第2話 我見るも、我信ぜず2

「カズー!数渡ー!」


 自分を呼ぶ甲高い声で数渡は目を覚ました。すさまじい眠気とだるさが数渡の体を襲う。ぼんやりとしながら枕元のスマホで時間を確かめた。7時40分。起きなければ。いや、あと5分ぐらいならいけるのではないか。そんな葛藤にさいなまれていると、


「数渡!起きなさい」


 再び甲高い声がリビングの方から聞こえてきた。数渡は仕方なくベッドから起き上がる。着替えを済まし、カバンを手に取った時、机の上のノートが数渡の目に入った。

 ああ、昨日自分が何かの力に目覚めて数学の問題を解いていたのは夢ではなかったのか。


 数渡の住むマンションから学校までは自転車で二十分とかからない。この時間に起きても始業時間の八時半にはぎりぎり間に合う。数渡はジャムを付けたトーストにコーヒーというごく軽い朝食をとった。

 中途半端に眠ったせいで口に入るすべてのものがまずく感じる。


「数渡。お母さん仕事行くから、鍵だけしっかり閉めておいてね。」


 数渡はニュースを見ながら適当な返事を返した。ニュースでは昨晩、愛知県で起きた女子高生殺害事件のことが大々的に放送されていた。恐ろしいことに犯人はまだ捕まっていないのだという。


 そうこうしている内に時間は八時を回っていた。数渡は食べていたトーストをコーヒーと一緒に口の中に突っ込むと急いで家を出た。もちろん鍵だけはしっかりと掛けて。

 

 その日の学校も大して楽しいものではなかった。席に着けば、昨日はまた残りかと前の席の奴がいじってくるし、昨日の疲れで授業がつらいし、先生の話も一様にして面白くなかった。数渡は学校の存在意義に疑問さえ持っていた。

 勉強なんてものはやろうと思えば自分で出来るし、やりたくないものを強制されたくもない。ただ机に臥せっている奴らはどうして学費を払ってまでこんなところにいるのだろう。もちろん、その中には自分も含まれているわけだが。


 そんな冷めた世界観で学校生活を送る数渡であったが例外が一つだけあった。それは数学の時間に中野に小テストを隣同士交換して丸付けをするように言われた時だった。

 数渡の回答を見て隣の席の北沢は唖然としていた。この北沢というのは決して容姿端麗ではないが学力に関しては学年トップクラスの手練れだ。さらに文系にいながら数学が得意であるという憎たらしい性質を持っている。数学さえなければ数渡は北沢に学力で負けないだろうという自信はあった。

 しかし、数学が出来ないことで二人の差は決定的に埋められないものになっていた。そのせいで数渡は時に北沢から見下されたような態度を取ることがあり、数渡にはそれが不快だった。


 だが今日は違った。珍しく北沢は計算ミスをしていた。反対に数渡の回答は完璧だった。数渡は小テストを北沢に返す時に勝ち誇ったようににやりとしてから、

 

「計算ミスなんて、珍しいこともあるもんだな。」


 と皮肉を込めて言った。北沢は苦々しい顔をした後に、


「あんたの答えがあってるのも珍しいじゃない」

 

と言ってから前に向き直った。全くもってバカにしている。数渡は北沢の物言いに腹を立てながらも、北沢が解けなかった問題を自分が解けたことにある種の快感を覚えた。今に見てろ、と数渡は心の中で北沢に向かって言った。


 その日の放課後、皆が教室を出ても数渡は一人教室に残っていた。自習をするという体で残っていたのだが、実際は亜麻色の髪の少女が再び現れることを期待していた。


 教室は夕暮れで染まり、昨日と同じようにバッティングの音や合唱部の声が聞こえてくる。だがいつまでたってもピアノの音色は聞こえてこなかった。数渡は閑散とした教室の中で暇つぶしに数学の問題を解いていたが、どうにも集中できず、時計の針が五時を回る頃にはあきらめて帰路についた。

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