第5話 イラストレーターが全てを背負った時代(前編)

 我々の世代において、ライトノベルとはイラストだった、のではないかと思います。僕もイラストからだいぶ作品に入って行っています。

 僕にはあまり響かなかったですが、いとうのいぢさんが頻繁に目に止まっていましたね。あとは黒星紅白さんも多かったか。椎名優さん、椋本夏夜さんも頻繁に目にした記憶があります。

 つまりそれくらい、イラストの力が強かった。2021年の今は、それほどイラストで取りざたされない、というか、当たり前になっている感がありますが、20年前はイラストレーターにも個性が強くて、僕の中にもすんなりと飲み込める画風もあれば、飲み込めない画風もあった。

 この辺りの感覚は、アニメというものが倦厭された時代があった、アニメは子どものものだった時代があった、というのもありそうな気がします。これは衝撃的だったのでよく覚えていますが、僕が大学に進学して、クラスの自己紹介の時、今で言えばパリピというか、陽キャの典型ですが、明らかに浮かれている男子が「オタクなのでよろしくお願いします!」と言ったことがあった。もちろん、僕は友達になりませんでした。明らかにそういう雰囲気、同類の匂いがするようではなかったし、つまり、10年以上前ですが、当時はオタクの文化、オタクカルチャーは極端にマニアックで、その筋の人はそうと雰囲気で知れるほどだった。それはそっくりそのまま、アニメという文化、イラストが動く動画が当たり前ではない、ということじゃないかな、と想像します。

 ライトノベルを読みながら、僕は最初から頭の中でアニメーションが展開されたり、声も適当な声優さんの声が聞こえてきていました。これが、アニメを何年も見ていた、という経緯がないとなると、果たして正常に機能したかな、と不思議に思ったりもしますが。

 2021年では、アニメーションは当たり前のことで、きっと誰もが想像力を鍛えられていると思います。だからある程度は、実際に見ているイラストを都合良く動かせる。同時にアニメーションその他の発展で、イラスト自体の質が向上したこともあり、おおよそのライトノベルのイラストのレベルが底上げされて、均一化された側面もある。

 一方で、僕の中ではイラストが伝説のライトノベルもあって、「トリニティ・ブラッド」のTHORES柴本さんがそうだし、「されど罪人は竜と踊る」の宮城さんなんかも、凄まじい。この「イラストが作品世界を強烈に補強する」要素は、2021年の時分になってみると僕の中ではほとんど消えてきたかな、とは思います。ライトノベルのイラストは、どれもこれも同じようなイラストに見えてしまう。

 面白いのは、ゼロ年代の半ばにおけるアニメーションで、同じキャラクターデザインに同じ脚本家、という組み合わせが散見されて、やや脱線しますが、イラストの画一化はその時は今より深刻で、その中でも漫画業界の方がより深刻だったかもしれません。「鬼滅の刃」が2021年の段階では、キャラクターデザインでやや一線を画する形、まさしくキャラクターデザインでもヒットしましたが、風穴になるかは、不明です。このデザインという言葉が示すのは、単純に言えば「頭身」になります。

 ライトノベルではイラストにおける力が2021年の段階ではだいぶ落ち着いている、それはおおよそ間違いない観測ではないでしょうか。そもそもネット小説においてはイラストがないのが大半で、そういう意味では、イラストやアニメーションを頭の中で作る、自力で補完する発想力が読者の身についた、補完が当たり前になった、ということが起こったのでは、と思います。



(続く)

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