屈強魔王はまた"マケ"る ~弱者認定された元最強魔王様による力で"わからせ"る魔領統一~

幼馴じみ

魔王の目覚め


 ――誰かに呼ばれた気がする。

 目を開けると、そこは薄暗い場所だった。


「ここ、は……?」


 石造りの殺風景な部屋。

 その中心に設置された台座の上で、身体を起こす。

 ぼんやりとした意識のままに、周囲を見渡した。


「ディ、ディルグ様っ!? お目覚めになられたんですか!?」


 聞き覚えのある声がする。

 近くからだ。

 だが、周囲を見渡してもその姿を見つけることはできない。

 ――『目覚めた』。

 ふとその言葉の意味を反芻し、思い出す。

 ……そうだ、俺は人族との生存をかけた戦争の中で、勇者と相討ちになったのだ。

 肉体がいつ機能を停止してもおかしくない程の重傷を負い、しかし命からがら生き残った。

 そして自身を仮死状態にし、この『再生の秘跡』で長い眠りにつくことで治療を試みて……。

 それが、俺に残る最後の記憶である。


「ちょ、ちょっとだけ待っていてくださいね!」


 意識が覚醒していく。

 改めて声の元を探ると、そこは自分の下腹部のあたりだった。

 腰までかけられた毛布の中で、小さな人間大の何かがもぞもぞと動いている。

 少し待つと、一人の少女が慌てたように毛布から這い出てきた。


「ま、魔王ディルグ様! わたし、ずっとディルグ様がお目覚めになられるのをお待ちしておりました!」


 背中まで届く銀色の髪に、耳の上でパタパタと動く狼の耳。

 女の使用人が着用する服を着た、獣人の少女だ。

 あわあわと髪を整えているあたり、おそらく今まで居眠りでもしていたのだろう。

 変な寝方をしていたのか、頬に赤い跡がついてしまっている。


「あの、わたしのこと……覚えておいでですか?」


 ……見覚えはある。


「ニニル、だったな」


 この少女は、とある困窮した村を視察した際、俺が引き取った孤児だ。

 まだ幼く、何の取り柄もなく、保護する親もなかったこの少女は、村でろくに食事もとらせてもらえていなかった。

 飢えで死なせるぐらいなら魔王軍で働かせようと俺が雇いあげた、という経緯がある。


「はい! ディルグ様直属の従者の、ニニルです!」


 ……まぁ直属の従者といっても、ただの小間使いだが。

 幼いニニルは、戦闘や魔法はおろか、料理すらできない。

 だから俺の食事を運ばせたり、角を磨かせたりといった雑用を任せていた。

 高貴な魔族の角磨きは、角を持つタイプの魔族にとって、取り柄のない者に任せる仕事の代表とも言える。

 靴磨きと並び立つような雑用の一つだ。


「……ディルグ様、お身体の具合はどうですか?」


「どうやら傷はほぼ癒えたようだな。動くことに問題はない」


「っ……! 本当によかったです!」


 そう言いながら、ニニルは抱きついてくる。

 そして、両腕で強くしがみつきながら俺の顔を見上げた。


「ディルグ様を最初にここで見つけた時は、今にも死んでしまいそうなぐらい酷いお怪我でした……だから、また起きてくださって、本当に嬉しいですっ……!」


 感極まったような、震えた声音。

 ニニルは心の底から俺の復活を喜んでいるのか、頭を擦り付けながら尻尾を左右にフリフリと振っている。

 ……だが、なんだろうかこの違和感は。

 目の前の少女は、自分が知っている孤児の少女ニニルのはずなのだが、記憶の姿とどこかが違う。

 不意に、わずかに柔らかいものが俺の腹部に押し付けられているような感触を感じた。

 視線を向けると、そこはニニルの胸だった。


 ――おかしい。


 記憶では、ニニルの年齢は十に満たないような、本当に幼い少女だった。

 まさか身体つきに女性らしい起伏などあるはずもない。

 だが、僅かとは言え今感じるこの感触は、確かに女性特有の柔らかさだ。

 改めてニニルをよく見ると、その姿は記憶より成長して見えた。


「ディルグ様が大怪我を負ってから、もう五年が経ちました……わたし、ずっとディルグ様が目覚めるこの日を待ち続けていたんです」


「なっ……五年!? 五年が経っただと!?」


「はい。ディルグ様は五年間、眠り続けていました」


 耳を疑った。

 だが、同時に納得もいく。

 確かに、目の前の少女は記憶の中の年齢から五年分程度成長してみえる。

 今は……まぁ十代の前半といったところだろうか。

 しかし、肉体を修復するのに時間が必要だとは思っていたが……まさか、それほど長い間眠ってしまうとは。


「……魔領は今どうなっている?」


 俺と勇者が戦った時、長きにわたった魔族と人間との戦争は既に終わりを迎えようとしていた。

 人族の大国家での内乱をきっかけに、人族全体が戦争を続けるだけの力を失ったことが原因だ。

 だが、あれから既に五年が経ったと言うのならば……。

 五年という年月は、二十歳程度で成長が止まり、そこから平均二百年は生きる魔族の寿命からすれば短い。

 だが、戦局という観点から見れば十分長いのだ。

 その五年の間に内乱が治まれば、人間はまた大規模な軍を起こし、魔領を侵略しようと企むだろう。

 心臓が、焦りに早鐘を打つ。


「人族が大きな軍隊で攻めてきたことは、あれから一度もありません。ディルグ様が、命を懸けて人族と戦ってくれたおかげです」


「そうか、魔領は無事か……」


 人族は宗教的な理由によって、魔族の完全な殲滅……根絶やしを目標としていた。

 最悪の事態に至っていないことに、胸を撫で下ろす。

 しかしニニルは辛そうに眉を寄せ、酷く言いにくそうに続けた。


「でも、今の魔領はえっと……いろんな魔族が、自分のことを新たな魔王だって言ってます。ディルグ様の作った魔王軍も、その、バラバラになって……なくなっちゃいました」


「なっ……!? なんだと!?」


 統一国家だった魔領に魔王が複数いる。

 ……それが何を意味しているかといえば、つまるところ内乱だ。


「魔領は、割れたのか……」


 分裂してしまう土壌はあったのだろう。

 魔領はもともと、様々な種族が治める小さな国の集まりだ。

 それを統一した魔王である俺がいなくなれば、それぞれが元のように自治を始めてもおかしくは無い。

 魔王軍自体も、各地からの有志を集めた、ただの混成軍。

 魔領へと攻め寄せる人族の脅威に対抗するためだけに、突貫で作った軍隊だ。

 国が割れれば、同じように軍も割れる。

 ……だが、一つ疑問が浮かぶ。

 そもそもなぜ国が割れたのか、だ。

 魔王がいなくなったとしても、俺の下には正当な後継者である副官がいた。

 優秀な魔王軍幹部たちもいた。

 少なくとも俺に万一があった時は、副官が魔王の座を継ぐことになっていたはずだ。


「ハイスライムのシャルミア……魔王軍の副官だった奴はどうしている。奴が新たな魔王となり、魔王軍を引き継いではいないのか」


「……えっと、私にはよくわからなくて。私は、あまりここから出なかったので」


 ニニルは、目を伏せながら続けて言う。


「でも魔族はみんな、ディルグ様が亡くなっていると思っています。魔王軍の幹部様たちも、ほとんど故郷に帰ったり、どこかに行っちゃったって聞きました」


 ……勇者と戦った後、俺は肉体が崩壊する寸前にこの再生の秘跡へと転がり込み、自らの肉体を仮死状態にすることで崩壊の停滞・再生を図り生き延びた。

 あの時は、もはや目前まで迫っていた死をなんとしても回避しなければならず、遠方にいた魔王軍に連絡する手段も、猶予もなかったのである。

 この秘跡の存在を知らない者からすれば、俺は勇者との戦いの後、行方不明ということだ。

 最終的に俺が見つからなければ、勇者との戦いで死んだように見えてもおかしくはないだろう。

 この『再生の秘跡』の場所は、人族領域との境界線から遠くない森の中。

 有用な遺跡だからと、人族の間諜対策に厳しい情報制限をしていたのだが……どうやら裏目に出たらしい。


「ニニル、貴様は俺を見つけてから、ずっとここにいたのか?」


「はい。無防備なディルグ様をお守りしたり、ディルグ様のお角をピカピカに磨いたり、添い寝をしてお身体を温めたりしてました」


 発見者として俺の生存を知らしめ、魔王軍を繋ぎ止める役割を果たしてくれていることを期待したが、そんなことは全く考えてなさそうな返事が帰ってきた。

 ニニルの顔を見ると、目が合ったのが嬉しいのかニッコリ笑う。

 なんという無邪気な笑顔だろうか、何も考えてなさそうだ。

 せめて魔王軍の幹部に連絡をしてくれていればとは思うが……まぁ、五年分成長したといってもニニルはまだ幼い。

 ……俺を守っていたという部分だけでも褒めておこう。


「……そうか。それは大義だったな」


 そういえばさっき目覚めた時も、俺をくるむ毛布の中に潜り込んでいた。

 多分、「添い寝をして温めていた」というやつだろう。

 もしかすると、俺の肉体は仮死状態でひんやりとしていて、枕にちょうどよかったのかもしれない。

 ……本来ならば魔王に対して不敬な行為だが、まぁ角をピカピカに磨いていたのならば許すとしよう。

 俺の種族――牛鬼族のような立派な角持ち魔族にとって、雄々しく屹立する角は誇りそのものと言っていい。

 角が綺麗だと気分が良いのだ。

 まぁ、それはともかく。


「すぐにでも動く必要があるな。ニニル、行くぞ」


 聞いた限りでは、魔領は既に分裂してしまっている。

 まだ現状の確認が不十分ではあるが、たとえ一時であろうとそんな状況を放置することはできない。

 人族との戦争が、いつ再び始まってもおかしくないからだ。

 人族は魔族全てが力を合わせることでようやく対抗することができる程の大勢力。

 ……魔領が内乱状態の今、もし人族が侵攻してきたら?

 連携も取れず、各都市がそれぞれ人族を迎撃することになるだろう。

 そうなれば、人族の前に魔族は各個撃破、一方的に蹂躙されるに違いない。

 これまで五年は無事だったらしいが、明日も無事とは限らない。


「行くって、どこへですか?」


「キュールグラードだ。まずは、最前線であるあの都市を支配している者と会わねばな」


 人族と魔族の領土が地続きに接する地。

 魔領の最前線であり、屈指の大城塞都市、キュールグラード。

 何はともあれ、魔領の軍事を語るのであればあの地の安全を確認しなければ話にならない。


「あそこは、えっと……確か、サキュバスの子が新しい魔王を名乗って支配していたと思いますけど……」


「なっ……サキュバスだと!? あの戦いでは全く役に立たんサキュバスが、最大の防衛拠点を守っているというのか!? こうしてはいられん、今すぐ向かうぞ!」


 言っては悪いが、サキュバスは非常に弱い。

 空を飛べる点と早熟で知能が高い点は評価に値するが、使える魔法の威力はせいぜい下の上がいいところだ。

 あいつらの使う魔法は他人の夢に潜り込んだり、性行為で使うようなものがほとんどで、攻撃魔法の代表である火炎の魔法を使わせたところで木の一本も燃やせやしない。

 直接の戦闘能力も鬼や獣人系の魔族と比べればお察し……どう考えても、人族との最前線を任せられるような種族ではないはずである。


「……ディルグ様、戦うおつもりなんですか?」


「その可能性もあるだろうな」


 弱いといえど、魔王を自称するような奴だ。

 本来の魔王が復活したというだけでは、愚かにも地位を明け渡さないということは考えられる。

 もしそうなれば、この最強の魔王の力で格の差というものをわからせてやる必要があるだろう。


「で、でもディルグ様……あの、今の『新世代』の魔族はとても強くて、ディルグ様でももしかすると、その……」


「ニニル、貴様はこの最強の魔王ディルグが、貧弱なサキュバスにすら勝てんと言いたいのか」


「……ディルグ様は酷いお怪我がようやく治ったばかりですし、またお怪我をしてほしくなくて」


 ニニルが、シュンと暗い顔をする。

 頭の上の犬耳も弱弱しくしおれ、ぺったりと頭に張り付くようだ。

 そこからは、深い『悲しみ』の色が見て取れる。


 ……なるほど、そういうことか。

 おそらくニニルは、俺が何年も眠っているのを、ずっと見てきたのだ。

 深い傷を負った俺を見て、本当に目覚めるのかどうか、心配しながら毎日を過ごしていたのかもしれない。

 だからこそ、たかがサキュバスに対してであっても、ここまで不安が膨れ上がってしまうのだろう。

 それにそのサキュバスとやらがニニルの言う通り、"そこそこ強い"のであれば、多少は本気の戦いになる可能性もある。

 最強の魔王たる俺でも、かすり傷をつけられることすら全くないとは言い切れない。


「ニニル」


 暗い表情のニニルに、魔王としての威厳ある声で言葉をかける。


「なにも最初から殺し合いをしようというわけではない。ただ、真の魔王の復活を知らしめに行くだけだ。何も心配するな」


「でも……」


 ニニルの表情は変わらない。

 ……やはり怯えているようだ。

 だが、ニニルはただの小間使いではあるが、本人の言う通り魔王直属の従者でもある。

 それが貧弱なサキュバス如きを恐れるなどあってはならない。


 ……少し、鼓舞してやるか。


「いいか、よく聞け。この俺が既に死んだと思われ、魔王軍がなくなったというのが本当に事実なのであれば……俺は魔王として積み上げてきたものを、全て失ったに等しい」


「っ……! ディ、ディルグ様、わたしは……!」


 俺の言葉を聞いて、ニニルはビクリと震え、何かを言おうとする。

 先ほどの心配そうな表情とは違う……まるで隠し事を咎められた子供のような、気弱に曇った表情だ。

 そんなニニルの様子になにか違和感を覚えたが、今は話の途中。

 腰を折らせずに、話を続ける。


「黙って聞け。……だがな、ちょうどニニル、今ここには貴様がいる。貴様が『新制魔王軍』の、一人目の配下だ」


「……し、新制魔王軍?」


「あぁ、そうだ。魔王軍がなくなった今、新たに魔族をまとめる組織が必要だからな。そして、今の俺にとって貴様が新たな魔王軍筆頭配下だ」


「わたしが、筆頭配下っ……!?」


「一番の配下、右腕と言っても良いな」


「わたしが、一番……? ディ、ディルグ様の、右腕っ……!?」


 配下が一人しか残っていない時点で筆頭もクソもないのだが、鼓舞には勢いこそが重要だ。

 そのまま、強い言葉をニニルにかける。


「そうだ。そしてその新制魔王軍の代表とも言える貴様が、サキュバス如きに怯えるようでどうする!! ニニル、細かいことは気にせず、ただ俺についてこい!! 最強の魔王であるこの俺に、決して敗北はないのだからな!!」


「は、はい、魔王様!」


 勢いに乗せられたように、ニニルは力強い声で返事をした。

 まぁ、さっきよりはマシな表情になったな。

 これなら大丈夫だろう。


「この魔王の傍こそが、世界において最も安全な場所と知るがいい。たとえ強大な古竜種が襲って来ようと、傷ひとつつけさせはせん。さぁ、行くぞ!」


「はい! でもドラゴンぐらいなら、自分でなんとかするので大丈夫です!」


 ……ニニルが変なことを言い出した。

 古龍種……エンシェントドラゴンといえば、魔王軍の最高幹部たちでも相手にできない程の、天災級の魔物だ。

 正直、魔王であるこの俺ですら、まともにやり合うのは少し怪しい。

 いくらなんでも、まだ幼い少女であるニニルに対処できるはずもない。

 ……気合を入れ過ぎただろうか。

 気合、気合……?

 あぁ、そういうことか。


「それぐらいの気合で頑張るということだな。良い気構えだ」


 そう声をかけると、ニニルはコクリと力強く頷いた。

 ……やはりそういうことのようだな。

 俺が納得していると、ニニルは再び口を開いた。


「じゃあ、早速キュールグラードに転移しますね」


「……転移だと?」


 また変なことを言い出した。

 転移魔法といえば、魔王軍でもたった一人使い手がいただけの超々高等魔法。

 空間に干渉することは、氷や火炎のような元素魔法とは桁違いの膨大な魔力を消費する。

 いくらなんでも、ただの雑用係だったニニルに行使できるはずもない。

 ……それとも何か、転移魔法を行使できる魔道具を持っているのか?

 だがそんなものがあるとすれば、間違いなく神代の神器級。

 一つあるだけで戦局を一変させる、アーティファクトと呼ばれるレベルのものだ。

 聞き間違いの可能性が高い。

 もう一度、聞きなおしてみよう。


「……転移というのは、魔法のか? あの超高等魔法である、転移魔法のことか?」


「はい、その転移魔法です。目的地にシュンッて飛ぶやつです。わたしも『新世代』ですから、もしもの時にはわたしが頑張ります! ……『空間転移』!」


 そういえば、さっきも言っていたな。

 キュールグラードを守るサキュバスは『新世代』だと。

 知らない言葉だが……なんのことだろうか。

 しかしニニルにそれを聞こうとすると同時に、地面に輝く魔法陣が展開された。

 そして、一瞬の酩酊感。


 ――気づけば、そこは先ほどの石室とは違う……豪華な謁見室のような場所だった。

 ……見覚えがある。

 ここは、キュールグラード城塞の本城に作られた謁見の間だ。


「つきました、ディルグ様!」


「……本当に転移魔法を使ったのか」


 魔法の構築にかかった時間は、十秒もなかった。

 かつて、魔族で唯一転移魔法が使えた魔王軍幹部のアルメディアですら、行使するには大量の魔力を練り上げるための長い時間と、転移先に発動補助の転移陣を刻んでおくという条件をクリアする必要があったというのに。

 この場には、転移用の陣すら刻まれていない。

 こんなに気軽に使える魔法ではなかったはずだが……。

 もしかすると、本当にアーティファクトでも手に入れたのかもしれないな。

 ニニルには詳しく話を聞く必要があるだろう。


 ……だが、それより先に用件を済ませてしまった方が良さそうか。


「いきなりなぁに? 女の子のいる部屋に、ノックもなしで入ってくるなんて……」


 部屋の最奥から聞こえたのは、少女の声だった。


「アイツが新たな魔王を自称するサキュバスか? ……なんだ、まだガキではないか」


 ツーサイドアップにまとめられた金色の長い髪。

 背中には飛行魔法を補助する翼が生え、短いスカートのすそからはツヤのある細い尻尾が伸びている。

 年齢は……ニニルと同じか少し上ぐらいだろうが、やはり俺から見ればガキにしか見えない。

 そのサキュバスはどこかけだるそうに足を組み、肘置きに頬杖をつきながら"俺の"玉座に座っている。

 しかしサキュバスはニニルに目を止めると、僅かに目を見開いた。


「見覚えのない大男がいるから何かと思ったけど……ニニルじゃない。どうしたの?」


 どうやらニニルとは既知らしい。

 魔王である俺のことは知らないようだが。


 ……まぁ仕方のない話ではあるか。

 俺は魔王となる前も後も、常に戦場の最前線で戦っていた。

 それゆえに、最上級の黒鉄で作られた全身鎧と兜を外すことは、私生活ですら多くない。

 今の俺の格好は、眠っている間にニニルが着替えさせたのだろう、高級感のある男ものの旅装だ。

 ……象徴とも言える鎧兜を外し、素の姿を晒している今の俺を、魔王軍の幹部や側近の兵士でもないただの少女に知っておけという方が無茶である。


「突然お邪魔してごめんなさい、フェルナちゃん。えっと……魔王ディルグ様がお目覚めになられたので、ご挨拶に来ました」


 一言、用件を伝えるニニル。

 その言葉に、フェルナと呼ばれたサキュバスは怪訝な顔をした。


「魔王ディルグ……? それって、先代魔王の? でもアイツ、勇者と相討ちになったんじゃなかったの?」


「フン……魔王たる俺が、そう簡単に死ぬものか」


 しかしフェルナと呼ばれたサキュバスは、俺の言葉を聞いてもどこか不思議そうな顔だ。

 ニニルが補足するように言う。


「――"本当は"、戦争で負った傷が治るまで、眠りについてらしたんです」


「……ふぅん、そういうこと」


 ニニルの説明に、フェルナはどこか納得したような顔をする。

 そして、俺とニニルを順に見ると……不快そうに、べー、と舌を出した。


「でも今更その『旧世代』を魔王とは認められないし……このキュールグラードは、返してあげないよ?」


「……なんだと? ガキのわがままも大概にするのだな。この地は人族の侵攻を塞き止める最前線……貴様のようなガキがごっこ遊びで治められるような場所ではない! 大人しく本来の魔王であるこの俺の傘下に入るがいい!」


「ガキが治めるべきではない……ねぇ? 魔王サマって、まだなぁんにもわかってないんだぁ♡」


 フェルナが、どこか小馬鹿にしたような表情で言う。

 ……わかっていないのはどちらだろうか。

 キュールグラードは、人族との戦争を考える上での、最重要拠点。

 人族へ畏怖を与える、魔族最大の大要塞だ。

 この地が万一にでも破られれば、人族の軍団が雪崩れ込むことになる。

 だからこそ、俺のような強者が支配することこそが肝要なのである。


「そうだ魔王サマ、このキュールグラードが欲しいなら……てっとり早く、力ずくでやってみたら? 『新世代』の私に勝てるなら、ね♡」


「フッ……まだ吸精衝動も来てないようなサキュバスのガキが、この魔王に対して"力で"ときたか」


 フェルナには見えないのだろうか。

 魔族の中でも特に腕力に優れる牛鬼族に生まれ、更にそれを最大限鍛え上げたこの身体が。

 魔王に相応しい、逞しい鋼の肉体が。

 見ただけで勝ち目などないとわかるはずだろうに。


「『旧世代』最強と言われた魔王ディルグ……どれぐらい強いのか気になるし、私に魔王サマの力を見せて? ……あ、それともぉ……怖くなっちゃった?」


「こ、怖くなったか……だと? ククク……ハーハッハッハ!! 貴様、フェルナと言ったな。どうやらこの俺のことを全く知らんらしい! これは、しっかりと実力差を教え込んでやる必要がありそうだ!!」


 コイツやニニルの言う、『新世代』、『旧世代』という言葉の意味は気になるが、まぁいいだろう。

 魔族最強であるこの俺の力の前には、些細なことだ。

 力ずくで組み伏せ、上下をわからせてからゆっくりと聞き出すとしよう。


「魔王の力を舐めたことを、せいぜい後悔するがいい!!」


 俺はこれまで、魔族の誰にも負けることがなかった。

 拳を振り抜けば鋼鉄の板だろうと容易く貫き、この強靭な皮膚を貫けるものは勇者の聖剣を除けばあんまりない。

 誰よりも力強く、誰よりも頑丈……それが、単純ではあるが何よりも覆しがたい俺の強さの根幹だ。

 目の前のサキュバスのガキ程度、腕を軽く振るうだけで、その生命を絶つことができる。


「ディ、ディルグ様っ……! だめですっ! フェルナちゃんは『新世代』なんですっ! た、戦っちゃだめですっ!」


 ニニルが焦ったような声を上げた。

 ……そういえば、ニニルはフェルナと知り合いなんだったか?


「本来であればガキに振るう力など持ってはいないが、ここまで舐められて捨て置くわけにもいかん。……なに、ただ調子に乗った魔族を一人こらしめてやるだけだ。黙って見ていろニニル」


 ニニルを手で制し、後ろへ下がらせる。

 当然、殺したりはしない。

 それにガキを殴りいたぶるような趣味もない。

 組み伏せ、抗うことのできない圧倒的な魔王の力を見せつける。

 それだけで小生意気なサキュバス程度、簡単に屈服することだろう。


「私、こらしめられちゃうの? 『新世代』の私が、『旧世代』の魔王サマなんかにぃ? やぁん、こわ~~~い♡」


 フェルナは売ってはいけない喧嘩を売ったのだということがわかっていないらしい。

 ふざけた様子で自分の身体を抱きしめ、腰をフリフリと左右に振っている。


 ……だが、俺はこういう手合いには慣れている。

 魔族はもともとプライドが高い者が多く、弱者にはまず従わない。

 昔俺が魔領を統一した時も、よくこうして種族長や都市長のような実力者と戦って、魔族としての格の違いを思い知らせてやったものだ。


「たっぷり手加減はしてやる。どちらが上なのかわかったら、大人しく俺の傘下に入ることだな。雑用係……角磨きから始めるのであれば、その無礼も許してやろう」


「魔王サマ、やっさし~~~♡ ……でも私に勝てたらぁ、本当に"ツノ"、磨いてあげてもイイよ?」


 フェルナは、余裕ぶった態度を崩さない。

 多少は度胸があるようだな。

 だが、その増長こそが運の尽きだ。


「ふん……調子に乗り過ぎた魔族を躾けるのも、魔王の仕事だ。いつまでそんな態度を取れるのか、試してやろうではないか!」


 俺は目の前のサキュバスを見下ろし両手を組み合わせると、バキリ、バキリと骨を鳴らした。


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