第10話 桜庭一樹と米澤穂信
僕がライトノベル一本から一般文芸に移行したきっかけは、桜庭一樹さんです。
これは鮮明に覚えていますが、「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」の最初の文庫が、富士見書房のミステリのレーベルで出ているのを見つけて、それを買ったことがきっかけです。この作品はライトノベルを意識しているのに、全く別種の内容です。名作ですが、そんじょそこらのライトノベルと違う、というのははっきりしていて、のちに一般文芸でハードカバーや文庫になりますが、この作品を読んだ瞬間に、僕の頭にあったライトノベルで埋められた読書の幅が、グンと広がりました。ほとんど本棚を破壊するような、そんな価値観の変化でした。
この後に僕は桜庭一樹さんの作品をきっかけに広い分野を読むようになるのですが、この2005年に起きた、桜庭一樹の再発見は、ライトノベルにおける大事件ではある。
これと同種の現象が、僕の中ではもうひとつあって、それは米澤穂信さんの存在です。この人のことを僕がはっきり意識したのは、桜庭一樹さんのエッセイだったと思いますが、米澤穂信さんの「古典部」シリーズが10年前後にアニメ化された時、米澤穂信という作家の作品が一般文芸なのか、ライトノベルなのか、極端に見えなくなった。これは10年代における僕の読書履歴の一角ですが、米澤穂信さんは強い作家で、「小市民」シリーズや、「折れた竜骨」なども、一般文芸で、王道的な小説でありながら、どことなくライトノベルの要素がある。
この桜庭一樹さんと米澤穂信さんの存在が、僕の中におけるライトノベルと一般文芸の壁を破壊した破城槌みたいに感じられます。それより前でも、神林長平さんの「戦闘妖精雪風」がOVAになった時、僕の中では一つの壁が崩れたかもしれません。この段階において、イラストとライトノベルのイコールで結ばれる関係が、曖昧になった、なりつつあったと思うのです。
もう一つ、ゼロ年代前半における曖昧な領域に立っていた小説は、小野不由美さんの「十二国記」です。これはテレビアニメ化されて、しかし当時は文庫本はイラストが付いていなかった。後になって山田章博さんのイラストがつくわけで、僕は当時から原作小説を読んでいて、内容的にもライトノベルだし、アニメにもなったし、という感じでしたが、この時点ですでにそういう、ライトノベルか、そうじゃないか、という分類は困難になっていたのかもしれません。困難であり、無意味というか。面白ければそれでいい、という純粋な欲求が、ジャンルを横断し始めていたのですね。ライトノベルも「娯楽」として、制約を徐々に振り解いたのでしょう。
(続く)
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