第14話 誰が「転生」を器用に扱ったのかわからないほど、混沌とした時代
前の章で書いた通り、「ソードアート・オンライン」における「異世界転生」の原型は、10年ほどをかけて緩慢に成立していったと思います。それは一人や二人の業績ではなく、ネット小説における無数の書き手、名もなき書き手の群れが、試行錯誤をしてやっと「異世界転生」のプロトコルが成立したのでしょう。
異世界転生が成立し、さらに発展した背景において、RPGが当たり前になっていたことが挙げられますが、これは「異世界転生」が「ゲーム世界転生」と表現するしかない現象にも発展したのは面白い事態です。ただ、これはよく考えてみると、ゼロ年代から、誰かがライトノベルにホラーやオカルトを導入したり、ミステリを導入したり、SFを導入したり、キャラクター小説を導入したり、ということに近い現象です。まったく自然に発生する、ライトノベルというものと表裏一体の、「売れるものが正しい」という発想の表れではないでしょうか。
いくつかの、ソフトカバーでネット小説を書籍化するレーベルの誕生は、おそらくライトノベル業界に一石を投じましたが、これははっきりさせれば、ネット小説というジャンルが、ライトノベルに接近しているわけで、ネット小説というものにライトノベルの衣装を着せて、その着飾ったネット小説がライトノベル業界の一角を占めたことで、あるいはそこを舞踏会とすれば、今までのライトノベルが粗末な着物を着た町娘に見えてしまい、ネット小説こそが美しい令嬢が美しい着物をまとって鮮やかにステップを踏んでいる、というような形になるのではないでしょうか。ネット小説こそがライトノベル、という主張さえもが成立する時代が、10年代半ばからやってきたようです。
ネット小説では、いくつかの仕組みがはっきり立ち上がると、それを応用した仕組みが次々と出現するのが普通のようです。異世界転生が流行れば異世界転生が、ざまあと呼ばれるものが流行ればそれが、VRMMOが流行ればそれが、悪役令嬢が流行ればそれが、というものが次々と生まれてくる。それは需要と供給の関係とすればまったく正当で、小説に限らず、何もかもが読まれなければ意味がない、消費されないと意味がないので、常に、その時にウケるものをみんなが書く事態になる。
ゼロ年代のライトノベルの幅の広さを考えると、2020年のネット小説で目立つものは極端に偏った作品の幅になっている。これが王道が確立されていると見るべきかは、やや難しい。流行り廃りの中でいずれは傍流のコンセプトになるんじゃないか、とも思う。20年前の王道は、すでに消えたか、わずかに残滓が残っているだけになっているわけですから。
この売れるものを書くという絶対原則が、異世界転生やハーレムなどを端から見ていて感じる、現実逃避、とどう絡み合うかは、僕の中で一つの注目点です。苦痛しかない現実を脱出して、どこか別世界で生き直したい、という願望が、現実に読者の中にあるのか。大勢の異性に囲まれて日々を過ごしたい、という願望が、現実の読者の中にあるのか。おそらくそんなものはない、という返答が来るとは思います。つまり遊び、空想としてそういう遊びをしたい、ということではないかな、とは思っています。
これは創作においては、そういう逃避の遊びを必要とする人がいる以上、需要があるわけで、そんな人たちにネット小説を代表とする創作を供給するのはある意味では正しい。正しいというより、絶対です。ただ2020年のライトノベル、ネット小説においては、異世界ファンタジーや異世界転生が激しく羽ばたいた瞬間、創作と現実の境界線がおかしなことになったのではないか、とも側から見ていて思います。創作は創作、現実は現実、と読者が割り切って考えるようになったのかもしれないし、一方で大勢の人が現実に倦んでいたり、不服な何かを抱えていて、その鬱憤を晴らすために創作の世界に没頭しているのかもしれない。これは創作だけの問題ではなく、もっと大きな、世情、みたいなものに理由がありそうです。
僕の中で異世界転生がうまく馴染まないのに似たようなもので、ハーレムを描く小説も僕の中では評価されません。ラブコメさえも難しい。あまりに荒唐無稽で、創作でのこととうまく割り切れず、創作だとしても想像ができないからです。
この問題に触れることにおける最大の難点は、読者層がどこにあるのか、ということになるかと思います。そして今、三十代を迎える、あるいは迎えた人は、十代の時からライトノベルと接してきた可能性が高いし、もっと若い世代はさらに濃密にライトノベルの中にいるのですから、創作をする側は、どこに焦点を絞っているのか、あるいはいくのか、そこが気になります。
ライトノベルの変化が、例えば歳をとっていった三十代前半辺りだけを視野に入れた、読者層の生活や経験値の変移によるものなのか、それとも三十代前半をフォローしながら十代さえもフォローする、幅が広がっただけなのかが、僕には気になる点です。僕は幸運にもライトノベルから一般文芸へシフトできましたが、それをしなかった人も、大勢いると思うのです。そんな人たちが悪いわけではなく、それはそれで王道の読書歴です。それでも少なくとも、2000年から遥か20年の時を経て、ライトノベルは大きな変化を遂げたのは間違いありません。僕がうまく追いかけられず、誰かが喜んで追いかけたこの20年は、決して平穏ではなく、むしろ激変の20年でした。
少し細部に触れますが、これは創作におけるテクニックの一つとして、主人公をあえて不遇な立場に置いて、そこから巻き返して大成功させる、というストーリーの展開は往々にしてある。振り返ってみれば「ドラゴンボール」のようにどんどん強くなっていってしまう、というシステムが、今のネット小説に流用されているという形でもあります。こんな風に、亜型というか、アンチテーゼというか、とにかく、我々が創作するときの最初の一歩のその前には、既存の何かしらの作品があるのではないか。
そうなるとやっぱり、異世界転生は連綿と受け継がれた異世界ファンタジーの亜型の一つで、時間とともにいずれは廃れて、何かの痕跡だけが十年後に引き継がれることになるのかもな、とも思いますね。
ライトノベルは常に要素を取り込んで、消化しているようです。
(続く)
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