第4話
ぴちゃん
水の跳ねる音がした。
後ろを振り返る。誰も居ない。
空を見上げる。竹の隙間から見える空は真っ青で、絵の具で塗り潰した様な白い雲が見えた。
雨は少しも降りそうにない。
強い風が吹いて、竹がざわざわと揺れる。竹はしなやかで強い風が吹くと竹全体が揺れ、なんだか大勢の人に囲まれた様な気分になる。さっきまで、陽のあまり当たらないうす暗さと少し冷んやりとした感じが心地良かったのに、急に、陽の当たらない暗さと真っ直ぐに伸びている竹が、檻か何かに囲い込まれた様に思え、不気味に感じ、落ち着かなくなる。
あまり、こんな怖さを感じる時に湧泉の側を通りたくはなかったが、早く竹林を出たくて、足早に竹林の出口に向かう。枯葉の積み重なった土は柔らかいが、急いで動かすと脚が痛む。痛みに気付かないふりをして、そのまま進む。
小さい頃、溜池ではイモリを取ったり、足をつけて涼んだりして遊んできたが、すぐ隣にある湧泉は覗き込む事さえ、殆どした事がない。
何だか怖かったのだ。母や祖父母に触らない様に注意された記憶は無い。そこが水が湧いている泉だと教えてもらう前から、私には近寄り難い場所だった。隣の溜池で遊ぶのは好きだったけど。1度だけ、頑張って、湧泉を覗き込んだ事がある。溜池より小さく、深い泉は澄んでいて、アメンボが泳いでいた。溜池のアメンボは捕まえたり、つついたりして遊ぶのに、湧泉は勇気を振り絞って覗き込むのが精一杯で、とても触ることなんか出来なかった。きっと、こんな怖さを伴う気持ちを「畏れ」と言うのだと思う。
湧泉の側には榊が茂り、榊の枝がまるで屋根みたいに湧泉の上に伸びている。
榊は神棚にお供えする植物で、少し離れた所に仏壇やお墓に供える花芝(樒とも言う)もあるし、榊を挟んで反対側には楪もある。
冬に赤い実をつける、百両、千両、万両もそれぞれある。赤松は戦時中に切られてないらしいが、黒松は敷地内にある。シダも裏山に入ると、どこにでもある。
夏なのに、お正月飾りにも困らないな、なんてどうでもいい事を考えている内に、竹林の出口、湧泉の隣まで来た。
怖いのに、聞こえた音が気になって、思わず足を止める。空耳だと思うのに、やけにはっきり聞こえた音が気になって仕方がない。
大きく息を吸って、吐いて。何度か深呼吸をする。最後にもう一度、目を閉じ、大きく息を吸って、目を開けてから湧泉を覗き込む。
「え…」
見えたモノが信じられなくて、目を瞬かせる。風は止んだのに、水面が揺れた気がして、目をぎゅっと閉じてから、ゆっくりと開ける。やっぱり、さっきと同じモノが見える。よく見ようと、湧泉に近づき、しゃがみ込んで、覗き見る。
その時
「見つけた」
楽しそうに、誰かが言った。
思わず仰け反り、辺りを見回すが、誰も居ない。慌てて立ち上がり、今度こそ足を止めずに祖父母宅に戻る。歩き出して直ぐに、水の跳ねる音が聞こえた気がしたが、無視する。きっと、空耳に違いない。そう自分に言い聞かせながら、足が痛くないなら、走って帰るのにと、短い距離を急ぐ。心臓の音がうるさ過ぎる。耳まで痛い。
家の側まで戻ると、祖父が畑から戻ったところで、シルバーの軽トラックから降りて来る。祖父は服の色が変わる程、汗びっしょりだ。
「暑かなぁ。浴びんばざい。」
そう言い、脱衣所にある勝手口の方へと祖父が歩いて行く。
いつも通りの祖父の笑顔を見たら、少し落ち着いて、はぁぁと息を吐き出す。
部屋に戻り、時計を見ると10時30分。今日は早く起きたし、まだ午前中だけど、もう一日が終わってもいいと思う。
エアコンを付けて、ベッドに倒れ込む。緊張で疲れたのか、そのまま眠ってしまっていた。
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