いながら、どこか楽しそうな雰囲気だ。


「クッ……あまり魔王の名を舐めるなよ」


 フェルナへの返答として、俺は『身体強化』の魔法を発動する。

 そして全身に力を込め、重力に逆らって身体を起こした。


「確かに驚かされはした。……だが、この程度で勝ったつもりか?」


 『身体強化』は、文字通り魔力によって肉体を強化する魔法だ。

 その効果の大きさは、魔法をかける肉体のもともとの強さに比例する。

 素の腕力で地竜の突進を受け止める俺が使えば、効果は推して知るべし。

 本来サキュバスの小娘を相手に使う魔法ではないのだが、まぁ本気を出せばこの通り、重力魔法にも抗うことができる。

 これには流石に、フェルナも驚嘆の表情だ。


「わっ、魔王サマすっごーい♡ 『旧世代』なのに、私の『加重』に抵抗するなんてっ!」


「ようやくこの魔王ディルグの偉大さがわかったようだな」


 フェルナでは、もし同じように身体強化をしたとしても俺程の力は発揮できまい。

 かかっている『加重』も、『身体強化』をかけた今なら動くことに支障はない。

 これで優劣は逆転だ。


「負けを認めるなら今のうちだぞ。魔族最強と呼ばれていたのは、伊達ではない」


 そう宣言しながら、内心思う。


 ……フェルナは『異常』だ。

 この年齢で、魔王である俺と対等に渡り合える魔法を行使する?

 『天才』や『早熟』といった言葉で片付けられるレベルではない。

 そういえば、フェルナは俺のことを『旧世代』、そして自分のことを『新世代』と言っていた。

 その言葉の意味に、この力の秘密があるのだろうか。


 そんなことを考えていると、フェルナがニッコリ笑って言った。


「うん。死んじゃったら可哀そうだからよわ〜~~くしてあげてたけど、魔王サマなら全力で大丈夫そうだね♡」


「……は?」


 次の瞬間――数倍に膨れ上がった加重が、全身を襲った。


「っぐべりゅ!!!!」


「アハハッ、馬車に轢かれたカエルみたーい♡」


 勢いよく、全身が床にめり込む。

 この俺の拳ですらビクともしない頑強な魔鉄鋼製の床が、ミシミシと悲鳴を上げる音が聞こえた。

 ……身体強化の魔法をかけた俺でも、逆らえない程の超重力。

 なんなんだこれは。

 魔族最強である俺が、なぜまたも地に伏している……?

 ありえない状況に、思考が混乱していく。


「ど、どういうことだっ……! サキュバスの、それも貴様のような小娘が、なぜそれほどの魔法を扱えるっ!?」


「……やっぱり、魔王サマはまだ知らないんだぁ」


 俺が問うと、フェルナは何かを察したような顔でため息をつく。

 そして言った。


「それは、私が大気中に存在する魔力『エーテル』を取り込めるからだよ。魔法を使う時、身体の中にあるほんの少しの『オド』しか使えない、魔王サマみたいな『旧世代』と違ってね」


「なっ……エーテルだと!?」


「うん、魔王サマでも知ってるでしょ? 地脈から吹き出して、世界を巡っている大いなる魔力♡ その出力はぁ……魔王サマが今身体強化に使ってるオドとは、それこそ"桁"が違うの」


 地脈から吹き出し、世界を巡る魔力エーテル。

 だが、その力は体内にある魔力『オド』と比べ非常に強大で、人族であれ魔族であれ体内に取り込むことができない。

 無理に体へ通そうとすれば、強すぎる力によって体内の魔力路はズタズタに裂け、必ず死に至る。

 ……ただ在るだけで利用できない強大な力、それがエーテルという魔力だ。


「魔王サマががいない間に、魔法はすっごく進歩したんだ。使えないと思われてたエーテルも、まだ魔力路が柔軟な子供の頃に訓練をすると、取り込むことができるようになる子もいるの。……数はすーーーっごく少ないけどね」


 エーテルという魔力については、魔王として俺自身よく調べてきた。

 戦争への転用を考え、魔領でも最高クラスに進んだ知識を持っていたと言っても過言ではない。

 そして、だからこそ信じられない。

 こんな子供が、あの濁流のように強大な魔力を扱えるはずがないのだ。

 ……だがしかし、今の状況こそがフェルナの言葉の正しさを証明してしまっている。


「『新世代』になれば、使える『魔力の質』が変わる。だから、もうオトナの魔王サマはどうあがいても私に勝てない。たとえ魔王サマが。どれだけ強くて逞しい身体を持っていても……ね♡」


 フェルナはそう言うと、俺の目の前でゆっくりとしゃがんだ。

 それから、俺の顔を覗き込むように顔を近づける。


「……そういえば魔王サマ、言ってたよねぇ。たしか、私をこらしめて傘下に入れる……とか?」


 クスクスと笑いながら、そう問うフェルナ。


「それなのにこーんなに簡単に負けちゃって、魔王サマ今どんな気持ち?」


「くっ、まだ負けてはいない! この魔王ディルグを、舐めるなよ……!! ぐぬうううっ!!」


「あれあれ~~? ぜんぜん起き上がれてないよ? ほら、もっと頑張って頑張って♡」


 全力をもって重力魔法への抵抗を試みるが、僅かにも床から身体を離すことができない。

 そんな俺の様子を、フェルナは手拍子をしながら楽しそうに眺めている。

 そしてふと、悪戯を思いついた子供のような笑みを浮かべて言った。


「……あ、もしかして魔王サマ……手加減してくれてるの?」


 既に俺が加減などしていないのは、見ればわかるはずだ。

 だが、フェルナはクスッと笑うと、更に続けた。


「そ・れ・と・もぉ、そうやって私のスカートの中をじぃっと見ていたいから、地面に這いつくばったままでいるのかなぁ~???」


 演技がかった、大げさな雰囲気。

 フェルナは今、起き上がることすらできない俺の目の前に、短いスカートでしゃがみこんでいる。

 確かに身体を動かすことのできない俺は、ほとんどフェルナのスカートの中……履いている意味があるのかという程面積の小さい黒下着しか見えていない。

 フェルナはその視線に反応するかのように、「やぁん♡」と大袈裟に恥ずかしがってみせると、しゃがみこんだまま太ももをもじもじと擦らせた。


「そんなに息も荒げてぇ……魔王サマって、こんな子供に興奮するロリコンなんだぁ〜〜~~~♡」


 息を荒げているのは、全力で重力魔法に抵抗しているからだ。

 決して、貴様のスカートの中身に興奮してるわけではない。


「何を言っている! この魔王を馬鹿にするのもいいかげんに……!」


「えいっ♡」


 言葉で否定しようとすると、フェルナは重力魔法で俺の頭を僅かに持ち上げる。

 そして再度、床に頭を押し付けた。


「ぐぅっ……!」


 頭を揺さぶる強烈な衝撃に、喋ることすらままならない。

 強制的に、フェルナのスカートの中を見せられるような体制に戻ってしまう。


「いやーん、そんなにじっと見ないでぇ~♡」


 フェルナは恥ずかしそうな声を上げながらも、離れたり、体勢を変えたりする様子は一切ない。

 というか、スカートの裾をピラピラと動かして遊んでいる。

 むしろ見せられている。


「目もすっごく血走らせてぇ……そんなに見たいのぉ? もう、魔王サマのへんたーい♡ ばかぁー♡」


「このっ……クソガキがぁっ……!!!!」


 つまりこれは、全て俺を馬鹿にするための小芝居。

 サキュバスという種族が好んでする、自分より下と見た男に対して行う"からかい"だ。


 ……遊ばれている、この最強の魔王ディルグが。

 ……下に見られている、かつて魔領を統一したこの俺が!


 激しい屈辱に、頭がグツグツと煮え立っていく。


 ――最強の魔族としてのプライドがある。

 ――魔王として、人族から魔族を守るという使命がある。

 ――そのための魔領再統一という崇高な思いをもって、俺はここにやってきたはずだ。


 しかし、だというのに、こんな小娘の使う重力魔法ごときに抗うことができないっ……!

 フェルナはそんな床に這いつくばる俺を満足そうに眺めると、言った。


「あ、そうだ魔王サマ。今日から私の部下になってね♡ 流石にもう、どっちが上なのか"わかった"でしょ? 魔王サマ頑丈だし、力も強いし、部下にしたらすっごく便利そ~♡」


「この俺が、貴様の部下だと!? 舐めるなよ、サキュバスの小娘っ……!!」


「やぁん、魔王サマこわ~いっ♡ ……あ、でもでも魔王サマ、角磨きしたら許してくれるんだっけ? 私が魔王サマの"ツノ"、いいこいいいこしてあげたらぁ……魔王サマも素直になってくれるかなぁ?」


 フェルナの視線が俺の頭から、下の方へ動いたのを感じた。

 そしてフェルナは、「どーしよっかなぁ~♡」ととぼけた調子で口にしながら、俺の身体に触れようと手を伸ばす。


 ――その瞬間、背後から声が響いた。


「フェ、フェルナちゃん、だめです! そんなのだめですーっ! ディルグ様に変なことしたら、わたし怒りますから!」


 ニニルの声だ。

 ……黙って見ていろと言ったはずだが、俺の危機に我慢できず出てきたらしい。

 だがフェルナはあまりにも強い。

 戦えないニニルが出てきたところで、戦力の足しになどならないのだが……。


「……ニニル? 手を出すなっていったのは、そこの魔王サマだけど……言いつけを破っていいの?」


 しかし、フェルナは飛び出してきたニニルを見ると、警戒するかのように後退りした。


「ダ、ダメなものはダメです! わたしは、ディルグ様の筆頭配下なんです! ディルグ様は、何があってもわたしがお助けします! ……『空間転移』!」


 その言葉と同時に、地面に魔法陣が広がった。

 ここに来るときの転移魔法と同じものだ。

 それが、だんだんと光を増していく。


「なんだ、逃げちゃうの? ……ホントに部下になってもらおうと思ってたのに」


 フェルナはその魔法陣を見るなり、残念そうにため息をつく。

 そして、もう一度しゃがむと、俺の耳元に向けて囁いた。


「また会おうね魔王サマ♡ 今度はもっとすごい下着つけて待ってるから。そしたら、魔王サマも前屈みになっちゃって……立ち上がれなくなるかもしれないよ?」


「貴様、この魔王ディルグをみくびるなよ……!」


 たとえサキュバスといえど、ガキになんぞ興味はない。

 いくら重力魔法に抗えず地に伏したままでも、譲れないプライドというものはある。

 俺がそう反論しようとしたその瞬間、先んじてフェルナが言った。


「あ、でもぉ……魔王サマじゃどうせ"立てすらしない"し、意味ないね♡」


 自分の言葉にプッと吹き出して笑うフェルナ。

 地べたを這いつくばる俺を見て、楽しそうににまーっと笑みを浮かべるその表情が、最後に見えた。


 ――眩い光が放たれ、視界が暗転する。 

 気づけば、キュールグラードの城ではなく、どこかの森の中だった。


「ディルグ様、大丈夫ですか? お怪我はないですか?」


「こ、この俺を馬鹿にっ……! 魔王であるこの俺を、馬鹿にしただとっ……!?!?」


「ディ、ディルグ様……」


 最期に見えた、フェルナの表情を思い出す。

 あれは、自分が安全圏に居ると思っている者の目だ。

 絶対に自分には牙を立てられないと、地を這う虫を見て笑う目だった。

 魔王である俺を前にして、よくもあんな顔を……!


「この屈辱は決して忘れんぞ、フェルナッ……!!」


 ――強く決意する。

 あのサキュバスの小娘に、思い知らせてやらなければならない。

 真の魔王は誰で、誰にこそ敬意を払うべきなのかを。

 魔領を庇護する魔王としてガキを痛めつけるような真似はしないが、フェルナには必ず「馬鹿にしてごめんなさい」と謝らせ、不敬に対するケジメをつけさせてやる!


「ごめんなさい、ディルグ様……。わたしが、筆頭配下って言われて舞い上がったりしないで、ちゃんと説明しておけば……」


 俺の怒りを感じ取ったのか、ニニルがそう言った。

 耳はペタンと頭に張り付き、尻尾もどこか所在なさげにプラプラしている。

 どうやら落ち込んでいるようだ。

 しかし、その謝罪は的外れでしかない。


「……ニニルが悪いわけではない。今回のことは、俺の油断が原因だ」


 変わった魔領に対し、下調べを怠った。

 自身こそが魔族の中で最強だという、奢りがあった。

 だから、あのような醜態を晒す羽目になったのだ。


「でも……」


 ニニルの暗い表情を見る限り、やはり自分の責任だと思っているらしい。

 だがそれは裏を返せば、俺がフェルナに敵わないと考えていたということだ。

 ……それこそ違う。


「ニニル、俺が絶対にフェルナに勝てないと思ったのならば、それは間違いだ」


 実際に力を見て、わかったこともある。

 フェルナとかいうあのサキュバスは、強い。

 俺がこれまで戦った"魔族"の中では、圧倒的な実力者だった。


「あいつは強い。だが俺は、これまであいつ以上の強者に勝ってきた」


 俺はニニルにそう言いながら、とある人物のことを思い出す。


 ――勇者。俺が五年前の戦争で死闘の末、倒した男。

 人族最強の剣士にして、当時世界でただ一人『エーテル』を使いこなしていた、あの男のことを。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る