第9話

 玄関を開けると、今日も空は真っ青で、遠くに絵具で塗り潰した様な真っ白い入道雲が見える。

 東側の竹林を見ると、湧泉のある辺りが一瞬、光って見えた。


 あの不思議な声の人が居るのかも


 何故かそんなそんな気がして、湧泉へ足を向ける。近いはずの湧泉までの距離が遠く感じる。

 大好きな声の人に逢えると思うと嬉しいはずなのに、理解し難い不思議な事の連続に怖さもあって、とてもゆっくりとしか足が進まない。

 痛いほど心臓が煩いのは、ずっと気になっていた人に逢えるかも知れないという期待からなのか、それとも得体の知れない事に対する恐怖からなのか、自分でもよく分からない。

 もし、隣に人が誰かいたのなら、きっと私の心臓の音が聞こえただろう。

 そう思えるほど、自分の心臓の音が煩過ぎて、蝉や風、国道を走る車の音も何も聞こえない。



 竹林の入り口迄にはもう少しの距離、陽が随分高く昇っているけれど、竹林に遮られて、日陰になる場所まで来た。湧泉まで10mもないだろうか。

 湧泉の側に誰かが立っているのが見えた。その人は藍染より少し暗い色の踝まである着物を着ていた。その服の襟は別のもっと色の薄い同系色で光沢のある生地で縁取られ、その上に、同系色の羽織?なんていうのか知らないけれど、下に着ている着物と同じ長さの服をふわりと羽織っている。

 帯は孔雀石の様な色と模様の帯を締めていて、帯の位置が若干高めの気がするから、やっぱり着物とは違うのかも。中国とかを舞台にした時代物の映画とかで見た事あるような雰囲気の装いだった。

 何より目立つのは、その人の胸まであるプラチナに薄浅葱色を溶かした様な色合いのストレートの髪。凄く綺麗。

 ここからでは顔ははっきりは判らないのに、特徴的な髪を見てから、コバルトブルーの様な青とも緑とも言えない色の瞳をしている事を思い出した。

 

 

 湧泉の側に立つ人を見てから、走馬灯の様に、湧泉の中に見えた宮城の事、彼に甘えた事や甘えられた事など、一緒に過ごした日々や護って貰っていた事、神々の争いに巻き込まれ、その挙句、逃がされた記憶が甦り、思い出してしまえば、何故、彼を忘れられたのかと思うほど。


「ヴァ…」


名前を呼ぼうとして、彼が唇の前に人差し指を当てる。


「美結」


 自分は私の名を呼ぶくせに、私には名を呼ばせる気はないようで、ちょっとムッとするが、全てを忘れても、大好きだった事だけは忘れられなかった声に呼ばれて、ふらふらと近寄っていく。

 近づいてみると、彼が実体としてそこに存在するのでは無く、陽炎の様な、投影機で映し出された様な儚げな存在だと分かる。湧泉の奥にある榊が彼の後ろに透けて見えていた。

 彼が私の側頭部に手を当て


「封印が解けかかっているな」


と、言う。

私は反射的に一歩後退り、


「いや」


と、小さく返した。彼が何をしようとしていたのか悟り、自然、目尻がきつくなり、睨むように見つめ返す。

 

「忘れたく無い!」

「そのままでは、辛かろう。」


 私の剣幕さを気にした風もなく、穏やかに彼が返す。


「いいえ!いいえ!」


 自分の心臓の音が未だに煩く、上手く言葉が出てこない。ただただ、ぶんぶんと首を左右に振る。

 いつも泰然としていた彼にしては珍しく、ちょっと困った風だ。どうしようかと思っているに違いない。


 約束を守る気も無い人なんて、もっと困ればいいんだ!


逢えて嬉しいのに、思い出せば、腹立たしい事も少なからずあって、ついそう思ってしまう。


「迎えに行くつもりではあったさ。約束通りに。」


私の気持ちを読んだのか、読むまでもなく、詰られる事に心当たりがあり過ぎるのか、白々しく返してきた。信用しろと言うのが難しい。


「私は、あれからもう何度も、魂の里に帰ったわ。預けられっぱなしだった!」

「長い間、眠りについていたんだ。目覚めたのが最近でな。本調子になるまで見守ろうと様子見をしておった。」


怪しい…


「最近?様子見ってどれくらい?」

「そうだな…様子見は今生の前の前の前当たりからか……いや…もう1・2代前からだったか?」


やっぱり、全然信用出来ない!

 

 不信感がありありと顔に出ていたのか、彼は慌てて言い募った。


「いや! 目覚めたばかりの時は本調子で無かったのは本当だ!

 それでも直ぐに美結の魂を探したとも。当然だ。それに、私に出来ない事の方が少ないからな。」


 そのドヤ顔はいらない。腹立たしさに燃料を投下するだけだから。

 ジトっと見ていると、更に言い募る。


「美結を見つけて、最初の生は男だったんだ。それでだな、見守る事にしたんだよ。」


良い風に締め括るが、彼にとっては言い訳にもならない事を私は知っている。


「貴方に性別なんて意味あるの?」

「面白いだろう?」


 自白を頂きました。面白がって見てた事が決定!

 約束を守る事より、自分の興味を優先して、楽しんでたんだね。

 いよいよ私の表情がムッとしたものになる。お陰で心臓がだいぶ落ち着いてきた。


「男の美結も楽しそうに、生き生きと生きておったのよ。」


穏やかな笑顔に胸が熱くなる。きっと面白がってもいただろうけれど、見守っていてくれていたのも本当だろう。


「まぁ、戦で呆気なく死んでしまったがな。心残りが多そうで、次こそは!と思っておったようだから、次の生まで見守ろうと思ってな。…まぁ、そうする内にずるずるとだな…。」


 目を閉じて、ふぅ、と息を吐き、彼を見つめ直す。感情が色々とごちゃ混ぜになって、私の気持ちも、大概、忙しいが、最も気になっていた事を尋ねる。


「今は誰か側にいるの?」

「いや」

「誰も? あの宮城に独りで居るの?それとも別の所に?」

「いや、今も西宮にいるさ。あそこが私に任された地だからな。ただ、1人に街は広過ぎるから、流石に宮だけ残して、後は片付けた。宮も以前よりは随分とすっきりした物にしたから、独りでも不都合はない。側に最初に戻すのは美結だと決めてもおったし、そういう約束であったろう?」


 不意打ちだ! 

 折角、収まりかけていた胸がまたギュと苦しくなり、目頭が熱くなる。


「私を…」


…連れて行って!…


 そう言おうとして、両親の顔が咄嗟に目に浮かぶ。あの2人からこれ以上、子供を奪うような事は衝動的にも言えなかった。

 思い出したからには、これ以上、独りで過ごさせたくなくて、一緒に居たくて。でも、家族の事を思えば、想いが喉に詰まって、声が出てこない。

 声の出ないまま、口をパクパクさせる。


「人の身では行けぬ場所だ。」


…知ってる。


「それに人の子の一生は短い。私には瞬きするような間。」


…もうちょっとあると思う。

 声が出ないから、心の中でツッコミを入れる。


「ここには、飢えも、大きな争いも無い。実に穏やかで賑やかな良い所だ。

 戻るのは人の子の生を楽しんでからで良い。今まで見守ってきたのだ。後、一度ぐらい、どうと言う事はない。」


 全て分かっていると、優しい笑顔が言っているようで、声の代わりに涙が出てくる。


「イタズラ者が…」


何とか声を出せたのに、こんな事しか言えない。記憶が戻ったら、あの不気味な声も誰の声か判った。全ての元凶を作った者の声だった。


「あぁ、覗かれていたな。ここは力の通り易い場所のようだし、それで気付かれたのだろう。あやつは美結が人の子として今生を生きている、という事しか、判ってはおらん。何処にいるかまでは判らんだろう。そもそも、既に目を潰しておいた。人の子の一生ぐらいの間は使い物にならんだろうから、心配はいらん。心配はいらんが、決して名を呼ぶなよ。呼び寄せる事になるからな。」


「はい」


 素直に短く返事を返すと満足そうに微笑まれる。右手を差し出してきた。


「これを」

「?」

「青珊瑚だ。守りになる。」


 渡されたのは青珊瑚のブレスレット。一見、ラピスラズリのようだが、石と違って冷たくはない。鼈甲や琥珀の様な温かさがある宝石だ。まず、人の世界では見られ無い物だろう。

 左手首に着けて、腕ごと胸の前で抱きしめる。本体から切り離された時点で鼓動を感じるはずは無いのに、ブレスレットから、術者の鼓動を感じる気がして、温かい気持ちが広がる。


「ありがとうございます。」

「ああ 出来れば、外す事なく着けておいてくれ。もし、外しても側に置いておけば守り易い。」

「分りました。」


 話したい事は沢山あるのに、何から話せばいいのか、想いだけが溢れて上手く言葉に出来ない。ただ黙ってお互いに見つめ合う。

 私の頬に彼の手が添えられる。


「いつでも見守っている」


そう言うと、彼の姿は消えてしまった。

 湧泉を覗き込んでも、もう、宮城は見えず、静かに榊の梢を写すだけになり、不思議な声も夢もそれ以降、見ることは無かった。

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