第0話 ライトノベル20年史の試み

 さて、これを書いている僕は、かれこれ20年ほどを比較的ライトノベルと接する形で過ごしてきたつもりです。前半の10年は密接に、後半の10年はやや離れて、ということになります。

 この文章を書く理由は、ネット小説と呼ばれるものと触れていく中で、ユニークな現象が起こっていることが強く印象に残り、それがこの20年の間に、ライトノベルがいくつかの事柄から何かしらの影響を受けたことによるのではないか、と思うことがあるからです。

 それは、最もはっきりした側面を挙げれば、「現実」と「ゲーム世界」の融合であったり、「現実」から「異世界」へ語り手を移動させる、という手法で、僕はこれにはある種の極端なものを感じますし、ライトノベルそのものを劇的に変えたと思っています。

 二十年前と今を比較すると、ライトノベル、特にネット小説では、極端に評価される作品の幅が狭まったというか、明らかに売れる形式と、その他大勢の形式に分かれている、とも見えます。

 ただし、それは悪いことではないし、同様の事態、同様の変化が過去になかったか、といえば、実際にはありました。いずれ書いていくかと思いますが、ゼロ年代半ばあたりからだとぼんやりと記憶にありますが、「ハーレム」と表現するしかない、一人の男性主人公に、大勢のヒロインがまとわりつく、という手法が多用されました。そしてこれは一つの手法や演出として、今も根強く残っています。なので、ゲーム世界や異世界に現実からシフトする語り手を描写する手法も、なくなることはなくて、これからもしぶとく使われ続けると思います。

 はっきりさせておくべきことは、どのようなテーマやギミックが売れるとか、定着するとかは、そういうことはここ数年や十年や二十年で起こったことでありながら、その激変は全く自然な現象ということです。そのような発見と応用、定着はありとあらゆる分野で、ありとあらゆる形で起こるはずです。

 僕の感覚では、この20年をライトノベルのそばで過ごした人は、実は想像より多いだろうと思うし、今、ネット小説を熱心に確認している世代は、十代かそれより前から、ライトノベルと触れていたはずです。思い出の作品もあれば、忘れ去られた作品もあるでしょう。ここから始まる一連の記事で、そういうあれこれに思いを馳せてもらえると、作者としては嬉しいかな、と思います。

 創作は常に淘汰されますから、生き残っているものこそが、支持されたものです。それでも過去の荒波で消えた作品も、その時では支持されていた、とも思います。というか、思いたい。次々と興味の向く先を変える、悪く言ってしまうと移り気みたいなものが僕は個人的にあまり好きではなくて、そういう意味では僕の中には20年前の作品でも、これは名作、というものがいくつもあります。そしてその評価は、なかなか覆りません。ロートルにはロートルなりの、評価基準と、腰を据えて動かない、不動の名作があるようです。

 とりあえずは、この20年に何があったか、あったように見えたか、それを書いていくこととしましょう。



(続く)

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