第10話

 セーラー服の少女が個室の引き戸を開け、中に入る。部屋の中は空調が効き、過ごしやすい温度設定に保たれており、季節を感じさせない。

 少女はベッドを覗き込み、ベッドに寝ている人を確かめると、瞳を閉じているのを気にした風でも無く、声を掛ける。


「おばあちゃん」


 声を掛けられて、ベッドに横たわっていた老婆は目を開けて、目だけを動かして、声のした方を見る。

 少女は老婆が目を開けたのを見ると、にっこりと微笑み、話し出した。


「調子はどうお?今日も外はすっごく暑いんだよ。」


 少女は老婆が何も返さずとも気にせず、楽しそうに話し続ける。


  

 美結はもう1か月ほど前から、口から食事を取っておらず、使う機会が減ったせいか、喉と口周りの筋肉は動き方を忘れたようで、話す事が出来なくなっていた。最期の時に向かい準備する体は、数日前から水分も受け付けず、枯れていっている。栄養と水分は点滴で体内に強制的に入れられていたが、ひたすらに枯れてゆく体にはどこにも受け入れられず、点滴を指している腕を中心にむくみ、膨らんでいた。

 最期の時に向かって枯れゆく体は少し痛みはあるものの、心は至って穏やかだ。

 学校帰りに寄ってくれたであろう孫を横目で見ながら、夫に出会えた事に感謝する。

 彼方に行ったら、お礼を伝えたい人が大勢いる。その事に自分は本当に幸せだったのだと、そう思う。それに、やっとだとも思う。やっと彼に逢える。高校1年の頃、約束を再確認し、それ以来、声さえ聞く事の無くなった彼との約束を、今度こそ果たしてもらうのだと。約束を反故にされない為に、待つのでは無く、こちらから、押し掛けてやる。そう思うと、動かなくなった口角が持ち上がる気がする。

 美結は最期に学校での出来事を楽しそうに話す愛しい孫娘を瞳に焼き付けて、ゆっくりと目を閉じた。

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水の回廊 詩悠 @shiyu2021

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